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呪われたスパルタ人 2

「では」


 するどい目の男は、不意にそうつぶやくと、地面に転がっていた亀の死骸を持ちあげ、ひげづらの男のほうへ突き出した。


「かいでみたまえ」


「は?」


 鋭い目に正面から見据えられ、ひげづらは、怯えたように後ずさった。


「なんだよ、いやだよ。なんで俺が、亀の死骸なんか、かがなきゃならねえんだよ」


「いいから、とにかく、かいでみたまえ」


 するどい目の男は地面の様子をちらりと確認すると、大股に進み出て、ひげづらの目の前に亀をさし出した。


「なんだってんだよ……って、オヴェッ! くッせえッ! ゴエェッ」


「このにおいが何を意味するか、わかるかね?」


 悶絶するひげづらには構わず、するどい目の男は亀の死骸を地面に置き、砂を取りあげて、神経質に両手をこすりあわせながら言った。


「腐敗が進んでいる証拠だ。この死骸は、ひどく腐って・・・いるんだ。この暑さを考慮にいれるとしても、腐敗の進みぐあいからして、この亀が、たったいま落下してきて死んだところだなどとは、とても考えられない。明らかに、もっと前から死んでおり、いま、何者かによって、ここに転がされたのだ」


「なっ……」


 ひどく実証的かつ論理的な言葉に、野次馬たちは不意に理性の光に照らされたかのような顔で、するどい目の男を見つめた。


「なんの、ために?」


「いままさに君たちが述べていたような、誤った推理を行わせるためさ」


「えっ……だから、なんのために?」


「真犯人が、亀とヒゲワシとに罪をなすりつけ、みずからの身の安全をはかるためさ!」


 話しているうちに興奮してきたらしく、するどい目の男は叫んだ。


「この亀は、死んでからかなりの時間が経過しているにもかかわらず、虫や鳥に食い荒らされた形跡もなく、いまここに転がっている。いかにも不自然だ。人の手によるものとしか考えられない。すなわち、この亀の存在こそは、この一件が事故などではなく、何者かによる計画的な・・・・犯罪・・であることを意味しているんだ!」


「あんたは……」


 哲学者風の老人が、あっけにとられた一同の心を代弁してたずねた。


「いったい、何者なんじゃ?」


「僕はシャーロ…………いや。ホー……いや」


 いきおいよく言いかけたかと思うと、なぜか一瞬言いよどんだ男は、しかし、


ホメロス・・・・だ」


 すぐに昂然と顔をあげ、言いはなった。


「僕の名は、ホメロス。余人が知らないことを、いろいろと知っている男さ」


「豪勢な名だ」


 不意に、低い声が、はっきりとそう言った。

 野次馬たちのだれひとりとして、その声を発したのがだれなのか、すぐには理解できなかった。


「偉大な詩人と、おなじ名だ」


「うわ!」


 ぴくりともせずに地面に倒れていた金髪の男が、ゆっくりと身を起こし、地面に尻をつけて座ったので、野次馬たちは陸にあげられた魚のように口をぱくぱくさせた。


「あ、あ、あんた、生きてたのかっ!?」


「スパルタの男は、これくらいでは死なん」


 金髪の男――顔を見れば、ずいぶんと若かった――は無造作に言い、地面に片手をついて立ちあがろうとした。

 だが、頭がひどく痛んだか、めまいでもしたのか、小さく呻いて後頭部を押さえ、ふたたび座りこんだ。


「いや、君、すまないことをしたね!」


 ホメロス・・・・は叫んで若者のかたわらに膝をつき、その肩に手を置いた。


「呼吸の様子で、気絶しているだけだとわかっていたから、つい、事態の把握のほうに夢中になってしまった。せめて、医者を呼んでおくべきだったね! 僕の悪い癖だ。僕の友人がこの場にいてくれさえすれば、もっと早く、適切な診察と処置をほどこしてくれたに違いないんだが。だれか、気付けにブランデー、いや、なんでもいいから強い酒を! あと、清潔な布と水――」


「必要ない」


 金髪の若者は、蠅でも追うようなそっけない動作でホメロスの手助けをことわり、自分の足で立ちあがった。

 立ち姿を見れば、彼はホメロスよりも少しばかり身長が低く、痩せていた。

 だが、断じて貧弱ではない。

 無駄な肉の一片たりとついておらず、身軽そうに引きしまったその体格は、ホメロスがもっとも信頼する友人ならば、『騎手として非の打ちどころのない体型』と評したに違いない。

 金髪の若者は悠揚せまらぬ動作で自分の顔や手足、衣から土をはらいおとし、首を左右にかたむけてごきごきいわせてから、淡々と言った。


「よくなった」


「まさに、鉄の精神と肉体だね」


 彼の友人ならばあきれはてたに違いないが、ホメロスは無邪気に感嘆して若者を見つめ、それ以上は怪我のぐあいを気づかうこともなく言った。


「そうか、君は、スパルタ人なのか。なるほど、その態度、話しぶり……噂どおりだ」


「あっ!」


 スパルタ人の若者の顔をじろじろと見つめていたひげづらが、急に手を打ち、声をあげた。


「さっきから、なんか見覚えがあるような気がしてたんだ。俺、あんたのこと知ってるぞ! あんた、アレウスさんじゃないのかい?」


 スパルタ人の若者は、彫像のように動きのない顔をわずかにひげづらのほうへ向け、そのとおり、というしるしに小さく頷いてみせた。


「はあ、やっぱり、スパルタのアレウスさんかい! あんた、競技の前に、とんだ目にあいなさったねえ」


「俺たちゃ、てっきり亀がぶつかったんだとばかり思ってたが、こちらの御仁が、亀じゃねえってよ!」


「亀でないとすりゃ、あんた、もしかして、だれかにぶん殴られたんじゃないのかい?」


「だとすりゃ、悪質な出場妨害だぜ!? おい、だれか、審判呼んでこい! このことを知らせろ!」


 口々に声をあげる野次馬たちを、


「必要ない」


 スパルタ人の若者――アレウスは、両手をあげて制した。


「俺の出場には、なんの問題もない。心配をかけた。解散してくれ」


 野次馬たちは、拍子抜けしたような顔つきで黙った。

 どうも、まだ騒ぎたりない気はするが、まあ、本人がそう言うのなら。

 そう言いたげな様子で、やがて皆、ぱらぱらと散らばり、立ち去ってゆく。


 その様子をしばらく見送ってから、アレウスは、おもむろに自分の隣を見た。

 そこに、まだホメロスが立っていて、じっと地面を見つめていたからだ。

 ホメロスにもまた、この場を立ち去るようにうながそうとして、アレウスが口をひらきかけた瞬間、


「争った形跡がない。これは、君が完全に不意をうたれたことを意味している」


 アレウスのほうを見もせずに、ホメロスは、泉の水があふれ出るように滔々と話しはじめた。



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