012 [SCENE3]宇宙のゆらぎ
第五惑星の『ウォーター・ファーム・カンパニー』での一仕事を終わったナラネは、シャトルで帰路の途中であった。
少しすし詰めな感じに乗客がひしめいていたから、搭乗直前にグレードの高い部屋を問合せ、たまたま空いていた幅広く寛げるボックスに居座ることが出来た。
「よっこら……せっ」
大きなスーツケースと手荷物をドア脇のバスケットに放り込む。
ついでにその勢いのまま、定期便にしては贅沢な部屋のソファに、尻を突っ込んで背中を埋めた。
ハァーっと、それまでのストレスを含んだ呼気を吐く。
およそ六億キロの旅を高速船で、何もなければ二日で到着する。
それまでに眠り続けていてもいいが、眠るにも体力がいるので少し何かを食べてからにすべく、レストランかビュッフェに行こうと思いついた。
部屋に備え付けられ、『ようこそ! ボル社の定期航路便を御利用下さいましてありがとうございます』と大げさな自社広告を待ち受けにしているマルチビジョンで、船内を探検する。
旅に旨いものは付き物であっても、体も心も休めたいナラネは、あまり畏まったレストランは避けたかったので、アルコールも置いているビュッフェに行こうと決めた。
たぶん、レストランのワインでは酔えないだろう。
『宇宙酔いをされる方はご遠慮下さい』
警告が画面の中央に赤く表示される。
なんだか自分が諭されたような気がして苦笑いすると、少しだけ身繕いをし、部屋の外を出た。
ちょうど斜め向かいのドアも開いて客が出てきたが、ナラネとは目的が違うらしく、廊下を歩く途中で別々になる。
螺旋階段を下りて、いくつかのレストランが並んだ通りの一角に、ビュッフェがあった。
そこは出航前から既に込み合っている状態である。船尾に近いところで展望できる大きな窓が、より店内を暗くしているかのようである。小さな星では、視点を結ぶ印になっても照明の代わりにはならない。
「立席でもよろしいければ」
案内の女の子が申し訳無さそうにしたので、ちょっと気が引けたが入ることにした。
入って左側の長いカウンターにつくことにしたのだが、カウンターは思ってたよりも空いているので、無理やり体をねじ込むことをしなくて済みそうである。
「軽くつまむものと、そうだな、アルコールも軽めのを」
いい加減な注文を出しても、そこはプロだ。
バーテンダーの格好をしたナラネと同じくらいの中年男性が、頷いて皿とグラスを棚から取り出し始めた。
最初に出されたコップの水が、僅かに揺れたように見え、それでシャトル便が出航したのを知る。誰も出航サインのモニターなど見ていない。
「地上から出るより簡単でいいな……揺れも少なくて」
動いていても窓の外の風景は変わらない。
もちろん、乗客の足の下には、球体の惑星が手をこまねいて待っているわけだが。
つまみが最初に置かれる。
動物性のものと植物性のもの。
腹持ちも良さそうだから、これは好き嫌いなく食べようと思った。
「これはウォーター・ファームの材料を使ってますから、美味しいですよ」
カウンター内に入ってきて手伝いをしていた女の子が笑顔で勧める。
「そうかい? それなら安心だね。ウォーター・ファームのは何を食べても旨いから」
何食わぬ顔で我が社の商品を褒め称えた。
「他にもいろいろ取り扱ってますから、ご要望がありましたら、どうぞ!」
ニコニコしながら彼女がトレイを持って通り過ぎ、なにやら芳しい残り香の中でナラネは手をひらひらと振ってみる。
それから皿の上に乗っているものを一つ口に放り込み、カウンターに肘を付いて飲み物を待った。
「さて……この二日間をどう有意義に使ったらよいか、それを考えて終わりそうだな」
込み合っているテーブル席は、見ているだけで疲れそうだったので、体の向きをまたカウンターに戻す。
そこで、拍子に思い出したことがあった。
胸のポケットのボタンを外すと、中から白っぽいケースを取り出してじっと見つめる。
「このお使いをするまで、ゆっくりできそうにないか」
上司のミヤマから預かったものである。
戻ったら息子にコレを、と言われて持たされたので、ヤノ星に到着次第、上司宅に向かわねばならない。
なにやら約束だといい、サプライズだからこの機会にという事なのだそうだ。
(大きくなったかなぁ……いや、大きくはなるが)
知らない子供ではない。あるいは忘れられても奥さんに渡せばいいのだから、大した用事ではないので自宅と上司宅のどちらを先にすべきか、帰る前から迷っている。
色々と惑星ヤノに着いてから辿るルートを考えたが、結果、用事は先に済ますことにした。
「どうぞ」
タイミングよく飲み物がやってくる。
細長い円筒形のグラスに、乳白色に黄色がかった液体が入っていた。
「両方の口は行けるかと思ったんですが、甘さはあっても控えめ、酸味で疲れが取れるようにコチラに致しました」
「気が利くね、ちょうどそんな気分だったよ」
バーテンダーはちょっとだけ会釈をして、つぎの仕事に入る。
青い天板のカウンターに、上からのスポット照明がグラスの容姿を映し出していた。
その光景とバーテンダーを交互に見やりながら、ナラネはちょっと出かかった腹を反省していると、
「ここ、予約入ってないよな?」
落ち着いて呑もうと言う思惑が大いに外れる声が、ナラネの隣で響く。
「先に入った者勝ち、でございます」
「あ、ほんと? じゃここに三人ヨロシク」
若者が彼の隣五十センチくらいの間を開けてカウンターを占領した。
「何にいたしましょう」
一応メニューは持ってきたのだが、そんなものに目もくれずノリで注文を出すのである。
「えー、あのさ、あのアンタの後ろみたいに真っ黒なカクテルとか」
若い男が指差したのは、バーテンダーの後ろにある幅広の大きな窓だ。
遠目に別の宇宙船が逆の方向に行くのが見える。
「真っ黒、でございますか?」
「そうそう、宇宙みたいになんか変なの作ってよ、イカ墨とかで」
そういう勢いって、もうないなぁ。
下を向いてニヤニヤしながら、ついつい右耳を大きくして会話を聞いてしまうナラネ。
だからと言って話しかけたりする事も無く、喉を潤して体に染み渡る刺激にいい気分だ。
「ところでな―――」
一人が急にトーンを落としたので、ナラネの集中力が途切れ、店内のざわめきが流れ込んでくる。
「……まただ」
「ホンとか?」
「見えるんだなー……」
「俺には見えないぞ」
「だからさ、気のせいなんだって」
「目は酔ってない」
「ヤノに近くなれば、お前も絶対見えるって。賭けるか?」
「やめとけ、どうせお前の目玉でも借りなきゃムリだし、荒唐無稽な話なんだろ? ファンタジー」
「バカにしたな。俺は何度でも見てるんだぞ」
カウンター越しに彼らが指差し、ナラネも横目で指の先を見てみるが、別に変わった風も無く、いつもの宇宙である。
「―――あんまり人に言うなよ?」
「言ってねぇよ」
何が見えるのか知らないけれど、彼は勘がいいのかもしれない。
もしかして宇宙の亡霊でもいるのかな。
ナラネはそこで、ふと思い出したことがあった。
(誰だったかな―――)
どこかの宴会で聞いてたら覚えてない可能性もあるが、たぶん会社でだったと思う。
(でもあれは伝説だって言ってたよな)
そこで眠気が襲ってきたので、皿に載っている残りを口にほおばると、グラスを傾けて一気に飲み干した。
戻ったら、もう一件の大事な用事があるのを思い出したのだ。