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呪われたスパルタ人 14



      ■      ■      ■



 ひどい嵐が窓のそとを荒れくるい、雨粒がはげしくガラスをたたいている。

 暖炉にあかあかと燃える火のほうへ足先をのばしながら、


『二件とも、なんらかの毒物による中毒死とみてまちがいないと思うね』


 彼がそう言うと、ワトスン博士はふしぎそうな顔をした。


『ねずみと、かわいそうな犬の件かい? どうしてそう断言できるんだ?』


『ワトスン君、きみだって、まさか呪いなんてものを信じちゃいないだろう?』


『もちろん、ぼくは医者として、そんな非科学的なものの効力はみとめない』


『そうだろう。そんなものが実際に効果を発揮してみたまえ、ロンドンじゅうの犯罪者から呪われているであろうこのぼくが、今日まで無事なはずはないのだからね。

 超自然的なものでないとするならば、残るは自然死か、人為的に殺傷されたかしかありえない。状況から、自然死とするには不自然すぎる。だとすれば必然的に人為的なものだ。ねずみも犬も、口から泡をふき、手足をつっぱらせて死んでいた』


『たしかに、毒物による中毒死においてたびたびみられる所見だ』


『おそらく毒入りの餌を食べたのだろう。毒を入手することは、ある意味では現代よりもやさしい。知識さえあれば誰にでも可能だ。彼らは我々よりもはるかに、野山の植物がもつ効能にくわしいのだ。それらは薬としても使われるが、使い方によっては毒にもなる』


『だが、なんだってそんなことをするのだろう? ねずみや犬を殺して、犯人に何の得がある? 警告のつもりだろうか?』


『ぼくの考えでは、これら二つの事件は、呪詛の効力を依頼人たちに信じこませるという目的で引き起こされたものではないかと思う。

 ねずみが死に、呪詛板が見つかる。犬が死に、呪詛板が見つかる。そしてアレウス君が災難に遭い、呪詛板が発見されれば、人々は疑うことなく、呪いによる死だと考える。彼らの多くは、呪詛というものの効力を本気で信じているのだからね』


『その、呪詛板じたいが、何かの手がかりにならないだろうか? きみは、アレウス君を呪うという呪詛板の実物を見たのだろう?』


『難しいね。指紋を照合する技術も使えないし、金属をひっかいて書いた文字じゃあ、筆跡を鑑定することもできやしない』


『だが、この一連の事件の黒幕はきっと、プ……なんだ、その、依頼人のライバルに違いないだろうね?』


『確かに、彼には大きな動機がある』


 手にした桜材のパイプをもてあそびながら、彼は言った。


『プサウミスは、前回の戦車競技の優勝者だ。僕の依頼人が出場不能となることで、もっとも恩恵を受ける者のひとりだといっていい。彼が黒幕である可能性は大いにある。だが、気になる点も残っている』


『気になる点だって?』


『かわいそうな犬の一件さ』


 口から煙を吐き出して、彼はワトスンを見た。


『僕は、その犬の兄弟犬と会ったんだ。メランプース君はとても警戒心が強くてね、僕の姿を見るやいなや、はげしく吠えたて、噛みつこうとさえしたよ。

 死んだ犬も、兄弟と似たような気質をもっていたと仮定すると、見ず知らずのプサウミスの配下が、家人に気づかれないうちに毒入りの餌を食べさせるというのは、なかなか難しいのではないかな』


『つまり……プサウミスの配下のしわざでは・・ない・・可能性がある、ということかい? いや、むしろ、君は……内部の者の犯行だと?』


『ねずみの一件もあるからね。屋敷の中でねずみがばたばたと死んだとすれば、屋敷内のどこかで、毒入りの餌を食べたと考えるのが妥当だろう。だとすれば、その餌をまいた者は、必然的に、屋敷の中にいた誰かということになる』


『プサウミスが、その家の使用人を買収して、やらせたんじゃないか?』


『可能性はあるね』


『待てよ、内部の者の犯行だとすると、君が言っていた若者も怪しいぞ。ほら、依頼人の従卒のリカスだよ』


『そのとおり、彼にも動機がある。ただし、彼が自分の出自を知っていたとしての話だが』


『もしそうなら、プサウミスは、リカスを抱きこんで依頼人の命を狙ったとは考えられないかな?』


『その可能性もある。あくまでも可能性のひとつにすぎないがね』


『それにしても、妙だな! 毒殺と思われる事件が、二件もつづいたあとで、急に後頭部を殴りつけて、亀がぶつかったと見せかけるなんて。犯人のやつ、なんだって急に宗旨替えをしたのだろう?』


『ワトスン君、きみのいうとおりだ』


 彼はいすに深くもたれかかっていた姿勢から起きなおり、桜材のパイプを小さく振った。


『まさにそのとおり。そこが、分からないんだ。犯人はなぜ、今回にかぎって、毒を使わなかったのだろう? もしかすると、犯人は、依頼人以外の人間を巻きこむことを避けたがっているのかもしれないな』


『どういうことだい?』


『僕は、彼らと夕食を共にしたんだ。彼らはスープも葡萄酒も、食事の席でひとつの大きな器から取り分けていた。小皿やカップ、パンは、奴隷が運んできたものをアルケシラオス殿が受けとって、皆に手渡していた。あの方法だと、どの器、どの食べ物が誰に当たるか、正確に予測することはむずかしい』


『つまり、確実に依頼人だけが口にするように毒を盛ることは難しいということだね』


『観察の結果、僕はそう結論づけた』


『依頼人は片づけたいが、他の者を巻きこみたくはない、ということか。犯罪者のくせに、妙な正義感のあるやつだね』


『あるいは、はっきりと毒殺だと悟られることを避けたいのかもしれないよ。せっかく二つの事件を呪詛の効果と結びつけておいたことが無駄になるからね。

 呪詛板ならば、現場をおさえるか自白がない限り、それを書いた、あるいは書かせた者をしぼりこむことはむずかしいが、毒殺となれば、その実行犯は、毒を盛ることができた者のなかにいることが明白になる』


『なるほど、それで、毒を使うことはあきらめて、亀なんておかしなものを持ち出したのかな』


『おそらくそうだろう。ここまでは単なる推測にすぎないが、じつは、もうすぐはっきりしたことが分かりそうなのだ。

 僕は今、犯人は身内にいるという説にたって、ちょっとした罠をしかけていてね。僕自身が呪術師のふりをして、そいつに呪いをかけたのさ。

 僕のなんでもない推理が素人をあっと驚かせるところを、君はこれまでにたびたび目にしてきたことと思うが、あれが、この時代では、おもしろいほど呪術師らしい効果を出すのだ。犯人が、僕を本物の呪術師だと信じたならば、僕がかけた呪いにも、まちがいなく効果があると信じるだろう。まあ、見ていたまえ、きっとうまく釣りだされてくるから』


『気をつけてくれ、ホームズ君』


 ワトスン博士は、かけていたいすから身をのりだして友の手をとり、心をこめて言った。


『どうも、君の身が心配だ。追い詰められた獣は凶暴になるというよ……犯人は進退窮まって、君自身を狙ってくるかもしれないんだ。くれぐれも気をつけてくれたまえ、ホームズ君。どうか……気をつけて……』


『ワトスン?』


 ふと気がつくと、親友の姿は居心地のいい221bの居間とともに霧のように溶け去り、スイスの山岳地帯の清冽な大気が鼻先をかすめた。

 と同時に、すさまじい怒号にも似た水音、何百フィートも下の滝壺へと落下する膨大な水の轟音が耳に届いた。


 いつのまにか彼は旅装に身をかためて、ライヘンバッハの瀑布のしぶきに濡れた地面に立ち、目の前に立つ宿敵モリアーティ教授の姿を見据えていた。

 その先におとずれる運命はわかっていた。これは、二人の男の宿命の対決なのだ。

 あの日と同じように、激しく格闘しながら、技をかける瞬間を見計らう。

 ぬかるんだ泥に足をとられたのは、どちらが先だったか。

 どちらも、相手の腕をがっちりとつかんだまま放さなかった。

 目に映る景色が大きく回転し、空と土と水とが、ほとんど同時に視界に入った。

 懐かしい部屋と友の顔が、脳裏をよぎった。


『ワトスン!』



      ■      ■      ■



 大声で叫んだように思ったが、声は出ていなかったらしい。

 ホメロスが目を開くと、目の前に、スパルタ人の若者アレウスの、石像のように静かな表情があった。


「夜明けだ」


 アレウスはそうささやき、ホメロスの肩をつかんで揺すっていた手をはなした。


「うなされていた。悪い夢か?」


「いいや」


 ホメロスは固い寝床に起きあがり、大きく息をついた。

 天幕のなかは薄暗かったが、布地のすきまから朝日が金色のまっすぐな板のようにさしこんで、空気中の微細な埃の粒をきらめかせていた。

 アルケシラオス殿をはじめとして、男たちは皆、この天幕のなかで雑魚寝をしている。

 奴隷たちのなかには、野天で眠っている者もいた。

 女たちと、幼いマカリオンは、もうひとつ別にたてられた天幕のなかで眠っていた。

 無論、今は、どちらにも交代で不寝番が立っている。

 皆が次々と起き出し、外では雄鶏がけたたましくときをつくった。

 オリンピアに集ったあらゆる人々が、ゆっくりと動き出すのが気配でわかった。


「懐かしい夢をみていたんだ。……こっちに来て、しばらくは忘れていたのに、しまったな。今、むしょうにパイプが吸いたいよ」


ぱいぷ・・・?」


「いや、何でもない。さあ、いよいよ宣誓の儀式だね」


「オリーブ油と、洗った衣を用意しなさい」


 アルケシラオス殿が言った。


「行こう、評議会場ブーレウテリオンへ」




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― 新着の感想 ―
[良い点] 夢……けど、ワトソンくんの言葉がきっかけになって色々思いつくのもいつものパターン、のはず!
[一言] ああ、やっぱり相棒がいるとしっくりくる。 パイプはないけれど、真実には確実に近づいてる。
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