呪われたスパルタ人 7
「四度目!?」
さすがのホメロスも、これには声を高くした。
「そいつは穏やかじゃありませんな。くわしく話してください」
「一度目は、先ほど話した一件だ。あれは……もう、二十年ちかくも前のことであったが。
二度目が起きたのは、昨年だ。アレウスが、スパルタの代表としてわしの戦車を駆り、オリンピアの競技祭に出場することが決まってすぐのことだった。おびただしい数の、ねずみが死んだ」
「ねずみ?」
ホメロスは、かるく目を見ひらいた。
「どこで、です?」
「わしの屋敷でだ」
「ねずみ……そうですか。しかし、ある意味では、退治する手間がはぶけたともいえますね」
「だが、尋常でない数が死んだのだ。家のそこらじゅうに、口や鼻に泡をこびりつかせたねずみの死骸が転がっていた。不審に思って調べさせると、屋敷の門のそばに、呪詛板が埋められていた。そこには、死を呼ぶ呪文が刻まれていたのだ」
「埋められていた?」
ホメロスの目が光った。
「では、あなたは、はじめから呪詛板が埋められているはずだとにらんで、そこらじゅうの地面を掘りかえさせたのですか?」
「そんなことはせぬ」
「では、どのようにして、そこに呪詛板が埋まっているとお知りになったのです?」
「地面の様子でだ」
アルケシラオス殿は、わずかにいらだちをにじませた口調で答えた。
「色がちがっていた。あきらかに、地面を掘りかえし、埋めもどしたような跡だった」
「なるほど」
ホメロスは椅子のうえで身を乗りだし、指を突きあわせた。
「どうぞ、続けてください! これは非常に興味ぶかい事件です」
「三度目は、メランプースの兄弟犬が死んだ」
「いつ、どこで?」
「あれは、こちらへ出立する直前のことだった。わしの屋敷でだ」
「その気の毒な犬は、どのようにして死んだのです?」
「ねずみのときと同じだ。泡をふき、手足をつっぱらせていた」
「そして、また、呪詛板が?」
「その通りだ。またしても、家のそばに呪詛板が埋められていた」
「あなたは、それらの呪詛板を埋めた、あるいは埋めさせた者は、さきほどおっしゃった……カマリナのプサウミスという人物であると考えておられるのですね?」
「そうだ。わしらが、やつの出場を知ったのと同様に、やつも、わしらの出場を知ったはずだ。人のうわさは矢よりも速いからな」
「なるほど」
ホメロスの口もとには、あるかなしかの微笑がうかび、見ようによっては、この事態をおもしろがっているのではないかとさえ取られかねない表情だった。
「一度目の事件から二十年ほども経って、二度目はねずみ、三度目は犬か。事態は、徐々に深刻さの度合いを増してきたというわけですな」
「そのとおり。そして、今朝、息子本人を呪う呪詛板が見つかった。試合は明後日だ。スパルタの男としてあるまじきことかもしれぬが、わしは、息子の身が心配でならぬ」
「血を分けた家族ならば、当然のことです。ところで、息子さんが乗る戦車には、むろん、じゅうぶんな見張りをつけておられるのでしょうな?」
「厳重にな。古くから仕えている、ためしずみの奴隷たちばかりだ」
「馬のほうは? かつて、競走馬の腱に、ひそかに小さな傷をつけ、勝てなくしようと企んだ例がありました」
「馬たちも、おなじように見張らせている。だが、人間による見張りで、呪いの力をふせぐことなど、できるものか――」
「少なくとも、物理的な妨害工作をふせぐことはできます」
ホメロスは、その灰色の目で、まっすぐにアルケシラオス殿を見すえた。
「お忘れですか? 息子さんは、何者かによって後頭部を殴られたのですよ。これが超自然的な現象などではなく、生身の人間の手による犯罪であることには、疑いの余地はありません。
私と出会ったとき、アレウス君は、たった一人でいました。戦車と馬たちにはじゅうぶんな見張りをつけておきながら、なぜ、もっとも大切な息子さんには、護衛をつけておかれなかったのです? あなたは先ほど、息子さんが心配でならないとおっしゃったが、率直に申しあげれば、僕には、そうとは信じられませんな」
アルケシラオス殿の目に怒りがひらめいた。
だが、その光はすぐに消え、アルケシラオス殿は、にがい顔で首をふった。
「手厳しいな。だが、今となっては、そなたのいうことが正しい」
「なぜ、護衛をつけずに?」
「スパルタの男が、呪いに怯えて守りをかためているなどと噂になっては、息子のためにならぬからだ。我らは、死をおそれず、危難にとりまかれても平然とした態度をくずさぬことによって、よその者たちからの尊敬を勝ち得ているのだ」
ホメロスは、一瞬「くだらぬことです」と言いたげな身ぶりを見せた。
だが、声に出しては「ああ」とだけ言い、急に勢いよく立ちあがって、アルケシラオス殿を見た。
「僕は、息子さんにかかわる問題を解決すると申しあげました。さっそく、仕事にかかります。
まずは、僕がしばらくのあいだアレウス君と行動を共にすることをゆるしていただきたい。むろん、必要なかぎりにおいて、ですが」
「よかろう。そなたを連れてきたのは息子だ。あれも受け入れるだろう」
「では、さっそくここへアレウス君を呼んで、今後の――」
ホメロスがそう言いかけたまさにそのとき、天幕の入口から、当のアレウスが姿をあらわした。
「父上。客人です」
そう告げたアレウスの表情は、感情を容易にあらわさぬといわれるスパルタ人の基準に照らせば、あからさまに不愉快そうに見えた。
そして、客人とはどこの誰かと父親が問うよりもはやく、先を続けた。
「カマリナのプサウミス殿がお見えになりました」