023 出現
貨物船『ビッグ・サプライヤ号』の三等航海士ボッジオは、のんびりと航海日誌を打ち込んでいた。
端末をブリッジで拝借していたので、ボードを腿の上に、足を機器の上に載せて茶をすする。
眼下の甲板を時折眺めつつ、打ち込んだ文章を読み直す。
「……んでもって、今日は無事に終わり……っと」
よし。そうして外して使用していたボードを元に戻し、はめ込んだ。
「オレの日記、終了ー」
行儀の悪い足を降ろして涙が出るほどの欠伸をすると、突然アラームがこれでもかと言う音量で鳴り響いた。
「んーんんー、んだよ!」
「分かりません!」
オペレーターが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「わかんねだぁ? 何でだ!」
負けじと怒鳴り返すが、ビィーッビィーッとけたたましい音が遮る。
「だから! 分かりませんって! 急に目の前の空間が質量を持ったって、どうすりゃいいんですか!」
ボッジオがそこで(ええ?)と窓を振り返った。
「うぉ!」
今度は腰を抜かしそうになる。
何故なら、ビッグ・サプライヤ号が進むべき航路の先には、ゆらゆらと巨大な何かが姿を現していたからだ。
「ちょ、ちょ、ちょ! 決まってるだろ取舵いっぱいだ! 自動操縦を切れ! 次元断層の警戒空域よりデカイじゃないか!」
「やってます! 船長を呼んでください!」
蜃気楼のように立ちはだかるが、徐々に形を成していくその物体。
「右舷、最大出力! 回頭!」
重力圏に入ったという表示は無いが、それでもスピードが出ている巨大貨物船は、進路を変えるのに難儀する。
船体右舷のノズルを全て開くと、あらん限りのエネルギーを放出して、巨体を軋ませながら横滑りするように方向をずらした。
「なんなんだコレは……」
怒鳴っただけで何もしなかったボッジオは、茫然と障害物を眺めた。
ここには何もない空間だったはずである。
それがいま、赤茶色の雲のような球体が蠢くように、質量を持って存在しているのだった。
「おい」
計器にしがみ付いていたもう一人のオペレーターに問いかける。
「この空域って、第二惑星の軌道上だよな?」
「でなけりゃ、どこの軌道になるんだよ」
ぶっきらぼうに返された。
「四十万キロの距離で危うく難を逃れたが……これは航路管理に報告せにゃならんか。こんな障害物さぁ……」
そうして冷や汗が引くか引かないうちに、ビッグ・サプライヤ号は停船命令の信号を受け取ったのであった。
「―――来ました」
宇宙港駐留軍もリアルタイムで慌しい。
「どんな状態になったのか」
「はい。急に質量を持ち始めたようです。完全封鎖に間に合わなかった貨物船など数隻、停船させて事情聴取しているとのこと」
「第一惑星の基地は」
「異常無しです。基地の艦隊が現在通報を受けて向かっているとの事」
「そうか、こちらも乗員の待機をさせておこう。……管制室にも言う必要があるな。あの空域は封鎖だから別の航路を宛がうように」
「了解」
まるで開戦前のような、ただ事ではない緊張感である。
次元断層が出現して、エネルギーの放出が激しくなったかと思うと、つい今しがた『そこ』が『物質化』したのだという。
少し離れてみれば、この物質が天体の様相を呈してきているのは、誰の目にも明らかであった。
第二惑星ヤノと同じ軌道にあり、太陽を挟んで真向かいの、けしてヤノからは見えることの無い天体。
恐らくは、失われた惑星『α‐バトリク』なのだろうか。
真知村はそう確信している。
このところの胡散臭い動きは、全てがこの惑星に端を発していると。
仕事柄、人より余計に雑学が多いことを自負している自分の勘が、こんなにも面白いほど予想通りに当たるのが面白い。
「チーフ! 勧告の出ていた空域が緊急封鎖されました!」
真知村を呼ぶ声が管制室に響いた。
「管制室長に言えよ!」
「留守番頼まれたじゃないですか!」
悪たれ口を許さない、というふうに、女性管制官が腰に手を当てて睨む。
「いーま、面白いところなのにな、ヤユック」
同意を求められたヤユックは無視した。
二階のデッキから階段を駆け下りて、航路修正のためテーブルに着く。
「封鎖の理由聞いてるか?」
「詳細は教えてもらえませんでしたよ。隣なのに。でも民間船から通信拾ってます」
「どんな」
「例の空域です。なんか惑星みたいなのが、ヤノの真正面に出てきたって」
真知村の瞳孔が開いた。
それだ!
「よーし、来たぞ!」
「なんです、急に張り切って」
「うっさい。仕事するんだから文句言うなよー? ちくしょう主導権握りやがって軍のヤツら」
軽口を叩いても仕事歴ウン十年のベテランである。たちまちのうちに航路をずらして延ばして縮めてほぐしてスッキリさせると、定置航路の整理は瞬く間に終わった。
「真知村さんってやっぱりステキ」
「妻帯者なめんなよ」
「奥さん凄いんですね」
誰が褒められてるのか。
「このデータを登録されている全ての船に配信してくれ、観光船と個人所有のクルーザーが一番危ないな。あいつら自分勝手だから、見かけ次第警告出して追い出すんだ」
「緊急を要する船はどうします」
「こちらで指示するから何人か……おい、お前と、お前だ。ナビボードに張り付いて誘導するんだ。残業代はタップリと室長がポケットマネーで出してくれる。死ぬまで働くのが任務だ。そしてオレはまた上に行く。何かあったら呼ぶんだ」
勢いで誤魔化して仕事を適当に済ますと、真知村はまた二階に駆け上がった。
「どうだ?」
「断片的なファイルを引っ張ってこれました」
宇宙港のシステム内を這い回る真知村特製のプログラムが、駐留軍から静かに遠まわしにデータを持ってきた。
控えめに出力しているモニターには、輪郭のハッキリしない丸い物体が浮かび上がっている。
「第一惑星の艦隊が送って寄越したようです」
それを見るなり急いで位置確認をした。
「これは……やっぱり『バトリク』じゃねぇかよ」
ヤユックが声を潜めた。
「バトリクなんですか」
「こいつはな、はっきり言うぞ、亜空間に居たんだよ。亜空間というかな、此処とは違う空間だな。それがなんでだかコッチに戻ってきたんだろ」
「惑星まるごと」
「仕組みは知らんが、不可能ではないだろう。七百年前にアッペリウ星系史上初めての内戦やったあとに、行方不明になったんだよ」
「聞いたことありませんよ」
「当たり前だ。何しろアッペリウ最大の汚点だからな。そのせいかもしれんぞ? 俺達がワクチン無しで生きていけなくなったのって」
「なんかそれって、生物として終わってるって事になるじゃないですか……」
「終わってりゃ苦労しなかったかもな。……とにかく、このバトリク出現と、ヤノの周波数の同調ッぷりと来たら! まるで生きてるみたいだ」
ヘッドセットを外して首に掛けた。
「見てろよ、面白いもんが見れるかも知れん」