003 裸足の少女
突然の出会いで、叶は少女キアラとタウンを観光モードで歩くことにはなったのだが、彼女は公共の交通機関や、支払い用クレジットの使い方が分からないために、慣れないエスコートをする羽目になっていた。
おまけに自分のIDカードも無いと言うので、カードを必要とするところには行けない。
社会的ルールも経済システムも一切無関係な環境で育ったのだろうが、普通の大人ならば非常識と眉をしかめ、俗世と乖離しているような、そんな少女と歩くのには確かに骨は折れる。しかし、思うほど負担となっていないのは彼が「少年」だからとも言える。
今はそれを目一杯、脇目もふらずに楽しむのだ。
少しづつ歩きたいと言うキアラの要望に、タウンを路面電車などで一気に回るのは止めた。
「……あのさ」
「なぁに」
「君……」
会ってから気になってはいたが、本人の意向だと思って訊けずにいたのだが、さすがに街の中では足元の危険も考えざるを得ない。
「あの、キアラは靴履いてないけど」
「そうね」
簡単に認めた。
「なんか履かなくても?」
キアラは今更のように自分の足元を見つめて、呟く。
「裸足……じゃないほうがいいのかな」
「そりゃ……足を怪我しないようにとか」
彼女の裸足の理由について何とかフォローを入れようとしたが、うまく思いつかなかったのでありきたりな『足の保護』しか言えなかった。それが自分で少しもどかしい。
「叶は、靴履いたほうがいいと思うの?」
「できれば……」
―――じゃあ、履かせて。
無抵抗にさせられそうな響きのある声で、キアラはねだった。
ショッピングモールは近かったから、徒歩で靴のショップを探す。通りすがる人たちは、別段、裸足の少女など気にする風もない。それがまた靴が本当に必要なのかどうか迷う錯覚に陥る。
「どういうのが好きなのか分からないし、自分で選べるよね」
女の子が来そうな靴屋があったので、その前で彼女を促すと、
「じゃあ、アレがいいわ」
即断即決。早々にショーウィンドウに陳列されていた靴を指し、店員を呼んで取ってもらうと無造作に足を突っ込んだ。
「似合うかな」
透き通りそうな髪色と瞳と、膝丈の白いコットン・ワンピースを着た足元に、真っ赤な靴を装って立った。薄空色と、白と、真紅のコントラストが眩しい。
「似合うって言われても……」
キアラは笑った。
「叶がよく分からないなら、私も分からない。でもコレが好き」
「キアラが良いんなら、構わないよ」
少年と少女の、羽根触れ合うような会話が彼らの世界を象っている。
叶の小遣いで支払われた新しい靴は、以前から彼女は最初からそうだったように自然に履きこなしていた。
病院の周囲は広大な森林公園になっていて、その結構な距離をずっとタウンの方向に歩いてきたのにも関わらず、足を怪我した風もない。
街には似合わないと言うか自然すぎる子なんであり、よほど隔離されたような世界で育った気もするけれど、この惑星にはそんなにド田舎になりそうな場所が思い当たらないし、考え付かなくてもどこか僕とは全く関係のない世界からきたんだ。
叶の持てる知識で想像出来る少女の生活環境は、そのへんが限界のようである。
「よく歩くね」
「いつも歩いてるせいかしら、平気なの。叶は疲れた?」
「大丈夫だけど……なにか分かりそうなところ、あるかな」
体の奥底が疲れを訴えていたが、病院でいつもより強い薬を服用したため、今すぐ座り込みたい衝動は無い。ここは女の子の手前、少しは見栄を張ってみる。
「……あまり分からない……ここじゃないかも知れない」
少し瞳が翳った。
思い出探しが容易ではないのは、今更の話である。
しかし昼食の時間がとうに過ぎていたのが気になり、キアラをフードコートに誘いひとまず空腹を満たすことにした。タウンに数あるタワーと同様に外観が真っ白な色をしたショッピングモールで、屋外のフードコートは床を石畳にしたどこかの古い町並みの雰囲気を演出している。
そこにまた白い大きなパラソルと白いテーブルと椅子といった具合に、そんな装いは軽くリゾート気分になれた。
昼食を終えた客と入れ替わりに、アフタヌーンティーを楽しむ人々が寛いでその場の空気を楽しむ。ゆっくりとしたその午後、急ぎ足の海風でさえ躊躇うように間を縫って通り過ぎた。
叶は育ち盛りの少年らしく、まだ時間的に間に合ったボリュームのあるランチセットを頼んだ。
内容はどうしても病気に見合ったものだが、彼のような人間が多いのでそれ向けのメニューは充実している。
隣に座ったキアラの前には、水と果物のシャーベットだけがあった。
「それで間に合うんだ」
「いつもこんな感じよ。今日は、あまりいい果物が無さそうだったから、暑いし、シャーベット」
自分で選べる食材が並ぶカウンターで、しっかりと素材を見切っている。
「そんな冷たいの、今は食べられないから羨ましいなぁ」
「美味しいのに。なぜ?」
「僕は、病気だから体を冷やすものを食べると、体温下がって大変になるんだよ」
「―――病気」
「こんどワクチン打つから、丈夫になったら食べられると思うけど」
「そうなんだ」
「知らない? 似たような病気の人はこの星にも、星系にもいっぱいいるんだ。でも直ぐに治るみたいだから」
少し考え込むように叶の言葉を聞いていたキアラだったが、ひと掬いのシャーベットを口に運んで、その冷たさを愉しむように味わった。そして、
「その病気って、どうしてそんなに大勢の人たちが罹ってるのかしら」
何気なくごく普通に聞いてきたのだろうが、そんな疑念すら人々は思いつかないほど当たり前の現象になっている。
「なんて言うか、“風邪”くらいにしか考えてないのって、どうなんだろ」
「風邪もこじらせれば致命的なのよね。同じく致命的にもなりかねないその病気、皆が患っていればごく普通のことなのね」
「そうなんだよ。僕は体温の低下とか末梢神経の障害くらいで済んでるし、両親も二度くらいのワクチンで完治してるから同じに考えていいのかなって」
「……そう考えても別にいいのだけれど……叶はこの病気の原因って聞いたことは?」
簡単にモノを言いすぎたかなとは思ったが、キアラが別の方向から訊ねてきたので、「そんな話は誰からも何処からも聞こえたことは無い」と答えた。
それには彼女が、そうよね知らないの、と呟いたのは叶にも聞いて取れた。
“あなたたちは”―――と。
日暮れは半日のデートが終わる事を告げた。
キアラの思い出は見つける事ができず、また明日ね、と言うことで続行が決まる。
「いいけど、君に連絡とか出来ないの?」
「色々と、用事が」
もじもじする彼女の様子から、それはそれで忙しい人なのだとも取れた。
「明日の……明日も午後に病院の階段じゃダメ? 待ち合わせ」
叶が頷くと、ありがとうと言ってあっさり小走りに去っていく。赤い靴だけがやけに視界の残像になった。
「……時間、聞いてないんだけど……」
うっかり忘れていたそれは、今日の反省点である。
キアラとは反対の方向に家路を辿り、そして本日の思い出探検ルートを顧みながら、明日はどこを回ろうかと翌日のスケジュールを組み立てた。
車で少し遠出してみようか―――
でもゆっくり確かめたいって言ってたしな―――
夕暮れの、空気が薄い紫を帯びた灰色になった時間。オレンジの街灯を始めに、様々な色が都市を大げさに飾り立てようという別世界への入り口である。
フウと摩天楼を見上げるように首を巡らしたとき、「いいかな」と声が掛かった。
間違いなく自分に向けた声だったので、恐る恐る振り返ってみると警官が立っている。
「身分証を確認したいのだが」
「あ、はい」
目の前を塞ぐグレーの制服に緊張しながらポケットからIDカードを取り出し、警官が掌大の端末に差し込んで内容を確認した。
このような光景は珍しいことではない。この惑星だって理想の天国のように治安が完璧なワケでもなく、法を犯すものと、法の執行者がいるだけなのだ。
「今日はどちらにいらっしゃったのです」
「午前中に病院に行ってました。そのあとは友達と買い物に行って」
制帽の下から警官が職業に準じた目で叶をジロっと見る。
「買い物は何を?」
「……靴を買って、プレゼントしました」
なるほど、と独り言をしながら、警官は端末からIDカードを引き抜いて叶に返す。
「失礼ながら病歴も確認させていただきました。どうぞお大事に」
敬礼しながら彼のそばを離れ、流れる人の群れの中を一つ頭ほど高い背丈の警官は、近くの中空で待機していた警察ロボットに端末を差し込んで格納すると並んで歩く。
ロボットは円筒形の頭部分にあるカメラを回転させながら、警官と共にIDの確認を続けていた。
街角の情報スクリーンが、天気予報でハリケーンの注意報を出していた。今日の蒸し暑さはこの熱帯性ハリケーンのせいだと言う。
夜になると昼の地表熱もあいまって生温さを増していた。
明日は晴れるのだろうか。