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呪われたスパルタ人 12


 厩舎ではぜんぶで三人の男たちが、アルケシラオス殿の戦車と馬たちとを守っていた。

 若者が二人と、中年の男が一人だ。

 中年の男は、手にした白いものをしきりに刃物で削っていたが、ホメロスたちが厩舎に入っていくと、それらの品を置いて布をかぶせ、かわりに棍棒をつかんで立ちあがった。

 だが、ホメロスのすぐ後ろに立つアレウスの姿をみとめて、彼はおどろいたように棍棒をおろした。


「なんだ、坊ちゃんでしたかい。そちらのお方は?」


「父上の客人、ホメロス殿だ」


「へえ」


 中年の男はちょっと頭をさげたが、その目はあやしむようにホメロスをじろじろと見ていた。


「どうも」


 ホメロスは愛想よく言った。


「アレウスくんが巻きこまれた嫌な事件については、あんたがたも、すでに知っているのだろうね? 僕はアルケシラオス殿から依頼を受けて、その件について調べているんだ」


「はあ? ……ああ、ああ、呪詛板の話ですかい? もちろん聞いてますぜ。カマリナのプサウミスが、きたねえ真似をしやがったに違いねえ! なあ、おまえら?」


「ええ、それに決まってますよ!」


「奴に違いねえです。だって、他にいねえですもん」


 若者たちはそろって熱心に同意した。


「ま、相手がどんなきたねえ真似をしかけてこようが、こっちにゃ、まったく効いてねえけどな。このとおり、馬たちはぴんぴんしてますぜ」


「たしかに、そう見えるが。歩いたり駆けたりするときに、脚を引きずっているようなものはいないだろうね?」


 ホメロスの言葉に、中年男は露骨にむっとした表情を見せた。


「おい、そりゃいったいどういう意味だ? うちの馬が、脚の病気にかかってるとでもいうのかい? 今日、馬場を駆けさせたときだって、風のような走りだったぜ! てめえ、あれを見てから物を言いやがれってんだ!」


「いや、申し訳ない。本職のあんたの目のほうがかならず確かなのだから、それを尊重すべきなのに、失礼なことを言ってしまった。馬たちの毛艶もいいし、馬体にも張りがある。これを見ただけても、世話が完璧に行き届いていることはよくわかるよ」


「へえ、あんたも、玄人ってわけかい?」


「まあ、少しはね。むろん、あんたほどの専門家だとは、とてもいえないが」


 ホメロスが持ち上げたので、中年男はすっかり機嫌をなおしたようだった。


「玄人のはしくれなら、こいつらの様子を見ただけで、はっきりわかるだろう? たとえ明日、いや今から競走になったって、うちの優勝はまちがいなしだ。でかい声じゃあ言えねえが、神々の戦車と競り合ったって、いいとこまでいくだろうよ」


「優勝まちがいなしか。あんたは、例の呪いを恐れてはいないのかね? おどかすつもりはないが、あんたがただって、巻き込まれるかもしれないのだよ」


「そりゃ、まったく気にならねえと言っちゃ嘘になるが、こっちは慣れっこなもんでね」


「慣れっこだって?」


「ああ。この稼業じゃ、相手方から呪われるなんつうのは日常茶飯事だからな。俺は、若えころは戦車の御者をやってたんだ、坊ちゃんと同じように。

 戦績は、相当なもんだったんだぜ。それだけに、敵も多かった。競走のたびに、何べん呪われたか、わかりゃしねえくれえだ。だがな、ほれ、見ろ」


 中年男は、ほそく裂いた皮やさまざまな色の毛糸などをあらく編みあわせた紐を、衣の下から引き出した。

 紐の先には、大きく口を開けて牙をむき、舌を突き出したメドゥーサの顔の護符がぶら下がっていた。


「俺は毎日、神々に祈ってるし、こうして、ちゃあんと護符を身につけてる。こいつの効きめは強力だぜ。ほかならぬ俺が、今もこうしてぴんぴんしてることが、その証明だ。へぼな呪いなんて、はね返してやるぜ、これまでどおりにな」


「なるほどね」


 ホメロスは感心したように何度もうなずいてから、片手をひらき、にぎっていた豆を三粒、中年男にわたした。


「どうも、あんたがたには必要なさそうだが、ひとつ、これを飲んでおいてくれたまえ。邪悪なものを罰し、正しいものを守護する術を、僕がこめておいたものだ。アレウス君に味方する者にとっては守りとなるが、万が一、彼に対して悪心を持つ者が飲めば、そいつの腹のなかで虫が孵って、腹を裂いて飛び出してくるのだ」


「術だって?」


 中年男は、目を丸くした。


「あんた、魔術師なのか? そうは見えねえが」


 ホメロスは、それに対しては答えず、かわりに、


「では、ここに片手を出して。ひとつ、あんたのことを見てみようじゃないか」


 と言った。


「占いか? あとで、金をとろうってんじゃねえだろうな?」


「そんなことはしない。ただ、あんたが、僕の力を少しばかり疑っているようなんでね」


「疑っているってわけじゃねえが、まあ、ただなら、見てもらおうじゃねえか」


 二人の若者が興味深そうにのぞきこむなか、中年男がずいと突き出した片手を、ホメロスはしげしげと見た。

 相手の手のひらの上に、自分の手をかざし、何やら複雑に動かしたかと思うと、


「遠くに……ぼんやりとだが、幼い子供の姿が見える。あんたには、家に残してきた、かわいい……女の子、そう、小さな娘さんがいるんじゃないのかい?」


 中年男がなにか言うよりも先に、見ていた若者二人が、目を丸くして顔を見あわせた。


「すげえ!」


「当たった……」


「いや、待てよ」


 若者たちの感嘆の声をさえぎり、ホメロスは目を細めて、中年男のてのひらを観察した。


「まだ、何かが見える……君には、少なくとも、もう一人……娘さんがいるようだ。娘さんたちは、あなたのことをとても慕っているようだね」


「待て、待て、待て!」


 あわてて手をふり払い、中年男は、先ほどまでとはまったく違う目でホメロスを見た。


「どうして、わかった? あんたの言うことは、たしかに当たってる。どうしてわかったんだ? 見えるのか?」


 ホメロスはあいまいに微笑んだ。

 その手を、中年男が両手でつかんだ。


「なあ! あんたの力がありゃあ、明後日の勝負がどうなるかも見えるだろ。うちの優勝で間違いねえよな! 坊ちゃんが駆るこの戦車が、先頭を切って終着点に飛びこんでいくのが見えるだろう? なあ、教えてくれ、頼むよ!」


「それは見ないようにしている。見たとしても、言えない。たとえ金や銀を積まれたとしてもだ。

 オリュンピアでの競走は、ゼウス神に捧げる神聖な戦いだ。死すべき人の身で、その結果をのぞき見などしようものなら、神のお怒りをかって盲目にされてしまうかもしれないからね。

 さあ、とにかく、その豆を飲んでくれたまえ」


「あ、ああ……」


 言われてようやく豆の存在を思い出したらしい中年男は、若者たちに一粒ずつ渡し、残った一粒をじっと見おろした。


「こいつは、噛んでもいいのか? それとも、丸のみにしたほうがいいのかい?」


「どちらでも構わないよ。効果にかわりはないのだから。ああ、それでよし。お邪魔したね。引き続き、よく馬たちの番をしておいてくれたまえ。アレウス君、行こう」



      *     *      *



「ホメロス」


 厩舎を出て歩きながら、アレウスは真剣なまなざしで言った。


「おまえは、やはり……もしも、おまえが、人間には見えぬものを見る力を持っているというのなら……もう、犯人の正体も、見えているのではないのか?」


 ホメロスは立ち止まり、少し考えてから、


「この際、君には、はっきりと伝えておきたいのだが」


 顔をあげ、まっすぐにアレウスを見返した。


「僕は、魔術師でも何でもない。僕には、生身の人間以上の力など、まったく備わってはいないのだよ」


 アレウスは、静かにホメロスを見つめたまま、何も言わなかった。

 内心では衝撃を受けているのかもしれないが、それは、表情にはまったくあらわれなかった。


「奇しくも、君の父上が最初におっしゃったとおりなんだ。

 人は、僕を魔術師のようだという。だが、僕が、人間には見えないものを見る力を持っているようにみえるとしたら、それは、他の人間がちゃんと見ていないものを正確に観察し、それをもとに推理しているからなんだ。

 さっきの馬丁頭が、僕たちの姿を見て立ちあがる前に、刃物と、何か白いものを持っていただろう? 彼がいったい何を持ち、何をしていたか、君は、正確に観察したかい?」


 アレウスは、なおもしばらく黙りこんでから、


「いや」


 と言った。


「彼は、刃物を使って、骨を彫っていたんだよ。その骨は、幼児が遊ぶがらがら・・・・のかたちをしていた。表面には、愛らしい花のもようがたくさん彫りつけてあった。ここまでが観察だ。

 これらのことから、彼には、がらがらで遊ぶような年齢の子供がいること、そしてその子はかなりの確率で女子だろうということがわかるわけだ。これが、推理だ」


「だが、もうひとりの娘というのは?」


「紐だよ」


 ホメロスは即座に言った。


「これも、観察と推理だ。彼が護符をさげていた紐は、革紐や、さまざまな毛糸を編みあわせて作られたものだった。しかも、まだ新しかった。古代ギリシャでは――いや、このような手仕事は、女性に特有のものだ。妻からの贈り物だろうか? だが、素材の組みあわせかたや編目のあらさを見ると、手仕事に熟達しきった者のしごととも思えない。

 これらのことから、彼には少なくとももう一人の娘がいて、その子が、あの紐を彼のために編んだのだろうと推理したのだ」


「そういうことか……いや、待て」


 アレウスは、はっとしてホメロスを見つめた。


「では、俺たちが飲んだ、豆は?」


「言ってみれば、試薬だね。君に隠しだてをしても意味がないから、はっきりというが、僕は、君の身内の者たちを試したのだ」


「なんだと」


 アレウスの表情が、明らかにそうと分かるほどに険しくなった。


「おまえは……俺に呪いをかけるような者が、俺の身内にいると? 父上や、母上までも、疑ったというのか!」


「事件の捜査のはじめには、一切の予断を廃し、すべてをひとしく疑うことが大切なんだ」


 アレウスの怒気を間近にあびながらも、ホメロスは微動だにせず、静かに言った。


「そうでなければ、目は曇り、真実を見あやまることになる。アレウス君、僕には、依頼者である君に対する義務がある。かならずや犯人を明らかにし、君を守り抜きたいのだ」


 ホメロスの言葉をきくうちに、やがて、アレウスの表情からは怒りが消えていった。


「では、あの豆は、ただの豆か」


「ああ。幼虫がどうのこうのというのも、僕が即興でこしらえたたわごとさ」


「あの呪文が即興だなどとは、とても思えなかったぞ」


「ヴ・イ、ク・トゥ・オ・ル、イ・ア、ル・エ、グ・イ・ヌ・ア。

 Ⅴ.R.すなわち Victoria Regina――昔、住んでいた部屋の壁に僕が銃弾で飾った、さる貴婦人を称える言葉さ。それを一文字ずつ発声したんだ」


「じゅうだん?」


「とにかく、重要なのは、僕がほんとうに魔術師であるに違いないと、あの場の全員に思い込ませることだった。僕を魔術師だと信じた者は、あの豆の効果も信じるはずだからだ。もしも、あの言葉をきいていた者たちのなかに犯人がいるのなら、じきに恐怖に耐えきれなくなり、何らかの行動を起こすだろう。

 先ほどの馬丁たちは、容疑者のリストからは除外してよいと思う。彼らは僕の力を信じたが、全員がすんなりと豆を飲んだ。彼らには、豆にこめた術の話を先に聞かせてあったのだから、もしも心にやましいところがあるのなら、飲む前にかならずためらったはずだからね。

 正直に言うと、この試験をしてみるまでは、馬丁たちが賭けがらみの八百長を企んだという可能性も考えていたのだが、どうも、そういうわけではなさそうだ」


「そういうことだったのか」


 アレウスは、いまや一種の尊敬のこもった視線をホメロスに向けていた。


「おまえの言動は、すべて深慮にもとづいてのものだということがよくわかった。……さあ、次は、どうする?」


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― 新着の感想 ―
[一言] さすがの観察眼(`・ω・´) 動きはあるのか。次はどこへ。
[良い点] なるほど、それで馬丁を呼びたかったのかぁ……。 呪文の謎も明らかにされて、あとは……犯人だけ!
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