第17話 初ダンジョンは死の香り 前編
【 串刺し草原 】
神器を探索するため再びこの地を訪れた裕真は、目の前に広がる光景の変化に少し感動を覚えた。
以前訪れたときは、闇夜に覆われた真っ黒な草の海だったのが、今は陽光に照らされ、鮮やかな緑色で彩られている。
もっとも、ここが人を串刺しにする一角兎の群生地であることに変わりなく、草を掻き分ければすぐに人骨が現れる地獄なのだが。
裕真は目に映る草むら一帯にシャドウボルトを放ち、潜んでいるであろう兎たちを気絶させた。チートMPで守られている裕真はともかく、仲間たちには奴らの角が十分脅威となり得るからだ。
現在のパーティメンバーは裕真、イリス、アニー、そして先日加わったラナンキュラスの4人。
商人の篤志は非戦闘要員のため、お留守番である。某ゲームのように、敵が落とすゴールドを増やせるわけではないし。
「ええと…… (冥王様から貰った)情報によると……うん、この辺りだ」
地図を片手に裕真は呟くと、腰に吊るした杖を抜き、その先端を目標地点に向け、魔法を発動した。
「MP300! 《ショックボルト》!!」
激しい衝撃波が地面を抉る。
形成されたクレーターの底に、明らかに人工物らしい階段が露わになった。
「見つけた! ダンジョンへの入り口!!」
「おおっ! 本当にあったよ未探索のダンジョンが!! ははっ、わくわくしてきた!」
ラナンキュラスの目は輝き、無邪気な笑みを浮かべながら、小さくバタバタとうに足を動かした。興奮を抑えきれない様子で、両手を胸の前で握りしめる。
「そんなにダンジョンが好きなん?」
大人として扱われるのを求める彼女が、子供のようにはしゃぐ姿に少し意外さを覚えた。
「ああもちろんさ! つーか、あんたらも好きになると思うぜ? 中には手つかずのお宝がドッサリあるからな!」
ラナンキュラスは握りしめた拳を突き出し、勢いよく語り始めた。
「お宝ってのは金銀財宝だけじゃない。当時の家具とか食器とか本とか……なんなら床のタイルだって金になる!! あんたらが稼いだ100万マナ(約1億円)が、霞むような大金が手に入るぞ! 魔物狩りなんて馬鹿らしくてやってられねーってぐらいのな!」
彼女の言葉にイリスとアニーの顔が強張った。おそらく、ハンター稼業を侮辱されたかのように感じたのだろう。裕真も空気が張り詰めてるのを感じ、冷や汗を流した。
「いやいや、そもそも未探索のダンジョンなんて、滅多に見つかりませんし! そんな不確かな収入を当てにするなんてキャンブラーを自称する人達[控えめな表現]みたいじゃないですか!!」
「そうそう!! それに魔物退治は地域の安全にも繋がるし! 貴重な文化遺産荒らして回ってる連中より何百万倍も社会に貢献してるわ!!」
「ああんっ!?」
イリスの言葉に、今度はラナンキュラスが眉を吊り上げた。
基本的にダンジョンは誰のものでもない。庶民はもちろん、大貴族や国王ですら、その所有権を主張しない。
なぜなら、「所有する」ということは「責任を負う」ことでもあるからだ。
例えば、ダンジョンに魔物が住み着かないように管理する必要がある。それを怠り、魔物が住み着き、近隣住民に被害を与えたりしたら賠償する義務が生じてしまう。だからほとんどの人はダンジョンを所有しようとしないのだ。
したがって、ダンジョンから財宝を漁ること自体に何ら違法性は無い。ただし、そのような行為を「貴重な歴史遺産の破壊」と見なす人も少なからず存在する。
過去にそうした人々から心ない罵声を浴びせられた経験のある彼女にとって、イリスの言葉は地雷だった。
一触即発……というほどではないが、険悪な空気が漂う。
裕真はこの場をなんとか収めようと、冷静さを保ちながらも、全員に聞こえるような声で注意を促した。
「待った待った! 仕事前に喧嘩すんな!! お互いプロなんだから、クレバーにいこう! なっ!」
裕真の言葉に女子たちの視線が一斉に集まる。短い沈黙が続いたあと――
「あ……うん……」
「お……おう……」
イリスとラナンは小さく頷き、険悪だった空気はどうにか収まる。
彼女たちは「プロ」という言葉に弱かったのだ。
若さゆえに周囲から未熟者だの若輩者だのと侮られることが多い彼女たちは、人一倍「プロのハンター」として立派に振る舞おうと、意識して務めていた。それゆえ「プロ」という言葉は、彼女たちを説得するのにとても効果的だったのだ。
もっとも裕真はそれを意図して言ったわけではなく、単なる偶然だったのだが。
「あ~、それとラナンキュラスさん、やる気に水を差すようで悪いんだけど、冥……俺が集めた情報じゃ、それほど金目の物は無さそうなんだ」
彼女には冥王様の件を秘密にしているので、裕真の説明は少し歯切れが悪かった。
「あ~、はいはい、分かってるよ。このダンジョンは意図的に放棄されたもので、その際に金目の物は持ち出されているって話だろ?」
「そう、それ」
「そこは気にすんな。さっきも言っただろ、“床のタイルでも金になる”って。当時の連中にとって無価値でも、今の時代じゃ高値で売れる物が残されているかもしれねーし」
「あ~……なるほど」
「あと、オレのことは『ラナン』でいいよ。ラナンキュラスなんて長ったらしいだろ?」
「ああ、確かに。よろしくラナンさん」
「“さん”もいらないって」
「あ、うん……よろしく、ラナン」
篤志のときと違い、すんなりと「さん」付けせずに呼べた。
それはラナンの外見年齢が自分に近いこともあるが、何より彼女の言動に親しみやすさがあったからだ。
「ああ、よろしく……ん?」
ラナンがふと目を細める。何か疑問が浮かんだようだ。
「あれ? なんで『神器』は残されたんだ? そんな貴重品、真っ先に持ち出すもんじゃねーの?」
「……あ」
その指摘は的を得ていた。今まで気づかなかった自分が恥ずかしいぐらいに。
「ちょ……ちょっとお手洗いに!」
裕真はそう言いながら草むらの中を駆け出し、パーティメンバーから距離を取った。冥王と通信するためである。
適度に離れるとスマホを取り出し、冥王に連絡を試みる。
こちらから掛ける場合、1分間で10万MPも消費するため長話は禁物だ。かくかくしかじかと早口で要件を説明する。
それに対し冥王の返答は「少なくとも誰かに持ち出されたという記録は無い」という頼りないものだった。
その一言に裕真は嫌な予感を覚えた。
もしや、お目当ての『神器』はダンジョン内に存在しないのでは……と。
想像したくない可能性が、現実味を帯びてきた。
お手洗い(嘘)から戻った裕真は、皆に向かって申し訳なさそうに説明する。
「ごめん……もしかしたら『神器』はないかもしれない」
「ええ……」「まじで?」
露骨に落胆するイリスとアニー。
一方でラナンは肩をすくめ、苦笑しながら言った。
「まぁ、オレは良いけど。前金もたっぷり貰ったし」
ダンジョン探索が空振りで終わることなど、珍しい話ではない。
それに正式なパーティメンバーではないラナンには、神器の有無に関わらず高額の報酬が約束されていた。数ヶ月は遊んで暮らせるほどの額を。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【 串刺し草原地下 研究所跡 】
裕真たちは地の底へと続く螺旋階段を慎重に下っていく。
何千年もの前に放棄されたこの施設には、当然ながら照明などなく、漆黒の闇に包まれていた。そこでアニーが魔法を使い、ヒカリダケの胞子を空間にばらまく。
ヒカリダケはその名の通り発光するキノコで、一本で豆電球ほどの光を放つ。胞子が壁や床に付着すると、まるで芽吹くように次々と生え、淡い光が闇を押しのけるようにダンジョンを照らした。
長い年月の間にひっそりと眠っていた地下空間は、青白い光の揺らめきによって幻想的な光景へと変貌していく――
「こんなに明るくして魔物に見つからないか?」
「こんなところに住んでいる魔物は、暗視能力があるか視力以外の感覚が発達してるんですから、どのみち見つかります」
「あー……なるほど。明かりがなければ一方的に不利になるだけか」
階段を下りきると、エントランスと思わしき広々とした空間に出た。
ヒカリゴケの淡い光で照らしだされたその空間には静寂が広がり、冷たい空気が満ちている。壁や床は継ぎ目の一切ない白い石材で構成されており、1,500年以上の歳月が経過しているにもかかわらず、ひび割れひとつない。
ラナンによれば、古代の魔術師が造ったダンジョンには自己修復機能が備わっており、そのおかげで今もなお数多くのダンジョンが現存しているという。
「え〜と、隠し部屋は……」
エントランスからは複数の通路が伸びていたが、裕真は地図を片手に迷うことなく歩を進めた。
「内部の地図まで持ってるのか……本当にどうやって手に入れたんだよ?」
1,500前に存在自体が抹消された施設の地図。そんなものをどこで、どうやって入手したのか、ラナンには想像もできない。思わず今まで抱えていた疑問をぶつけた。
裕真は困惑し、目を泳がせる。
それは冥王様が、地獄で服役中の施設の研究者に作らせたものなのだが、それを正直に打ち明けるわけにもいかない。
「そ……それより魔物とか全然出ないな! いや〜! 静かなもんよね!」
上擦った声が迷宮に響き渡る。
その様子に何か隠していると察したラナンは眉をひそめたが、クライアントの事情に深入りしないのもトレジャーハンターの流儀。これ以上追求しないことにした。
「ずっと埋まっていたからな。魔物が入り込む余地も無かったんだろ」
「そうね。魔物の息遣いや足音も聞こえないし」
イリスは『風の神の祝福』を受けており、そのおかげで聴覚が優れている。こうした状況での索敵において、彼女は頼りになる存在だ。
「とはいえ油断は禁物よ。犠牲者の怨念が悪霊になってるかも。奴らは隠れるのが得意だし」
「悪霊ってそんなに頻繁に現れるもんなの?」
「現れますよ? きちんと供養されてない霊は大抵悪霊になってると思って下さい」
アニーは当たり前のように淡々と答えた。
この世界において最も多い魔物がスライム、次いでオオネズミ、そして三番目に多いのがアンデッドだと言われる。その原因が適切に弔われなかった死者の存在にあるのだ。
またしても明かされたカンヴァスの信じがたい常識に、裕真は軽く目眩を覚える。
「物騒な世界だな……まぁ、今回は《ホーリーライトの杖》もあるし、アンデット対策は問題ないけど」
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◇ 現在の所持魔具 ◇
ホーリーライトの杖 new!
品質:上質 耐久力800
ライトニングの杖 new!
品質:上質 耐久力800
ハヤブサの腕輪 new!
品質:普通 耐久力300
ファイアボールの杖 ×2
品質:上質 耐久力800
アイススパイクの杖 ×2
品質:上質 耐久力800
ショックボルトの杖 ×2
品質:特上 耐久力2,000
シャドウボルトの杖 ×2
品質:特上 耐久力2,000
ガードバングル ×2
品質:特上 耐久力1,000
ゴリラアーム ×2
品質:普通 耐久力200
カモシカの靴
品質:普通 耐久力300
ホーリーアンク
品質:普通 耐久力300
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今回新しく加わったアイテムは対アンデッド兵器《ホーリーライトの杖》と、反応速度と動体視力を上昇させる《ハヤブサの腕輪》、さらに電撃を放つ《ライトニングの杖》である。
《ライトニング》という魔法はファイアボールと比べ効果範囲は狭いものの、攻撃速度が速く、素早い敵との戦闘に適しているということなので購入した。
また、既存の魔道具は全て錬金術店で修復してもらい、耐久力を万全にした。
これにラナンへの報酬も合わせると、手持ちの資金が90万マナにまで減ってしまい、シノブに支払う予定だった100万マナに足りなくなったが……まぁ『神器』さえ手に入れば今までの何倍も稼げるだろうし、もう少し待ってもらおう。
などと考えていると、急にイリスの顔が険しくなった。
何か異変に気付いたらしく、素早く剣を構え、皆に注意を呼び掛ける。
「気を付けて!! 何かが近づいてくる!」
その数秒後――
通路の奧から、ひた、ひた、ひた……と湿った足音が静かに迫ってきた。裕真の背筋がぞわりと粟立つ。
まだヒカリダケに照らされていない暗闇の奧。そこから異形の影がゆっくりと姿を現した。
それは薄汚れたウサギの着ぐるみ……
先日、確かに倒したはずの賞金首、『ラビィくん』そっくりだった!
「ラビィくん!? 倒したはずじゃ!?」
アニーは息を呑み、思わず後ろに一歩退いた。
「い……いえ! 多分アレとは別個体よ! いくら悪霊だからって、そう簡単に復活したりしないわ!!」
そう言いながらも、イリスの足元は微かに震えている。
「MP50使用! 《ホーリーライト》!!」
裕真は即座に魔法を放った。この怪物は速やかに倒さなければ危険だと前回の戦いで学んでいる。同じ姿をしている理由は気になるが、今はそれを考えている暇はない。
ああああぁぁ…………
ラビィくんは眩い光に包まれ、その体が浄化されていく。
前回、ファイアボールで焼き払ったときとは違い、若干嬉しそうな声を残して消えていった。
[ 杖の耐久力 750/800 ]
「驚いた……いきなり『賞金首』と同じ魔物が出るなんて」
額の汗を拭い、ほっと胸をなでおろす裕真。
しかしその一方で、アニーは恐るべき可能性に思い至り、身震いする。
「もしかして、上の草原に現れたのは、ここから抜け出した個体では……」
彼女の言葉に場の空気が凍り付く。イリスは息を飲み、不安げに問いかける。
「ってことは……まだ他にもいる可能性が?」
ギルドが指定したラビィくんの討伐レベルは「35」、賞金額は25万マナ(約2,500万円)である。
これは全長8mのヒル・トロール(討伐レベル10)や、体長15mの巨大鹿(討伐レベル25)を上回る脅威であることを示していた。
そんな怪物が複数現れるなんて、この国周辺では滅多にないことなのだが――
ドンッ!
突如、通路の途中にある扉が勢いよく開かれた。
「イリス! 後ろ後ろ!!」
裕真の叫びと同時に、扉の向こうから現れたのは――
またしてもラビィくんだった!
「MP50! 《ホーリーライト》!」
考えるより先に体が動いた。聖なる光が放たれ、ラビィくんを浄化する。
[ 杖の耐久力 700/800 ]
しかし一息つく間もなく、通路の奧から新たなラビィくんが迫ってきた。
しかも、6体も。
「はぁっ!? まだいるのかよ!? いったい何匹いるんだ!?」
ラナンは驚愕し、焦りの色を隠せない。
「ユーマ! 一匹ずつじゃ杖が持たないわ! 足止めするから、まとめて倒しましょう!
そう言いながら、イリスの手にある剣が淡い光を帯び、弓へと形を変えていく。彼女の武器は物質ではなく、精霊が実体化したものである。
「《影縫い》!」
放たれた矢は空中で分裂し、6本の光の矢となってラビィくん達の影を貫いた。 影を縫い止められたラビィくんたちは、その場から動けなくなる。
「《エノキ乱舞》!!」
続いてアニーが追い打ちをかける。蠢くエノキがラビィくんたちに絡みつき、拘束をより強固なものにした。
「今よっ! ユーマ!!」
「MP50! 《ホーリーライト》!!」
動けないラビィくん6体に聖なる光が降り注ぐ。
あああぁぁ……と心地よさげな声をあげて、ラビィくんたちは消えていった。
[ 杖の耐久力 650/800 ]
「ふぅ……流石にもう出ないだ――」
だが、その安堵の言葉はすぐに遮られた。
ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた、ひた……
無数の湿った足音が、じっとりと通路に響き渡る。
闇の奥から、次々と姿を現す無数の赤い瞳。
今度は数十体にも及ぶラビィくんたちが、群れを成して迫ってきた!
「うっそだろ!? ボス級の魔物がこんなに!?」
「アカン! ホーリーライトの杖だけじゃ持たない!! 他の杖で倒す!! ファイアボー……」
「待った! こんな狭い所で火を使うな!! 俺らが窒息しちまう!!」
杖を振り上げる裕真の肩を、ラナンが慌てて掴み、制止する。
「じゃあ、ライトニングで――」
マジックバッグに腕を突っ込み、大急ぎで《ライトニングの杖》を探すが――
パキッ……
その瞬間、裕真の胸元から、何かが砕ける音が響いた。
[ ホーリーアンク 耐久力 0/300 ]
それは、呪詛から守る最後の命綱が、途絶えた音だった。