その夢は
「待てクソガキ!!」
「はぁ——はぁ——はぁ——」
干し肉の束を抱えた八歳の獣人の少年は、中年の男に追われクレスカント王国の王都を一心不乱に駆け回る。
「あっ、あれが良い!」
裏門のような場所を見つけたその少年は、小さな体をねじるようにして柵の隙間を通り、傍にあった草陰に隠れた。
「ちっ……あのスラムのクソガキ、どこに隠れやがった……! 見つけたらぶっ殺してやる……!」
男は門の外でしばらく少年を探し回ると、渋々諦めた様子で頭を搔きむしりながらその場を去っていった。
「よし……これでしばらくお腹が鳴らない」
少年はそう言って抱えていた干し肉を高く掲げた。
「あとは見つからずに帰るだけ」
気配を殺し、慣れた足取りで街の中を進んでいった少年は、王都にぽっかりと開いた直径三百メートルの穴の外周に取り付けられた今にも崩れそうな木製の足場に辿り着く。
「ふぅ……食料確保」
足場はデコボコの岩壁を伝い、少年が見下ろす奈落のスラム街へと螺旋状に続いていた。
彼は軽快な足取りで足場を降りて行き、ジメジメとした空気と腐臭が漂う街並みを駆け抜ける。
「とーちゃん、おなかすいたー」
「我慢しろ……」
「ままー、まほーってなーに?」
「どこでそんな言葉覚えたの、今すぐ忘れなさい」
「着いた……!」
あちこちの家から漏れてくる話し声を聞き流し、少年は継ぎ接ぎの布を被せただけの自宅へと飛び込んだ。
家に入るなり自分の寝床に座った少年は抱えていた干し肉の束から一つだけ大事そうに手に取ると、残りを自分の後ろに置き布団を被せた。
「これでよし……」
「いただきますっ」
少年は小さな笑みを浮かべ、干し肉をしばし見つめたあとで大きく口を開けた。
「うぅー……」
酒を片手にうめき声を上げながら突然家の中に入って来た大柄な獣人の男。
「おぉー……帰ってたのか、カイロン……」
「う、うん……おかえり父さん……」
少年は苦笑いをしながら頷いた。
「お……良いもん食ってるな……よこせ……」
「え、僕まだ食べてない……」
「いいからよこせ!」
「っ……!」
カイロンの手から干し肉を奪い取った男は、豪快にそれを嚙み千切りむしゃむしゃと食べ始めた。
「んー……酒が進むな……」
上を向き酒を口の中に流し込む彼の姿にカイロンは頭を抱えた。
「干し肉これだけか?」
「……うん、それだけ……」
すると男は、目を泳がせながら答えたカイロンを睨みつけ、その細い腕を掴んで無理やり立ち上がらせた。
「どけ」
カイロンの寝床を漁り、干し肉の束を見つけた男は一瞬だけねっとりとした笑みを浮かべたあと、舌打ちをして後ろに立つカイロンを再び睨みつけた。
「おまえ、誰に向かって嘘ついてやがる」
「ご……ごめんなさい……」
「父親に逆らってんじゃねーよ!」
「うぐっ!」
家の外に蹴り飛ばされたカイロンは、その場にうずくまり必死に痛みを堪えた。
「っ……いだい……うぅぅ……」
しばらくして立ち上がった彼は、紙屑や生ゴミが降ってくる地上を見上げてため息をつく。
「はぁ……また全部取られちゃった」
それから五年後のある日、彼は再び盗みで追われ王都を逃げ回っていた。
「待てゴラァー!」
「盗むタイミング間違えた……!」
通りを曲がったカイロンは近くにあった塀を軽々跳び越え、その先にあった草陰に身を潜めた。
「あのガキ! どこ行きやがった!」
「無駄だよー……」
ヒソヒソと呟き、しばらくそのままジッとしていると、カイロンを追っていた男は諦めてその場を去っていった。
「ったく、こりゃ今日の夕飯抜きだな」
「良かったー……諦めてくれた」
カイロンは果物の詰まった箱を抱えて安堵すると、ふと目の前に佇む巨大な建物を見上げる。
「魔法学園、だっけ……どんな感じなんだろ……」
そして、上の階に見える窓が開いていることに気付いたカイロンは無意識のうちに果物の箱を地べたに置き、好奇心に負けて建物の壁を登っていった。
開いている窓の元へと難なく辿り着いた彼は、人影がないことを外から確認すると、恐る恐る部屋の中へ忍び込んだ。
「……うわぁぁぁ……本が沢山ある……!」
初めて見る図書室の光景に感動し、カイロンは気付けば部屋の中をただただ歩き回り魔導書の背表紙を観賞していた。
「そういえば、文字ってどうやって読めばいいんだっけ?」
カイロンは目の前の本棚から適当に一冊を選び手に取ると、床に座って本の真ん中のページを開く。
「丸と四角……何の絵?」
最初にカイロンの目に止まったのは魔法陣だった。
しかし魔法すら見たことのない彼にとって、インクのみで描かれたそれはただの奇妙な図形に過ぎない。
「なにこれ……難しすぎだよ……」
床の上で魔導書を閉じてバタンと音を立てたカイロンは、その場に寝転がって天井を眺め始め——眠りに落ちてしまった。
「あのー……」
「あのー……」
「ん……」
カイロンがゆっくりと目を開けると、彼の視界に逆さの少女の顔が飛び込んでくる。
「——うわぁ!?」
思わず飛び起きたカイロンはそのまま床を這って後退りしてしまう。
「ぐっすり寝ていたところごめんなさい……そのー、誰ですか……?」
左袖に杖の紋章が縫い付けられた紺色のローブを羽織り、本を抱える少女。
「えっと……」
カイロンは寝起きで頭が働かず言葉を詰まらせる。
「ここの生徒じゃないですよね?」
すると、部屋の外から足音が近づきだし、少女は慌ててカイロンの汚れた手を握る。
「立ってください、こっちに……!」
「ま、待って……!」
急いで部屋の奥へと移動した二人は、息を潜めて足音が消えていくのを待った。
「もう大丈夫です」
「……勝手に入って、ごめんなさい」
「見つかったらどうするつもりだったんですか」
しょんぼりとするカイロンに、少女は優しくそう言った。
「初めて……」
「初めて?」
なかなか喋らないカイロンの言葉を少女は根気強く待つ。
「いっぱい本を見たから……読んでみたかったけど…………」
「読んでみたかったけど?」
「その……文字が読めなくて……」
その後会話が途切れ、初めて味わう気まずい空気に耐えられなくなったカイロンは思わずその場から逃げ出す。
「かっ、帰るよ! もう来ないから許して!」
「あのっ!」
少女の声が部屋に響き、走り出したばかりのカイロンは驚きのあまりすぐに立ち止まった。
「ど、どうしたの……?」
少女の方を振り返り、カイロンは戸惑いつつそう尋ねた。
「良かったら、文字——教えてあげましょうか!?」
思ってもいなかった彼女の台詞にカイロンは目を丸くした。
「……い、いいの!?」
彼は嬉しさのあまり一歩前に出て聞き返す。
「はい、私で良ければ……」
少女が照れくさそうにそう言うと、カイロンは思い切って彼女に近づいた。
「ありがとう、嬉しいよ!」
「そういえば、お名前は?」
「あ、あぁ……えーっと……」
これまで自分の名前を名乗る機会があまりなかったカイロンは再び言葉を詰まらせてしまう。
「僕の、名前は……カイロン」
「カイロン、素敵な名前ですね」
「そうかな……き、君は……何て名前なの?」
少女の笑顔を見て赤面したカイロンは思わず顔を逸らし、もじもじとしながら聞き返す。
「私の名前は————」
次の瞬間、少女の姿が暗闇へと飲み込まれていった。
「えっ!? 待って!!」
カイロンは慌てながら暗闇の中へと飛び込む。
しかし少女の姿はどこにもなく、彼はやみくもに暗闇の中を走り回る。
「待って! どこにいるの!?」
「返事をして! ————メリア!」
無意識のうちに頭の中に浮かんだその名を叫ぶと、カイロンを包んでいた暗闇は一瞬にして木目の美しい部屋へと姿を変えた。
「っ……?」
「横に居るのがオレで悪かったな」
ベッドの上で呆けているカイロンに対し、ジオは冷静にそう言った。
「ジオ……? ここで何してるの?」
「お前、ここがどこなのか分かってて言ってるんだろうな?」
ジオの台詞に首を傾げたカイロンはゆっくりと部屋の中を見回す。
「あれ……? ここどこ?」
「アウラード大森林にあるエルフの村のひとつだ。鉱床探しの途中でザフラと遭遇しただろ」
するとカイロンは黙り込み、自分の記憶を懸命に呼び起こす。
「…………そうだった! 北の岩山を隠れ家にしていたザフラとばったり遭遇して——ごめん、倒せなかったよ……」
記憶を思い出した途端に頭を抱えて謝るカイロン。
「本体だったのか?」
「多分ね。傷から普通に血を流してたから」
「そうか」
ジオは静かに立ち上がると、扉の方へと向かいながらカイロンを横目で見る。
「ネルマを呼んでくる。それまでに服を着ておけ」
「あ、うん……」
苦笑いをしたカイロンは思い出したように右の頬を触る。
「傷はネルマが治してくれたの? 毒の霧とかも結構浴びてたと思うんだけど」
「いや、この村にいる腕利きの治癒士が治したらしい。変わり者だったがな」
そう言ってジオは扉を開け部屋を出て行った。
「確実に死ぬと思ったけど、運が良かったんだ……」
カイロンはベッドのサイドテーブルに目をやり、綺麗に畳まれた服の上に置かれているひび割れた水晶を手に取る。
しかし水晶はカイロンが何度魔力を込めても光る気配がなかった。
「やっぱりダメだね」
そして水晶を手に持ったままうつむいたカイロンは、ふと先ほどまで見ていた夢を思い出す。
「せっかく忘れてたのに、何であんな夢見たんだろう……」
次回 『診療所』




