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水泳部の呪い

作者: 孔明の罠

 



 水野怜治みずのれいじは僕の親友である。競泳なら誰にも負けない、僕の憧れの存在でもある。

 その親友が、おそらくこれまでの人生で例を見ないほどの窮地に立たされている。それも、得意としているはずの競泳で。

 

「村上さーん!ファイトー!」

「チャンスだよー!やっちゃえーっ!」

「水野くんさえ落とせたら、もう男子水泳部なんて烏合の衆だよー!」

 

 女子の歓声がこの上なく煩わしい。

 だから僕はせめて、これらの金切り声だけでも取り払って、今の怜治を奮い立たせてやろうと声を荒げた。

 

「怜治!僕はお前との約束!忘れてないからな!絶対に勝てよっ!!」

 

 男子水泳部の絶対的エース。

 男子部員の誰しもが目標としていて、部内戦では全戦全勝。男子水泳部のリーダーとしても信頼が厚い。……しかしそんな彼はついぞ、僕の激励に振り向くことはなかった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 僕こと佐藤洋さとうようの通うTS高校に限った話でもないだろうけど、水泳部というものは当然、男子と女子とに分かれて形成されているものだ。

 しかしそんな我が校にはひとつだけ、他校とは比較にならないほどの、とても大きな特異点がある。それは、男子部員の女子化。

 

 もう何十年にも遡るらしいけど、同じ水泳部にもかかわらず男子と女子とであまりに険悪な関係が続いていたらしい。

 そんななか、勢いに任せた男子のひとりが悪戯で女子に足を掛け、転倒した女子は打ち所が悪く亡くなってしまったそう。

 

 それ以来、その女子の呪いとでも言えばいいのか、男子部員が女子部員に競泳で負けると、なぜか女子に変わってしまうようになったらしい。

 当時の僕は何を馬鹿なと鼻で笑って聞き流していたけど、しかしその呪いは、どうやら本当らしかった。

 さらに言うと、女子に変わってしまう危険はそれだけではない。

 まず、勝負を挑まれた男子は、その申し出を断ることができない。

僕自身でも目の当たりにした。断った瞬間、僕の友人は目の前で女子になってしまった。

 次に、入部したら最後、男子としての退部は許されない。

 性別を賭けてまで部活なんて続けたくないと言って退部届を提出した部員もいた……いたけど、その子は翌日なぜか女子になっていて、女子水泳部に改めて入部していた。

 

 この呪いは女子が勝負を挑んでこなければいいだけのものなのに、忌わしい事に男子と女子との仲違いは、僕らの代になっても変わらないままだ。

 不幸中の幸いなのが、女子が勝負を挑めるのは1日に1度きりという制限だ。

 これならマグレで負ける確率は減るし、数の有利を使った総当たりでの持久戦なんかはできない。

 基本的に水泳は女子より男子のほうが早い。

 だいたい男子部員は毎年15人くらいいるけど、3年生である僕たちがこれまで目の当たりにした呪いの犠牲者は5人。今年は今のところまだ0人。

 さらに言うとその中でさっき話した2人を除けば、実際に勝負に負けて女子化した部員はわずか3人。

 正直な話、ここまで生き残ってきた僕らが今さら負けるはずはないと思っていた。

 

 ある日の部活終わりに怜治が言った。

 

 

「ヨウ。俺たちは男のままで、全国の舞台に立つぞ。約束な」

「うん、約束だ」

 

 

 当時の僕は、それは当然に叶うものだと信じて疑っていなかった。

 怜治はとても優秀な選手だし。自分で言うのもなんだけど、僕もそこそこ強い自信があった。

 

 事態が急変したのは2日前のことだ。

 

「怜治、大丈夫?」

「おう、ヨウか。なんてことない。1ヶ月ありゃ完治するってよ」

 

 怜治が交通事故に遭った。

 命に別状はないらしいけど足の調子が悪いみたいで、大会が近いこのタイミングだと泳ぎにけっこう響きそうだ。

 しかし怜治の実力を考えたら、このくらいの逆境は容易にはね除けるだろうという安心感もあった。

 ……しかしそんな僕の慢心は、今にして思えばとんでもなく悠長なものだったのだ。

 

 事故の翌日、怜治が女子に勝負を挑まれた。

 

「おい!怪我人を相手にそれは卑怯じゃないか!」

 

 僕は叫んだ。安静第一の怪我人に「泳げ」なんて言ってきたのだ。これに腹が立たないわけがない。

 

「佐藤くんには聞いてないよ。私たちは水野くんと話をしてるの」

「まあ汚いっちゃ汚いでしょうけど……でも、今ここで水野くんを落としておけば、女の子にした水野くんで残りの男子も一掃できちゃうかもだし」

 

 そんなふざけたことをぬかす連中の後ろから、ひとりの女子が前に出てきた。

 かつての男友達……以前勝負に負けて、女子にされてしまった村上さんだ。

 

「別に泳がなくてもいいんだよ?勝負から逃げちゃえばいいの。そりゃ患者はやっぱり安静にしてないと、ね。どう、水野くん?」

 

 すっかり女子水泳部員として定着してしまったらしい村上さんを見て、やるせない気持ちがこみ上げてくる。

 彼女もまた、最悪のタイミングで勝負を挑まれ、負けてしまった元男子だ。

 かつて彼が勝負に臨む際、男子部員の仲間に言ったセリフを、僕は今でも覚えている。

 

 

 

『心配すんな。風邪引いたってくらいで負けやしねえよ。卑怯な女子どもなんて目じゃねぇってこと、俺が知らしめてくるぜ』

 

 

 

 しかし、彼は負けて、彼女になった。

勝負が終わり女子に変えられてしまったあとに、彼女は言った。

 

『わたし、どんな手を使っても、君たちを女子部員にしてみせるから』

 

 思考まですっかり女子に染まってしまった村上さんは挑発的な笑みを浮かべたあと、当然のように女子の集団に入り込んでいってしまった。

 

 

 

 

 

「村上さんえげつないよね」

「でも頼もしいよ、やっぱ女の子に変えといてよかったー」

 

 女子たちを代表するかのように前に立ち胸を張る村上さん。かつて同じ男子としてともに励み合った戦友が、こうまで変わってしまうものなのか。

 

 あたりが静まり返るなか、怜治がその口を開いた。

 

「わかった。……受けるよ、その勝負」

 

 怜治に……僕たち男子に、選択権なんてなかった。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 勝負は終わった。

 男子部員が固唾を飲んで見守る中、僕の親友、水野怜治は負けた。

 勝てるわけがなかった。いくらあの怜治でも、いくら相手が女子でも、泳ぐのに足をうまく動かせないんじゃ。

 

 水面から上がった怜治が、僕を見ている。震える足でふらつきながら、こちらに近づいてくる。

 

「れ、怜治……」

「……」

 

 怜治は口を開かない。朧げなその表情からは、彼の内心を計り知ることができない。

 怜治が僕の目の前に立つ。

 彼は、とても悔しそうにしていた。

 悔しそうに唇を噛みながら、怜治は最期にこう言った。

 

 

 

「ヨウ……お前は、負けるなよ」

 

 

 

 乾いた笑みを僕に見せた怜治が、瞬間、大きく痙攣したように見えた。

 着ていた水着は光の粒子となって霧散し、露わになった彼の身体が、徐々にその変化を始めた。

 

 よく鍛えられていたはずの身体はみるみるうちに縮こまり、女性としての丸みを帯び始める。

 角ばっていたはずの顔は小さく丸く。

 切れ長の瞳は自然と大きな垂れ目に。

 眉は薄く細く、品のあるものに。

 伸びた睫毛が行き場を無くしたかのように釣り上がり、女子らしい印象を強調させる。

 口元は小さく、しかしその唇は見る人の目を吸い寄せる魅惑を放つ。

 癖のあった髪の毛がさらさらとしなやかに変わる。馴染みの短髪がうねりだし、肩にかかるまでに伸びる。地毛として茶色がかっていたそれは黒く艶やかに染まり、絹のような美しさを見せる。

 

 男らしかった肩幅の広さは狭まり、撫でるような弧を描いて収まる。

 自慢であった腕の筋肉はふっくらとしたものに変わり、細くしなやかに落ち着いていく。その手はまるで力仕事とは無縁のように綺麗で柔和な様相を見せる。

 胸部にはとても手のひらで覆えないほどの膨らみが現れている。白く瑞々しく映えるその肌質は、主が年頃の女であることを物語っている。その中心では鮮やかな桃のつぼみが自らの存在をささやかに主張している。

 臀部は控えめながらも盛り上がり、腰回りには健康的なくびれが現れる。

 そこから伸びる脚は細く美しく、洗練された女性としての色気を醸し出している。

 

 身体の変化が完全に落ち着いたころには、霧散したはずの水着が再構築され、まるで彼女の双丘を保護するかのように伸び広がり肩にまで及び、すっかり女子用の水着としてその女体を包み込んだ。

 

 若干のあどけなさこそ残っているが、高校3年生という大人への前段階らしい身体。その至るところから彼女が女性であることの証が見つかる。

 スタイルを露わにしたその水着姿と、身にまとう水の雫が彼女の身体を艶美に映していた。

 

 そんな怜治の変化を尻目に、勝負に勝った村上さんは晴れやかな表情で女子部員たちに語りかけ始めた。

 

「我らが女子水泳部に期待の選手が入部しました!11人目のメンバーです!まずは自己紹介をしてもらいましょう!」

 

 変化を終えてぼんやりと女の子座りをしていた僕の親友は、しかし村上さんにそう言われた途端に生気を取り戻し立ち上がった。

 

「はい!水野玲奈と言いますっ!」

 

 女子らしい綺麗なソプラノの声で紡がれる言葉の数々。元の彼女からはあまり想像のできない、明るく快活な性格。

 

 趣味はカラオケ?違うだろ、お前の趣味はゲームだろ?

 甘いものが好き?ありえない、お前はそれを苦手だと言っていたはずだ。

 可愛い服をたくさん着たい?嘘だ、お前はもともと、男だったんだから……。

 

 僕の心情になどまるで気にも留めず、彼女は自身の紹介を続ける。満更でもなさそうに、はにかみながら……。

 

「わたしは女子として、男子水泳部の皆さん……えーっと、今いる14人の全員を絶対に女の子に変えてみせますっ。それが、今まで私が女子のみんなを邪魔してきちゃったことへの償いだと思うから……わたし、精一杯頑張ります!これからよろしくお願いしますっ!」

 

 溢れんばかりの歓声を受け恥ずかしそうに、それでいてとても満足そうに手を振って応える僕の親友……いや、親友だった女の子。

 ふと、彼女と目があった。それから彼女は口元に指を当てて、幾ばくかの間のあとにその指を僕に向けた。

「まずは明日、ヨウくんと勝負して彼をわたしたちの仲間にします!」

 

 周囲がざわめく。女子から男子への、拒否のできない挑戦宣言だ。

 それを親友から突き立てられる日が来るとは、まさか思いもしなかったが。

 

 しかし。しかしである。

 

「足は……?」

 

 たしか足を完治するのには1ヶ月ほどかかると言っていた。

 昨日の今日で勝負なんかできるはずもない。

 

「足?んー……なんか治っちゃったみたい」

 

 呪いの効果なのだろうか、彼女はそう言って事もなげに足をプラプラさせてみせた。

 唖然として親友の完治を喜べずにいる僕に対して、彼女は気恥ずかしそうに語り始めた。

 

 

「ヨウくん。ヨウくんがあのときの約束を覚えててくれたの、わたしすっごく嬉しかった」

 

 

 

『ヨウ。俺たちは男のままで、全国の舞台に立つぞ。約束な』

 

『怜治!僕はお前との約束、忘れてないからな!絶対に勝てよっ!!』

 

 

 

 約束……それははたして、今でもなお有効なものなのだろうか。

 僕が約束したものはなんだ?僕が約束した人は誰だ?

 

 不安に揺れる僕をよそに、彼女は朗らかに話を続けた。

 

「だからわたし、約束のために頑張るよ。ヨウくんと一緒に、この水泳部のみんなで」

 

 本人にその気があるのかは分からないけど、僕と彼女が一緒にということは、つまりそういうことになる。

 これは宣戦布告だ。先ほどまでのスピーチが一種の冗談なのではないかとどこかで期待していた。しかし、そんなわけがなかった。

 

「やろうよ、ね?もちろんヨウくんだけじゃないよ。男子のみんなも一緒にさ」

 

 僕だけではない。男子の全員に緊張が走る。

 今でこそ女の子の身体。とはいえ、元々が僕らの絶対的エース。

 

 僕らは彼女から、はたして逃げ切れるのだろうか。

 

 

「女子水泳部で全国、頑張って目指そっ?」

 

 

 もし赤の他人として、街で見かけでもしたら惚れていたかもしれない……そんなとびっきり可愛らしい笑顔を向けながら、彼女は僕たちの敵になった。

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 インターハイ当日。

 ついに全国にまで来た。それもこれも私の親友にして女子水泳部のエース、水野玲奈のおかげだ。

 感慨深く会場を見回していると、ここまで勝ち上がれた喜びと安堵が顔に出てしまったのか、隣にいる当人が私に文句を言ってきた。

 

「ヨウちゃん、もしかしてもう満足しちゃってたりしないよね?そんなんじゃダメです、次は目指せ、全国優勝だよっ」

 

 相変わらず頼もしい限りだ。

 

「でもここまで来るのは流石に苦労したよね。わたし正直、水野さんさえいてくれたらけっこう楽勝だって思ってたよ、甘かった」

 

 そう言っておどけて見せるのは私たちの中で実質リーダーの立場にいる村上ちゃん。

 みんなをチームとしてまとめてくれている影の功労者だ。

 

「だから佐藤さんには感謝してもしきれないよほんと」

「ねー。玲奈ちゃんに続く二番手エースの洋子ちゃん、我が部が誇る最強のタッグだね」

「ほんとほんと、佐藤さんいてくれなかったら私たちたぶん今ここにいなかったもん」

 

 唐突にそんなことを言い出した村上ちゃんに追従して、みんなして私のことを褒めそやし始めた。

 

「ちょっともう、からかわないでよ。そりゃ私だって玲奈との約束もあったし、けっこう頑張ってきたつもりだけど……それでもここまで来れたのは、やっぱりみんなのおかげ……そうでしょ?」

 

 ここにいる25人の部員全員に向けて、私は強気な笑顔で至って真面目に返してやった。

 そんな私を見て、みんなも笑顔でそれに頷き返してくれた。

 

「ts高校水泳部の選手、そろそろお時間です」

「よしっ、行こう!」

 

 目指せ優勝。玲奈は冗談で言ったのかもしれないけど、このチームでなら……私は自分の胸に手を当てて、ここにいる女子全員のために精一杯頑張ろうと改めて決意した。

 

 

「やるよ!玲奈!」

「がんばろっ!ヨウちゃん!」

 

 

 私たち女子水泳部の伝説は、まだ始まったばっかりだ。




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