『祈り』
ランちゃんは、パパに拾われスーツケースに入れられてしまいました。
またママの元に戻ることになる。
ランちゃんはそう思って憂鬱でした。
スーツケースの闇の中で、ランちゃんは祈ります。
助けて…… 誰か僕を助けて……
何度も祈り続けていると、その闇の中に小さな光が現れました。
光は、ランちゃんに話しかけます。
『どうしたのじゃ』
ランちゃんは、光に何者か、と問いかけます。
『わしは精霊じゃ。ぬいぐるみの精霊』
そんなものがいるなんて聞いたことがない。
『と、とにかく。困っておるようじゃな。何が望みかな』
ランちゃんは「ピッ!」とタッチが出来なくなればいい、そう思っていました。
そうすれば、また、みーちゃんとお話しできる。
今までと同じ生活に戻れる。
『よろしい。ただし、その願いを叶えたら、二度とピッとタッチ出来なくなるぞ』
ランちゃんは頷きます。
闇の中に浮かぶ光の球は、ランちゃんの右手に近付いてきます。
光と右手が触れ合うと、光はランちゃんの右手の中に消えて行きました。
特に何かが変わったようには思えません。
確かめるには、一度やってみなければなりません。
ですが、もうママに連れられて『ピッ』とタッチするのは嫌です。
ランちゃんは、中からスーツケースを叩きます。
「ん? どうしたんだい」
パパはスーツケースからランちゃんを取り出しました。
ランちゃんは周囲を見回し、ジュースの自動販売機を見つけると、全身でジェスチャーを始めました。
パパは首を傾げながら、自動販売機にランちゃんを連れて行きます。
「ジュース飲みたいのかな?」
ランちゃんは頷きます。
パパは、小銭入れを出そうとするので、ランちゃんが全力でアピールします。
「今度はどうしたの?」
ランちゃんの必死のジェスチャーで、ランちゃんで『ピッ』とタッチしろ、ということが伝わりました。
「まずジュースを選んで、と」
金額が表示されて、読み取り部分が光ります。
パパは、ランちゃんをその読み取り部分に近づけました。
ハシッ、とランちゃんは右手をタッチします。
「……」
読み取り部分は何も反応しません。
ランちゃんはもう一度右手をタッチします。
ピトッ。
手が触れても「ピッ!」と言いません。
やった!
ランちゃんはガッツポーズをしました。
「ほら、やっぱり小銭がいるじゃないか」
パパが小銭入れからコインを探そうとするのを、ランちゃんが必死で止めます。
右手から不思議な『ピッ』とタッチする力、が無くなった。それが分かれば、もうジュースはいらないのです。
「?」
ランちゃんのジェスチャーで、パパはようやく小銭をしまいました。
パパのスーツのポケットに入れられ、ランちゃんはお家に帰ってきました。
迎えに出てきたママは、ランちゃんを見つけると、「お帰りなさい」も言わずに、ランちゃんを取りあげました。
「ママ、ランちゃん汚れているから洗おうと思っているんだけど」
「そんなことしたら壊れちゃうかも知れないでよ」
「丁寧に洗うから大丈夫だよ」
ママの心配は、そこではないようです。
「水に濡れたら、ピッとタッチ出来なくなっちゃうでしょ」
「ママ、なんでもかんでも、ランちゃんに払ってもらうの、良くないよ」
「……」
ランちゃんのお金を、まるで自分のもののように使うのは、よくないことだ、とパパは思っていました。
ママは拳を握って、パパに言い返します。
「そんな偉そうなこと言うなら、なんでも買えるぐらい稼いできてよ」
「えっ……」
パパは落ち込みました。
バタバタと手足を動かすランちゃんを、ママは強引にバッグに入れ、お家を出て行きました。
奥の部屋の扉が開きました。
「パパ?」
「みーちゃん」
「ランちゃん、いたの」
パパは頷きましたが、首を横に振りました。
「ランちゃんが、駅でぐったりしているところ見つけたんだけど、ママに取られちゃった」
「ランちゃんかわいそう」
パパとみーちゃんは、ママが出て行った玄関の扉を見つめました。