魔導書
挨拶を終えると、サティアは左手を頬に当て小動物を見るような笑顔で告げる。
「ネルマちゃん、今日手伝ってくれたお礼に、置いてある魔導書好きなだけ読んでいいわよ」
「んっ……ありがとうございます」
心なしか早歩きで並べられた本の世界へ吸い込まれていくネルマを見つめながらサティアは呟く。
「尊いわ」
「始まったぜ……」
ボルドもまたネルマの方を眺めながら呟く。
そんな二人を気にすることなくジオが口を開く。
「サティア、ありがとう。ネルマがまた本に囲まれる日が来るとは思わなかった」
「いいのよ、これはお礼だから。うふふ……」
「店主がこれだと従業員がまともに見えるな」
「おい、いろいろ訂正させてもらおうか? ところでよ、普通の本と魔導書って何が違うんだ?」
ボルドの質問が耳にすら入っていないサティアの様子を見たジオが質問に答える。
「まず魔法使いの持つ杖についてだが、あれは魔法にとっての起点、体にある魔力にとっての目印って言えばイメージしやすいかもな。加えて魔法の不発や暴発を防いで安定化させるものでもある。高価なものは威力も上がったりする。ここまではいいか?」
「お、おぅ……」
ボルドの眉間にしわが寄り始める。
「それに対して魔導書の方はそこに書かれてある知識が魔法使いをサポートしてくれる存在。例えば炎魔法について書かれた魔導書を持つと、炎魔法が得意な奴は魔力消費が少なくなったり、詠唱が短く済むようになったりする。逆に苦手な奴は、平均以下の威力だったのが魔導書の助けで威力が少し上がったりする。つまり、普通の本も魔導書も読むための本ではあるが、魔導書は一種の杖の役割も持つってことだ」
「な、なんとか理解したぜ……」
「信用できないな……」
「で、ネルマが腰に提げてるのは魔導書か?」
「そうなんだが、ネルマの場合は使い方が特殊だから詳しい話は本人に直接聞いてみてくれ」
「ほぉ、それは気になるぜ。難しい話じゃないといいけど」
「ちなみにだが杖も魔導書も、魔道具職人、通称『魔工士』が専門の魔法を用いて作ってる。魔物の素材が使われることもある……今日採ってきた素材もそのためじゃないか?」
「あー、よくここに来て俺の採ってきた素材持っていく小さい女の子がいてな。その子が魔工士かな」
「ねぇ、ジオくん」
少し険しい表情でサティアが話に割って入る。
「サティア、その呼び方どうも慣れないんだが」
「そんなことはいいの」
「気にしたら負けか」
「あなた魔法について妙に詳しくない?ネルマちゃんの魔導書の使い方も特殊って……」
「オレもネルマもそれなりに勉強したつもりだからな。ていうかずっと会話聞いてたんだな」
「それにしても、どこかで聞いたことがあるのよね。二人の名前……」
サティアはそのうちランプに薄く照らされる天井に仰ぎはじめ————
「アサナシア兄妹!!」
「わぁ! ビビったぜ……」
サティアの声に飛び上がったボルドは彼女の方を見て固まった。
「はぁ…………できれば気づかないでくれると気が楽だったんだが」
「なんだ、有名人なのか?」
固まっていたボルドが姿勢を戻し眉を上げて問う。
「クレスカント王国にある魔法学園の去年の首席ネルマちゃんと、その二つ前の首席ジオ君よ!!」
「首席ぃ!?」
またしても固まるボルド。
「首席は毎年、六回生から選ばれるけど、ジオくんは三回生で既に首席以上の実力だったそうよ。その少し後に妹のネルマちゃんの噂も聞いたわ。首席が違うから基準も違うけど、たしか二回生で既に首席以上だったって聞いたわ」
「俺とんでもない奴に声かけてたのか、そりゃ魔物と戦うのも息ぴったりなわけだ」
「あ~私も見たかったな~」
ボルドもサティアも頭をかかえる。
「息ぴったりはこっちの台詞だ」
ジオにそう言われた二人は思い出したように手を引っ込め無言でにらみ合ったあとで同時によそを向いた。
「それはそうと、卒業後の噂を全く聞かなかったけど?」
「シナーフ村に帰ったからな。学園に行ったのも、村を出たいとか外で働きたいとかそういうわけじゃなくて、強くなりたい、魔法を学びたいっていう単純な欲だ」
「でもよ、思い返してみればジオは今日魔法使ってなかったぜ? 理由でもあるのか?」
「あのくらい魔法を使わなくても狩れる」
「さすがね、無駄に大きな剣を背負ってる男とは違うわ」
「おい、無駄にってなんだ」
「他の部分は否定しないんだな」
「ジオ、話をややこしくするんじゃねぇ」
変わらないペースで話すジオとその二人に、ネルマは魔導書を読みながらも笑みを浮かべていた——
「ちなみに、この店主サティアも魔法学園の卒業生よっ」
「オレとネルマの先輩ってことか」
「そうなるのかしらね。このお店にも卒業生が何人か足を運んでくれたりしてるからそのときにあなた達兄妹の話を耳にしたのよ」
「そういうことか……」
「心配しないで、私もボルドも口外しないから」
「そうだぜ?」
「ありがとう、助かる」
気づけば店のカーテンの隙間から射す光はなくなっていた。
「もう夜ね、長々と立ち話をさせちゃったお詫びに私の奢りで食べに行きましょう。手料理じゃなくてごめんなさいね、魔導書に料理の匂いがついちゃうから家ではほとんど作らないの。決して下手なわけじゃないのよ?」
「それは嬉しいが、もう少し上手く嘘をついたらどうだ」
「嘘じゃないわよ!!」
「ジオ、触れてやるな」
「あんたは黙ってなさいっ!!」
「ウガッ——ゲホゲホッ」
サティアの拳が迷いなくボルドの防具の守りが及ばない箇所に入る。
「ネルマちゃーん、ごはん食べに行かなーい? 魔導書は明日また読みに来てもいいわよー、なんなら今日泊って読んでもいいわよー、うふふ」
「わかった、今日お泊りさせてもらう」
奥で魔導書の閉じられる音がしてネルマが小走りで現れる。
「……勝手に話が決まったんだが」
はっとしたジオが呟く。
「じゃぁジオは明日俺に付き合えよ」
「あ?」
「暇じゃないとは言わせないぜ?」
「否定しても無駄か……」
「分ってるじゃねぇか」
「はぁ……」
魔導書店を出た四人は商業通りの端にある酒場に向かい食事を共にしたあと、ネルマの希望通りサティアの家に泊ることとなった。
一方、ネルマを気遣い一人で宿に泊まると言ったジオだったが、サティアの独断でボルドの家に泊ることとなった————
次回 『休日』