第2話:香辛料に恋をする。
勝ちニートっていうけど、実際の所どれぐらい使えるかって話あるじゃない?
僕の場合、毎月家賃を含まず25万円って事にしてて、でも公共料金だとか、携帯代とネット回線の支払いなんかもあるから、何だかんだで18万円くらいが自由に使える事になる。1日辺りに直せばおおよそ6000円。
ぶっちゃけた話、それほど金持ちって金額じゃないよね。
とは言え、夜ふかしして昼過ぎまで寝てて、朝飯を食べなかったり、冷蔵庫の残り物でちゃちゃっと作って食べちゃう日なんかもある訳で、何だかんだで毎週末には2万円くらい残ってたりする。
もちろん服なんかも買わなきゃいけないし、ちょこちょこ使う事はあって、そうこうしてると毎週は無理でも、月に1回2回くらいは、自炊せずに遊びに行ったりする。
まぁ宝くじ当選者としちゃ、あまりにも庶民的なんだけど、仕事をしなくても生活できるってのは、やっぱ凄いよね。
今年のゴールデンウィークは世間一般でも10連休って言われてる。
まぁ僕は365連休なんだけど。
だから学生時代(って言ってもまだ1ヶ月しか経ってないけどさ)の頃の友達と遊ぼうなんて話もまぁあったんだけど、ぶっちゃけ断ったの。
なんでって、一度飲み会やったんだけど、まぁ話題が仕事の愚痴なの。どうしたって。
ゆとりゆとりって言われる世代だからって訳でもないけど、言っても会社で全然戦力になれないんだって、みんな。当たり前っちゃ当たり前だけど、そりゃ大変だなって思うし、僕も予定通り就職してれば、そうなってたと思う。
だけど、実際問題、僕はそれでも勝ちニートな訳で、その話題に全然入れないの。まぁ正直全然面白くないの。しょうがないけどね。
だからゴールデンウィークは1人で遊びに行く事にしたのです。
前置きクソ長かったんだけど、そうは言ってもせっかくの(何がせっかくなのかは分からないけど)ゴールデンウィークだし、今日はちょっとオシャレな街とか行っちゃおうかなって事で、下北沢なんかに来てみたのです。
下北沢って言えば学生の街ってイメージで、ヤングメンがワチャワチャしてそうで、既に学生ではない身分の僕なんかは少し腰が引けてたんだけど、来てみたら案外シックというか、渋い感じの店なんかも結構あって、普段遊ぶ上野界隈に比べて、異なる方向性で楽しもうかなと思う次第。
とは言え、ハッキリ言って僕は下北沢には縁のない学生生活をしてたから、正直どっちに向かって歩けば何があるかなんて全然分かんない。
まぁとりあえず古着屋さんでも回ってみようかなと言った感じにぶらぶら歩いてみる。
今日なんかはめちゃくちゃ暑くて、猛暑で有名な群馬なんかは30度まで行くって天気予報でやってた。4月だぞ。
30度って事はなくても東京も十分に暑い。
特に昨日が寒の戻りで肌寒くて、ウルトラライトダウンを引っ張り出したりしてたから、寒暖差がヤバイ。
今日は最悪腕まくりすれば良いやって感じにテキトーにパーカーを着てきたけど、既に腕まくりどころか脱いで腰に巻いてる。
だけどまだ、また寒くなる日もあるかもしれないし、梅雨の頃にも着れるだろうから、薄手のジャケットなんか探してみようかな。
ぶっちゃけ最初に入った店で見つけた麻のジャケットが1番良い具合で、いろいろ歩き回ったにも関わらず、今はまたそっちに戻ってる最中。
昼過ぎから来て、なんだかんだ歩いたら、もう3時。考えてみたら朝はおろか昼も食べてない。ハラ減った。
だけど狙いのジャケットが売れてしまっても癪だし、腰を落ち着けてってより、軽くさっと食べたい感じ。歩きながら食べれれば尚良し。
あの店はどっちだったかなと思いながら、足を進めると香ばしくて肉肉しい香りが春って言うにはあまりに暑い風に乗って僕の鼻に届いてきた。
古着屋さんがどっちだったかなんて、今は置いとこう。まずは飯だ。
あっちへふらふら、こっちへふらふらしてると、香りの正体が曲がり角の向こうに姿を現す。
ケバブかぁ!
良いじゃん良いじゃん。
だけど今日はホットチリはちょっと暑いなぁ。
「オニイサン、ケバブドウ? オニクイパーイサービス」
カタコトなようで結構流暢なお店の人に僕も聞き返す。
「甘めのアッサリソースある?」
「アルヨー、サウザンド&ヨーグルト」
おお、完璧。アジアンな食べ物って、肉にヨーグルトを結構よく合わせる。最初はどうなんだろうと思ったけど、アレ美味しいよね。肉も柔らかくなるし。僕は好き派。
『オニクイパーイサービス』は、すげぇ入ってた。
「フツウ、コレダケネー、ココカラサービス」って言ってから、一旦ソースを挟んでからどんどん肉を追加してくれて、結局ノーマルの量と同じくらい入れてた。肉2倍って牛丼だったら特盛を並の値段で食ったみたいなモン。サービスがすぎる。
過剰サービスだけじゃなく、味も美味かった。
僕はさっきも言ったけど、普段上野界隈で遊ぶから、アメ横の串刺しフルーツの店の横のケバブ屋さんで食べたりもするから、そこそこケバブは食べ慣れてる。そんな僕をして唸るレベル。
ザックリ焼いた脂身と、ぎゅっとしまった肉が良いバランス。
トマトは輪切りじゃなくてサイコロ状のがコロコロ入ってて、そのフレッシュな酸味がサウザンドドレッシングとよく合う。
肉の脂が甘くて、ザックリとろり、肉を噛むと肉汁じゅわー。プレーンのヨーグルトがコクのあるアッサリを演出して、いくらでも食べられる。
『イパーイサービス』でボリューム満点だったけど、まぁまだまだ若者な僕としてはぺろりだ。おやつって程ではないけど、ここから腹が本気モードになる感じ。
ジャケットを無事に買えたら、今日のメインの店を探そう。
結論から言えばジャケットは買えた。
けど、ケバブの香りに誘われて方向を見失い、プチ迷子になった僕はなんだかんだで時間近くかかったのだ。
ようやく店を見付けたと思ったら、店の人が目当てのジャケットを持ってたから、売れちゃったかと思ったよ。
でもそうじゃなくて、僕が彷徨い歩く間にジャケットにバッチリに合うハンチングを買い取ったから、合わせてマネキンに着せようとしてた所だったのだ。
ジャケットが4000円、ハンチングが1500円、両方買うから5000円でどうですかと聞いたら2つ返事でお買い上げ。ありがとうございました。ラッキー。
なんだかんだでもう4時半。
バルかなんかで1杯引っ掛けながら食べるにはちょうどいい時間かな。
さっきのケバブで腹が肉になってしまった。
かっちょいいバルを探しに行こうかな。
古着屋さんを出た後、またフラフラ歩いてたら、いつの間にか日が傾き始めて、暑気は少しずつ引いてきていた。
いくら夏のようと言っても4月は4月。5時にもなれば、そろそろ夕陽が街を染め始めるのももうすぐだ。
夕景になれば夜の帳は疾く街を支配する。
夏の夕暮れより色濃い晩春の群青を、1軒、また1軒と灯っていくネオンがCGの様に店の名を人々の前に晒していく。
僕が今しがた歩き去った店の店頭にもネオン看板が点く。
ふと気になって振り向くと、少し変わった響きの店だった。
変わったというか、どういう物が出てくるか気になる店ち言った方がシックリくる。
『香辛料ダイニング』
ふむ。ついさっきまであんまり暑くて、チリソースを避けたけど、少しずつ冷えてきた今なら、香辛料も良いかな。
カランコロン
樫の扉を開けるとどこか温かみのあるカウベルの音がする。
「今日は暑かったですね」
カウンターの席に案内してくれた、お姉さんがメニューを出しながら言った。
香辛料というからには少し辛いのかな、と思いながら、そうするとやっぱりビールが良いのかなとメニューに目を落とすと、『スパイシーサングリア』という物に惹かれた。
「すいません、これ、どういう物ですか?」
「ああ、自家製のサングリア・・・あ、サングリアっていうのはワインにフルーツを漬け込んだ物なんですけど、ウチ、香辛料がウリじゃないですか。だからフルーツだけじゃなく、香辛料も一緒に漬けてあるんです。ホットワインの冷たい版って感じですかね」
なるほど、美味しそう。
「じゃぁ、それを下さい。フードは・・・とりあえず飲んでから、合いそうなの選んでみます」
お姉さんは「かしこまりました。じゃぁメニュー下げずに置いときますね」と言って厨房の中に入っていった。
店内は石膏なのかザラザラした白い壁に、扉と同じ樫で設えられたテーブルと椅子。照明はテーブルごと、カウンターは席ごとにスポットライトで照らす感じで、BGMがない、言うならば静謐って言葉がちょうどいい。
「お待たせ致しました」
スパイシーサングリアを持ってきたのは、さっきのお姉さんではなく、コックコートの男性だった。
「今日は暑かったですからね、サングリアは白でお持ちしました」
ありがとうございますと言って受け取って一口含むと、シャルドネの香りの向こう側から、パイナップルとシナモンが後を追って鼻に抜ける。おお、これは美味しい。
「お食事、決まりましたか?」
コックコートの男性(シェフなのだと言った)は、厨房に戻らず、そのままカウンターに居て話しかけてきた。
まぁ僕が口開けで、まだ他のお客さんは居ないから、暇なんだろうな。
「いやぁ、実はスパイシーサングリアって初めてで。ついでにこちらのお店も初めてなんで、何を頼んだら良いのか分からなくて。それに、せっかくだから赤のサングリアも頂きたくなっちゃって」
僕が言うと男性は、すごく嬉しそうに笑って言う。
「じゃぁ、もし宜しかったら、私のオススメの物を出しても?」
シェフの言葉を快諾した僕の前には、本日の2杯目、今度は赤のスパイシーサングリアがある。
今度はピノ・ノワールをベースに桃とカシス、レモングラス。あ、僕こっちの方が好きかも。
シェフの『オススメ』は、何の料理かは『お楽しみ』と言って、教えてくれなかった。
とても赤のスパイシーサングリアを気に入った僕は、料理が来る前におかわりを頼む。
んー、このサングリアっていう飲み物、とても楽しい。ベースのワインと、漬け込むフルーツと香辛料を変えたら、バリエーションは無限にある。今度自分でも作ってみよう。
自分流のレシピをいろいろ考えていると、おかわりのサングリアと『オススメ』をシェフが持ってきてくれる。
「お待たせ致しました。私のオススメ、赤のサングリアと、それに1番合うと思う料理『三元豚のタイムソテー、三種のベリーソース』です」
☆ 三元豚のタイムソテー三種のベリーソース☆
三元豚のロース肉をタイムと岩塩を両面に振る
小麦粉を薄く叩いて表面だけソテー
オーブンに入れてじっくり火を通す
ブルーベリー、ブラックベリー、ストロベリー
をオリーブオイルでアヒージョにした物を
ソースとして掛ける
粗挽きの黒胡椒を振りかけて完成
サクッと表面を焼き、内部はもっちりと噛みごたえのある豚肉とタイムが凄い。噛めば噛むほど美味しい。サングリアと合わせるとますます良い。
甘酸っぱいソースに絡めると、サングリアがそのまま飲むより味わいが深くなって、そこに豚肉がジュワッとくる。
これは大当たり。
夏になる前に、今度はシャツかショートパンツを買いに来るついでに、また来よう。
次は何が食べられるかな。楽しみ。