011 [SCENE2]顕れた徴(しるし)
「今日のご機嫌はいかがですか」
髪を梳いてもらっているキアラを前に、ジョット軍曹が朝の挨拶に訪れた。
そうして人に傅かれている様は、いかにも高貴な身分のそれである。
幽閉である事実を除けば何一つ不自由しない優雅な暮らしだが、現実はそうもいかない。なぜなら彼女の身の回りを世話する女たちでさえ、監視役も務める現役の軍人だからだ。
男子禁制の『城』において、医師や特例以外の一般的な男が彼女と面会できる場所はこの食事をするところ以外に無い。
ジョットはいつも朝食の折に訪れ、彼女の様子を確認するのである。
「いつもと変わらないわ。本当に」
新鮮な果物を口に運びながら、少女は「今日のご機嫌」を無表情で答えた。
おそらく生まれてこの方、少しも変わらない光景なのだろう。
キアラの脇に座ったジョットの目前に、果汁の入ったグラスが置かれた。
別に彼が好きで頼んでいるわけでもないが、これがキアラの傍目付けになった連中への慣例となっているのである。
叶と引き離されてから非常に気分を害したとかで、三日間は出てこなかったので、周囲の人間は、ハラハラしながら彼女が出てくるのを待っていた。
「ですが」
グラスに口をつけて口腔内を潤す程度に果汁を含んだ後、ジョットが切り出す。
「昨夜も、病状の報告がありました」
キアラは黙々と食事を続ける。
「このところ回数が増えています。あの日の無理が祟ったのではありませんか」
「……」
「外出なさりたいなら、私にお申し付け下さい」
何処を見ているのか視点が何も無いところに定まっていたが、ジョットの物言いは勘に触ったかもしれない。
「言ってもダメだから、一人で出たんでしょ」
「キアラ様」
「もうずっと、こういうことばかりだもの、たまには冒険もいいかと思ったの。どうせ私は長くは持たないんだから。デジレにも言ってやったわ。厄介払いできるものね」
たぶんこれが彼女の精一杯の嫌がらせなんだろうが、内容が深刻なだけにジョットの顔は僅かに強張った。
「そんな事はありません。まだ先は長いのですから、自暴自棄になってしまわれないよう自愛ください」
「いいの。もういいのよ」
面倒くさくなったキアラは、それについての会話を打ち切りに入る。
「ね、もういいの。どういう事か知らないわけ無いでしょう?」
そこで今日初めてジョットの顔を見た。
その薄空色の瞳はしかし、それ以上の何かを含んでいた。
◇ ◇ ◇
―――キアラの住む『城』とは別棟の研究室で、デジレがなにやら熱心に書き物―――と言ってもコンソールを叩いているだけ―――をしていたが、ドアを開けて入ってきた助手のために、中断しなくてはならない事になった。
これはデジレ本人にとても重大なことだったが、年若い助手の顔をみて文句を言うのは止めた。
ただし、一言の皮肉を確実に投げつけられるのは、彼の性格上諦めてもらうしかない。
何しろその書き物とは、過日のキアラ脱走について研究者からの科学的見地を盛り込まなければならないもので、原因が判明したのでもないから、いかに本物に見えるか仮説を立てての報告書なのだ。
報告書が仮説で良いのか、と問われれば何とも言い難い。それだけ分からないことも多いし、キアラに強引な手を使って尋問するわけにも行かないだろう。それだけ彼女には複雑な理由があって、誰もが手をこまねき、考えあぐねているのだから。
「短い人生を自分の為に使ってはいけないのかね?」
彼は独身主義だったから言えるセリフなのだが、助手にはちくりとも刺さらなかったようである。
「―――先生、申し訳ありませんが、様子を御覧になっていただきたいと思いまして」
ずりおちそうな鼻眼鏡をした歳若い女が、デジレ自身の事など気にせず用を言いつける。
それを聞いたデジレは、多少害した気分もどこへやら、M字型の額をつるっと撫でると、席を立っていそいそと助手の後を歩くのであった。
「面白くなかったら戻るぞ、リョーコくん」
それはちょっと大人気ないと思うが、足取りが彼の心理状態を全面的に現している。
「いえ、私はリョウコです」
行く途中に、何があったか詳細を聞かないのがデジレの悪い癖だ。
彼の執務室から廊下を五十メートルほど歩いたところに警備が立っていて、出入りする人間を細かくチェックする。
一体どれくらいなのか、厚みのある頑丈な壁に囲まれて、ちょっとやそっとではネズミすら穴を開けられそうにない。
デジレでさえ此処を出入りするときは、全身をスキャンされて丸裸にされるのである。
ただこのスキャナは、健康診断もついでに出来るとあって評判は良いのだが。
警備兵が防護ガラスの向こう側で敬礼をする。
観ようによっては複雑に入り組んだ出入り口。あまりな体型には不向きのゲートを通りながら、金属のバーが幾つも並ぶ回転扉を手で押しのけた。
次に入ったブースで着衣の殺菌と微細な埃塵を取り払い、ようやく秘密の部屋にたどり着いたのであった。
あいだをパイプと機械に繋がれた透明なタンクが居並ぶ。その脇を歩きながら様子を見ていたが、途中でなにを見つけたか、近くにいた研究者に「このタンクの汚れが目立つから、装置の分解フィルターを確認するように」と注意した。
さすがにエキスパートだけあって、その洞察力、眼力の強さは誰も敵わないのだろう。スタッフが慌ててカバーを外して中に頭を突っ込んだ。
最奥には薄暗い光に照らされた大きなタンクが設置されて、中に何かが蠢いている。
胎児、いや、それにしては大きすぎるから、赤ん坊と言ったほうが正しいか。
羊水の中で計測用のコードを貼り付けられ、或いは体に刺しこまれて浮かぶ。
へその緒は上の方から垂れており、用途不明なナノチューブに繋がっていた。
デジレはその前で、いつものように研究者にありがちな満足感を得るため、腰に手を当てて暫く眺める。
「―――変わったところがあるのかね」
さすがの彼も、どこがどう異なるのか見つけられないようである。
やはり説明は来る途中で聞くべきか。
「寝返りを打った程度で、彼女自身に大きく変わったところはありませんが……ですから、それよりコレです」
助手がキューブ・メモリを受け皿に置くと、テーブルモニターに映し出された立体ビジョンには幾筋かの波打った線が現れた。
それは大きく、小さく、時に激しく、そして穏やかに、強弱をつけながら不定期な波を作り出している。
「―――これは? …この分かりにくい……」
「これには心拍数、心電図、脳波、脳磁図、筋電図の計測とパルスオキシメータなどの波形データを併せたものですが、この―――」
ホログラムに指を突っ込んで指し示したのは紫色の波形である。
触れた波形が太く大きくなった。
「これですね」
一瞬、怪訝そうに聞いていたデジレは目を見開いて、紫の波線に顔を近づけた。
「これ」
「ええ、コレです」
彼の部下は優秀でないはずがない。しかし、それでも耳は疑ってしまうのである。
「どこから」
「彼女ですよ」
「何かの間違い……ではないとは思うが、彼女がこれを何処から発振したんだ? と言うか、これは普通の脳波であって?」
立体に映し出された波形に視線を定めたまま、デジレは周りを歩き始めた。
「いや……君が、リョーコ君がそういうからには、別に何かあるんだろうな」
一瞬だけ沸騰した頭をすぐさまに収めて、素早く頭脳を回転させる。
「仰るとおりです。彼女の波形がとある形状に似ているのでは無いかと思い。ありとあらゆるデータを取り寄せました。それで重ね合わせたら、偶然とはいえこのように上手く重なったのです。どうでしょう先生、これは考えられますか?」
手元で操作すると、波線はここ一ヶ月ほどをまとめた流れに変わる。
そこに、別から取得した波を加えた。
「―――これは……ほぼ同期が取れているな」
「そうです、先生。」
「実に興味深い。同調している赤ん坊か……。しかし人類は居住している星の脈動の中、その影響を受けて育つのだから、あまりに通常の出来事であるとしか言えまい。だから影響下にあると考えねばならない。―――ところが、この共振が変化してきており、それに同調しているのだとしたら?!」
「その仮定も既に実証済みです」
助手は冷静に答えた。
「よかろう。これは単なる医療問題ではない。惑星気象局にも問い合わせるべきか、それともこの軍事施設をフルに使うべきか悩むところだが、私は自分の権限を執行することにした。司令官に話しに行く」