夜明け
あまりの音にネルマは思わず耳を塞ぐ。
しかしそれも束の間、絶叫はすぐに唸り声へと変わる。
絶叫を至近距離で受けたジオは暴れるラクリマの顔を掴んで浮遊していた。
「お前、精霊だな」
ひるんでいたネルマが声に反応し、再びジオのほうへ顔を向ける。
「お兄ちゃん!! 大丈夫!?」
「あぁ、ネルマは?」
「大丈夫、うるさかっただけ」
「そうか」
「あの、お兄ちゃんそれ……」
ネルマが暴れるラクリマを眺めながら指差す。
「あ、そうだったな。ついさっきまでは魔人の可能性も捨ててなかったんだが、今の絶叫で確信した。魔人はあくまでも人間だ。絶叫ひとつにしても声を魔法化する。だがお前の場合放たれた魔力が魔法に、そして絶叫に変わった。肉体を持たない精霊特有の声の出し方だ」
「精霊……珍しいね」
「完全に理性が抜け落ちてるみたいだからな、そっちのほうが驚きだ」
「いつまで掴んでるの……?」
「あぁ、少し待ってくれ」
掴んでいたラクリマが炎を纏い始め、その炎は次第にジオごと包み込む。
「別れの挨拶をする気はないが、代わりになぜオレがお前の絶叫を至近距離で受けて平気なのか教えてやる。オレは————」
ラクリマの体が虫に喰われるように穴が開き始める。
「————お前と同じだからだ」
そして、三百年ぶりに顕現し王都に混沌をもたらした精霊は塵ひとつ残らず消滅した。
ジオを包んでいた炎が消え、ネルマが浮遊して近づく。
「お疲れ様」
「ネルマもな」
「うん」
ネルマが王都に張っていた結界を解く。
「これで王都の奴らの錯乱も解けるだろ。それにしても寝たり叫んだり暴れたり忙しい奴だったな」
「思ったより弱かった。お兄ちゃんの前で急に叫んだときはびっくりしたけど」
「すごい顔してたぞ、あいつ」
「ちょっと見てみたかった」
「やめておけ……ボルドたちを手伝いに行くぞ」
「お兄ちゃん、ボルドからお仕置きされずに済んだね」
「あいつが逆にくたばってたりしてな」
「そういうこと言わない」
「……だな」
商業通りの店舗から治療を終えて出てきたボルドが空を二度見する。
「ん……? あ? おぉいサティア!! 結界がねぇ!!」
「え!? どういうこと!?」
慌てて飛び出たサティアもすぐに空を見上げる。
「ジオたちも、あの化け物も見当たらねぇ!!」
「どこ行っちゃったのかしら……さっきまで叫び声とか戦ってる音は聞こえてたのに……」
「探したぞお前ら」
通りの奥から聞こえた声に二人は歓喜する。
「おぉ! 二人とも無事だったか!」
「ネルマちゃん!!」
「サティアさん!」
ネルマに向かって全力疾走で飛び込んだサティアはひたすらに抱きしめる。
「治療は終わったのか?」
「ん~無事で良かったわ~」
「この辺りはな。東のあたりがまだ終わってねぇ」
「く……くる…………しぃ」
ネルマの抵抗が弱まりだすのを見たボルドが横目で注意する。
「おいサティア、そのへんにしとけ」
「あ~! ごめんなさいネルマちゃん!」
「ぷぁ! はぁ……はぁ……凶器…………!」
「サティア、まだ治癒魔法使えるか?」
「ごめんなさい、あと数人分くらいの魔力しか残ってないわ」
「手分けってわけにもいかないな……とりあえず重傷者を優先して探すぞ。ネルマも治療頼めるか?」
「うん、任せて」
王都中の負傷者の手当てが済んだころには夜明けが近づき、ジオたち一行はサティアの店に戻る道中だった。
「ふぅ~……もう朝になるぜ……皆お疲れさん」
「眠い」
「もう私無理だわ……それになんでジオくんは平気なのよぉ」
「悪いがオレはたいして役に立ってないからな」
特にボルドとサティアの目の下にはくっきりとクマができていた
「化け物倒してよく言うぜ」
「ほんとよ」
「でもよ、死人が出なくて良かったな。ジオたちが頑張ってくれたおかげだぜ」
「それはオレたち二人じゃ無理な話だ」
「皆が頑張った」
まんざらでもない顔で照れるボルド。
「お、おぉ……そうだな」
「ネルマちゃんいい子ね、私泣いていいかしら……」
「あの叫び声でお腹いっぱいなんだが」
心底嫌そうな顔をするジオにサティアはすかさず言い返す。
「あんなはしたない泣き方しないわよ!」
「とりあえず昼まで寝ようぜ、ネルマはサティアの家か?」
「当然よ! おいで~ネルマちゃん」
「お邪魔します」
店の前に着くなり扉を開けネルマを中へ促す。
「情緒不安定かよ……」
「あなた覚えてなさいよ?」
ボルドが顔を引きつらせて唾を飲む。
「寝首を搔かれないように気をつけるんだな」
「お前も他人事じゃないぜ?」
ボルドが逃がさんとばかりにその場を離れようとするジオの肩に肘を乗せる。
「泊るなんてひとことも————」
「泊めなきゃ本当に寝首を掻かれるんだよ……」
「どういう意味だよ」
薄明るい空の下、店の前で飛び交う話の中に聞き覚えのない女の声が響く。
「お取込み中失礼します、ジオさま御一行で間違いないですか?」
空色の瞳と長髪、黒のローブに身を包んでいる。
「人違いだ」
「ちょっとジオくん!」
「否定した側から……」
「どちら様かしら? 要件なら私が聞くわ」
気を利かせたサティアが前に出る。
「失礼ながらここでは名乗り辛いので場所を……」
「じゃぁウチで話しましょう、入ってちょうだい」
「おぃ! 入れて大丈夫か!?」
「なにかしようとしたらお店ごと吹っ飛ばすわ」
女が微笑みながら頭を下げる。
「助かります」
「オレの話も聞いてくれ……」
「お店吹っ飛ばさないでね」
店主よりも店を大切にするネルマだった——
サティアの店に入った五人は再び話を始める。
「良い雰囲気のお店ですね」
「あらどうも。それで、あなたは?」
警戒心を絶やさないサティアは女の言葉を流す。
「まずはお礼から。我々に代わり、一国を滅ぼすほどの力を持つ厄災級に指定された存在を討ち、王都に住む人々の命を救ってくれたことに感謝します」
ジオの眉間にしわが寄り、女はそのまま続けた。
「私の名はヴィスタシア、カルゲル島独立ギルド『ガレーネ』の代表として、ここに来ました」
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