022 願うなれば
ヒュンヒュンと風を切る小さな音で、直径にすると二十センチほどの二機のスパイ・アイが飛び、木々とタワーのあいだを擦り抜け、目的の建物の壁面を垂直に上昇していく。
数十メートルを昇りきったところで、大きな開口部の隅に張り付いて停止、中をズームした。
「―――中には一人しか確認できません」
移動する車の中、転送されてきた画像で士官は報告した。
「誰だ」
ジョットも覗きこむ。
「女です。母親かと思われます」
その人影は、ダイニングテーブルで夕食後の寛ぎのようである。
「二機ともか」
「生体反応も一人だけですね」
一足遅れたのを認識した。
「ダニロバ大尉、出たかもしれません」
「そうだろうな」
「キアラ様は必ずあの少年に会う、ということでしょうか」
「うむ……IDの追跡はどうなった」
操作する右手が横に動くと、二次元の地図に赤い点滅が表れた。叶が移動した痕跡である。
「ジョット軍曹の言うとおりだ」
「タクシーを二回、乗り継いでますね……二台目のタクシーを降りて三十分と経ってません」
「降りたところにスパイ・アイを送ったものか?―――あとどれくらいで着く」
「五分後にはタウンの外れに」
「タウン内に居るか……準備に取り掛かるぞ」
「軍曹、キアラ様は少年と一緒なのは確実で?」
「間違いない。移動手段となるもの全ての車両及びスクートのプール、それからマグレブの駅に接続し、タグの検知感度を上げろ」
ジョットは懐に銃の存在を確認した。
胸騒ぎがする。
それを胸騒ぎだとすれば、の話だが、今回の出奔が最後なのではないかと予感がするのだ。
(キアラ様も御自分の体について知らないわけが無い……もしも覚悟を決めてのことであれば……)
三年も懐胎してようやく生まれた子供は、充分な大きさに育ったというのに、それでも未熟児だったと言う。酷い難産だったと聞く。
デジレが赤ん坊のへその緒をナノチューブに繋いで人口羊水の中に入れた。胎盤が途中で腐ったために代替のための機器を取り付けた。
そうするうちにも、キアラは日増しに弱っていく。
(『自然』は、死に場所を探しに歩くと言う……。屍を誰の目にも触れないよう、死に逝く頃には現世との決別のためにその境界線へ―――)
もしかしたら、その淵に立っているのかもしれない。
ただ、これまでにそのような話は聞いた事が無い。それは誰もが口を揃えて言うことだ。
“今回の彼女”は、なぜこのように危険を冒してまで外に出ようともがくのだろう。
ジョットの中に、どうしようもなく微かな嫉妬心が生まれる。恥ずかしいことだが否定出来ない。
彼女が選んで、彼女の手を取ったのが叶だったと言う事に、絶望的な苦味が染みる。
(それでもだな……)
自分の醜い感情を押し込めるように作業を続けた。
もしかしたら少年が彼女を助けてくれるかもしれない、そんな無駄な期待を込めながら。
希望を失おうという時に、新たな希望を獲得しようとする人間の心理なのだろう。
妙な静寂の中、左腕に通信機を取り付け、右手の手首内側にスタンガンを潜ませる。指先の無い手袋を履いてスタンガンからコードを引っ張ると、手の脇の方にジャックを差し込んた。
そして左の指で掌をつつくと、青白い光が細かい配線どおりに光って流れた。
触れれば生体に反応して痺れる仕組みになっている。
それから手首をスナップすると、棒のようなスタンガンが掌にスライドして出てきた。
それを二度ほど試すうちに、隊列の進行が止まっていた。
一台はそのまま走って叶の住むタワーへと向かう。
「受信した画像は、そのまま転送しろ。携帯する武器はなるべく見せず、市民をいたずらに刺激しないように」
できるだけ穏便に済ませたいダニロバは、作戦開始を告げて散開させた。
トラックに搭載してきたスクートに、二人一組が乗り込んで街の中へと吸い込まれていく。
ダニロバと数人は情報収集と作戦指揮の為に残った。
現場は、キアラに一番近いという立場上、ジョットが取り仕切ることになる。
そうして享楽の時間、頽廃の空気の中へと、張り詰めた何かを持つ一団が紛れ込み、夜だというのに無駄に明るい光量が、彼らの足跡を滲ませ掻き消すようであった。
徐々に、叶とキアラの包囲網が縮まっていく。
「この子供にインプラントされたタグが検知しにくいのですが、数は足りるのでしょうか?」
ダニロバに兵士の一人が小声で訊ねる。
「巻き狩りに手が足りないの仕方あるまい。が、キアラ様と少年の足ではそうどこか遠い所に行けるわけでもないだろうしな……どうした?」
兵士の言に違和感を覚えてダニロバが問いただす。
「スタウト基地から増援があったのかと思ったのです」
「なに」
「別の通信コードが入っていましたので確認した所、一個中隊ほどが出たと」
「…それは」
ほんの一瞬だったが、絶句した。
しかし直ぐに思い当たった。
キアラ三度目の出奔ゆえ、懐疑的になっているモールレ基地司令が別働隊を出したのだろう。
あらゆる理由により喫緊である。焦りもあるし、下手に常態化しても困るのだ。
(困ったことになっているのだ―――)
深く息を吸い、誰にも気付かれぬよう静かに吐いた。
だが、ジョット軍曹が先に見つけるだろう。
ダニロバには、それだけは確信できた。
「軍曹に基地が動いたと伝えろ。穏便に済めばいいが今回は何とも言えん。何でも最小限に留めるように」
キアラはともかく、叶の生命の危険性が増したのは確実である。
「見つけ次第、急行する」