027 長く、生きてきた
何というか、大変なことを聞いてしまったのだ、と叶は客観的に思った。
ワクチンを投与された人間は、全てがキアラの情報体を元にした遺伝子に置き換えられて生きていたのである。
すると、今居る自分の体は、キアラが母体、つまり母となっていたのだ―――
「キアラは、みんなの母親になっちゃってるんだ……」
「―――そう言う事になってしまうけど……見方を変えれば、私は寄生してるとも言えるわ。ただ……ここの人たちは、私の細胞が必要だと……そして私の、前の前の前の私が連れてこられた」
「前の私って、それは」
「その時の私は、七百年前に『バトリク』から来たの」
『バトリク』―――
叶の前で、何かが弾けたように感じた。
七百年前の戦争、失われた惑星バトリク、アッペリウ星系の惑星の数、ワクチン、そしてキアラ。
全てが繋がることだったのだ。
「キアラは、バトリクから?」
「あの星が、わたしの故郷なの……。戦争が起きて、私はヤノ人に捕まったわ。そしてバトリクの人たちがなんとか止めるように抵抗したのだけど、駄目だったの。それがさらに戦況を悪化させることになって―――私たちはヤノ人よりも数が少なかったから……」
今でも思い起こせるんだとばかりに、キアラの顔が苦痛に歪んだ。
「これで全滅するくらいなら、ここから居なくなろうとして、私を置いて、別の世界に行ってしまった―――」
戦争は惑星バトリクの消失によって終結したが、ただ一人取り残された。
「そして、その時の私はショックのあまり早くに死んでしまったのね」
不思議なことに、七百年前の話をするのに、キアラは一人称で語るのだ。
まるで自分がすぐに転生してきているかのように、酷く時間の距離が短い。
「―――キアラは、その時の事を何でも知ってるんだね。辛いのに」
叶の同情を受け止めて、寂しげに微笑した。
「もっと、ずっと昔のことも知ってるわ……あなたたちの祖先が移住してきたことも、それよりもっと前の、美しくて平和だったことも、もっともっと遡って、苦難の時代だったことも、みんな―――私は―――私たちは、ずっと記憶を継承して生きてきているから」
★ ★ ★
「すげぇな、波形がバンバン跳ねて動いてるぜ」
真知村が興奮して叫ぶ。
その口を大きな手でヤユックが塞いだ。
「お静かに! 仕事中です」
「なんだよ、みんな見てるじゃないか。こっちからは太陽が邪魔で見えないってのに」
「なに言ってんですか。おかげで航路を随時変更しなきゃいけないってのに、チーフ遊んでることにされますよ」
「あそこで一所懸命に働いてる奴らがいるだろうが」
不満そうにヤユックの手を払う。
「彼らは、チーフに働かされているんですっ」
服の襟元を引っ張られて、真知村は階下に降りる羽目になった。
ヘッドセットを装着して、混乱を極めている航路の整理に立つ。
まるで交通整理の警備のようだった。
聡いメディアは、この珍しい天体ショーを生中継しはじめた。
恐らくは全ての産業の八割かたはストップしていることだろう。
知ったかぶりのコメンテーターが、適当に拾ってきた資料で『バトリク』の名前だけを連呼する。
しかしこれだけで、ヤノの封じられた歴史が掘り起こされてしまったのだ。
この事態が収まったら、政府はどのような見解を示すというのだろうか。歴史はいかようにも後世で作り変えることができる。人の記憶も曖昧で不確かだ。
起こった事を伝えていくのは、間違いなのか正しいのか、それすらも判断がつかないというのに。
「迎撃の用意を」
宇宙港の司令室で、基地司令の隣にいた士官が片手を上げた。
壮絶な戦争の歴史は、軍の中では生きていたということだろう。常にヤノの反対側にある空域の監視を、怠ることなく継続してきたからだ。
それは双方の痛手が大きかったことを示している。
バトリクは、稲妻と言うべきかプラズマと言うべきか、実体化してきた天体の周囲を、凄まじいエネルギーの光が気の向くまま走っていた。
ところどころが安定していないために、真っ黒な穴が開いて見える。
「電磁波で妨害されるため、回線を切替えます」
「スタウト基地にも切り替えを」
「了解」
間近に居る艦隊には、さぞかし恐ろしい光景が展開されているのだろう。
七百年前の内戦の再来になるのか、それとも、もしかしたら―――
「攻めてきても、ここだけは死守してもらわんと困るな」
「なんでです? ドクター・デジレ」
「赤ん坊を連れて行かれたら、人類滅亡だからな」
「……アア、そういうことですか」
「何しろ、彼女のクローンは、彼女自身でないと作れないのだからね」
「と言いますと」
「―――? リョーコ君はいつ来たんだっけ?」
「私は二ヶ月前に赴任したばかりです」
「それじゃ、分からんなぁ」
「出産にも立ち会ってませんよ。もうあの赤ん坊は人口羊水の中で浮かんでましたから」
「そうか。そしたら、新人の君には教えてあげよう。なに、研究における初歩的な知識だよ」
「期待します」
「彼女はね、クローンと言っても、『単為生殖』なんだ」
「単為生殖といいますと」
「なんだそれも知らんのかねぇ」
凝視していたスクリーンを見るのをやめて、隣の若者を心配そうに見やった。
「つまり、男の精子が要らんのだよ。一人で妊娠して一人で生んでしまったってことだ。処女懐胎と言うがね。そうして彼女は、彼女の生命の系譜を繋いできたのだ。そういう特殊な生命体を、我々はバトリクから奪って、食いつないでいるのだよ」
「……それは、なんと言うか……えげつない人類ですね」
「そうだよ。こんな人類は滅びるべきだね。しかし、バトリクから奪取してきて利用しているつもりが、逆に彼女の遺伝子無しには生きていけない、哀れな生物に成り代わってしまった。我々を支配しているのは彼女なのだ」
「まるでそれは……」
「彼女は、ヤノにとってもバトリクにとっても、支配者であり、女王でもある」
「バトリクの女王は、アッペリウの女王だったんですね……」
若者は感心して、デジレの見つめるスクリーンに視線を戻した。
その間、数秒ほど仮面の乱れが起こったが、すぐに綺麗に画像を結んだ。
『画像回線を切替えましたので、音声も変わります。イヤホンを使用の場合は耳から外して……』