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第1話:薄紅に香る鯛と酒

 三月も半ばを過ぎ、目と鼻の累積ダメージが高まってきた今日この頃。

 なるべくなら外出したくない所ではあるけど、しょせん『ちょい勝ちニート』。日々の食材の買出しは欠く事のできない日課なのである。

 叔父から無償で借りているこのマンション(後々そのまま貰いたいと思ってる)は東京は入谷にある。大してキレイでもないし、高層な訳でもない、1人暮らし用の1LDKだが、上野まで徒歩圏内(電車でなら1駅)という立地の良さだけは抜群の利点だと思う。

 昨日の夜、BGM代わりにいつもつけっ放しにしているテレビが、上野公園ではまだ満開ではないものの、すでに連日花見客で賑わっていると言っていた。

 なら今日は上野の方に散歩に行って見ようかな。

 上野に行けばアメ横もあって、食材調達にはちょうど良いし、街を歩きながら今夜のメニューでも考えよう。



 せっかく上野に行くんだし、人ごみに揉まれながら、僕もひとり花見と洒落込もう。

 ブルーシートを広げる場所は無くても、座って食事をするベンチくらいはあるだろう。

 さて、花見のメニューはどうしようか。冷蔵庫くん、今日は何が入っている?

 昨日のお昼に食べたバターロールの残りが2つ、サニーレタスが何枚か。ハムとポテトサラダって所か。これはバターロールのサンドイッチかな。

 実家に居た頃、冷蔵庫の中には、これでもかって感じにいろいろ入ってたけど、いざ1人暮らしをしてみると、冷蔵庫を満タンにするには結構なお金がかかる事に気付いた。

 だから、今の内容物が貧相な訳じゃないのだ。

 誰に言い訳してるんだろう。

 ふとキッチンに目を移すと、昨夜作ったジェノベーゼのフライパンが洗ってないまま放置されていた。

 我ながらズボラな、と思いかけたが、そうだ、そのままサンドイッチのソースにしてしまえば良い。我ながらナイスアイデアと思い直す。

 



 ☆たっぷりハムとポテサラのバターロールサンド~バジル風味~☆

  バターロール:

  食べられるだけ。水平に深く切れ目を入れておく。


  ハム:

  1/4に切った物を用意する。入りきらなかった分はつまみ食い。

  

  サニーレタス:

  サンドイッチ1つに1枚。できれば大きい方が贅沢に見える。

  

  ポテサラ:

  サニーレタスの上にハムを載せて、その上に盛る。

  

  バジルソース:

  味濃い目なので、ちょっとかけるだけでOK。




 実際に見てみるとテレビで見るよりずっと凄いモンだと驚いた。

 思ってる以上に桜は咲いていた。そしてそれ以上に、思ってる以上に人が居た。

 これはブルーシートを敷くのはおろか、空いているベンチを探すのも一苦労かもしれない。

 僕は地下鉄で来たから、ちょうど西郷さんの辺りから上野公園に入った訳だけど、まず京成の駅の横の階段に辿り着くまでが人ごみで、スクランブルの信号が青になっても渡りきれないという、ちょっとこのまま帰ろうかなってくらいの混み方だった。

 とは言え、毎月25万円という限りある生活費の中から170円ものお金を費やして来たのだから、せめて桜を見て元を取らない訳にもいかない。頑張りなさい僕。


 

 そうこうして交番横から上野公園に入り、カエルの噴水池から、また階段を登って西郷さんの所まで来るとパッと視界が開いて、その大部分が桜で埋まった。

 確かにこれは、あの人ごみを掻き分けてでも見に来たくなる。まぁ花見客の大半は桜を見に来る訳じゃなく、酒を飲みに来ているんだろうけど。

 そのまま近代美術館を右手に、桜並木のメインストリートを歩くと、そりゃもう桜とヨッパライの海だ。桜の花は薄紅色だけど、ヨッパライの顔は牡丹かってくらいに赤い。大変だな君達。

 右手に西洋美術館、左手に上野動物園の所まで来ると、それはそれは、もう何の祭りかってぐらいの混雑で、ベンチを探すのはなかなかに骨が折れそうだと思った。

 だけど僕には裏技がある。

 上野公園内には、実はスターバックスがあるのだ。ちょっとお高めになるけど、ラテでも頼んで、オープンカフェで頂けば桜も見れてバッチリ。それに何より、国際的な観光地である上野であるから、食品の持ち込みをしてもとやかく言われないので、作ってきたサンドイッチをここで頂けるのである。うん、完璧。

 バジル風味のハムサンド、思ってた以上に良いね。

 何枚も重ねたハムがプリっとざくっとした食感で、しゃきっとしたサニーレタスとよく合う。

 黒胡椒を少し効かせたポテサラも良い仕事。ピリっとした香りが時折鼻に抜けて食欲を駆り立てる。その上、たまに入ってるたまねぎが甘かったり、マヨがコクを出してくれたりする。



 遅めのランチを終えた後は、いよいよ今日の本題、晩御飯のメニューと食材探しだ。

 何を食べたいか、と考えるのは今は無理だ。何故なら今は腹がいっぱいだから。

 そりゃそうだ。今しがたサンドイッチ食べたんだもん。

 ならばって訳でもないけど。

 花見ならぬ花見客見をしていて、ふと自分も酒を飲みたいなと思った。

 どんな酒が良いだろう。

 つい1~2週間前までは、エアコンを付けたり、外出する時に厚手のジャケットを着たりしてたけど、もう今日はだいぶ暖かい。

 と言ってもまだ汗ばむ程ではないから、ビールでは無い気がする。

 ビールが美味しくなるのは、もっと暑さがぐわっと押し寄せてきてからだ。自分がアヒージョにでもなって、熱したオイルの中を泳ぐみたいな、ねとつく暑さをビールの爽快感でぶった切るのだ。焼き蚕豆なんかを荒塩にちょんちょん付けながら食べたら最高。テレビで野球のナイターなんてやってたらもっと最高。

 

 閑話休題。


 そうだから今はまだビールじゃない感じなのだ。

 じゃぁ何が飲みたいかって言えば、やっぱ桜に合うのは日本酒なのかなと思う。

 僕はまだ酒を飲んでも良いようになって(あくまでも、飲めるようになって、ではない)から2年しか経たない若輩者の青二才だから、何の銘柄が、なんておいそれとは言えないけど、自宅近くに良い酒を揃えた酒屋さんがあるので、帰りに寄って、メニューに合わせて選んでもらおうと思う。

 さて、酒は日本酒、それもキンと冷えたヒヤで頂く事に決めた。

 ならそれに合うのはなんだろうと考えながら、薄紅色と牡丹の様な赤に埋め尽くされた上野公園を後にして、ヨドバシカメラの向こう側、アメヤ横丁に向かう。



 結論から言うと、ようやく上野公園の混雑から開放されたかと思ったら、アメ横の方がもっと混んでた。

 考えてみれば当然の話で、アメ横は買い物をする場所だから、少し歩いては立ち止まるを繰り返すから、人の流れが遅い。その上道幅も狭いし、立ち食いをする様な店もある。

 んむーと唸ってみても人垣が割れる訳でもない。

 って言うか、そもそも別に僕はこの先に行きたい訳じゃないんだった。

 なんだ。僕も店の前で立ち止まって商品を覗き込めばよかったんだ。


 「マグロー中トロのサク、2000円だけど半額でイイよー」

 

 しゃがれ声の親父さんが歌うように呼び込みをしてる。しかしなんだ半額って。普通値引き交渉の結果、2割とか3割とか引くモンだろうに、自発的に半額にするのか。


 「親父さん、マグロも良いけど、もうちょっと、なんか春っぽい魚あります?」

 「そんなら鯛だな。鯛。よくこの時期の鯛を桜鯛っていうとか言う奴が居るけど、あれ嘘っぱち。桜鯛は鯛とは別の魚だから。この時期美味いのは、鯛。特に関西沖で採れるのは最高だよ。生でよし焼いてよし。安くしとくよ」


 少し考えるそぶりを見せると、親父さんは気前良く「なら半額だ」と言ってくれたので、二つ返事で頂いた。今夜は天然モノの鯛だ。まだ減ってこない腹を尻目に口の中に期待のよだれが出てくる。





 昼過ぎに上野に着いて、ランチと買い物を終えた頃にはなんだかんだと時間は経っていて、酒屋さんで見繕って貰い、自宅に戻る頃には6時に近づいていた。

 天然の鯛と合わせたいと伝えたら、出てきたのは山形の盾野川という日本酒。

 料理の前にまずは一献。やっぱりその日の最初の一杯目はわくわくするね。


 美山錦という酒造好適米を使った中取りという造り方の酒。

 大吟醸らしいフルーティな味わいとスーっと伸びの良い香り。舌先にちりりと感じるくらいの極々僅かな発泡性。辛口らしいシャープなイメージと、純米らしいふくよかな米の香りが同居する。うん、美味しい。


 さて、次は料理の番だ。



 ☆鯛とタケノコの和風カルパッチョ☆


  鯛:

  親父さんオススメの明石の天然モノ! 半身分のサクで半額!

  お刺身にするつもりで薄めに切って、米酢で浅く〆る。


  タケノコ:

  春の野菜と言えばやっぱりコレ! 一年で今が一番柔らかくて美味しい!

  穂先を水炊きして使う。下の方は後で鰹節で炊いて食べる。


  菜種油・醤油:

  敷いたタケノコの上に酢〆の鯛を乗せた上に、合わせてかける。

  醤油は薄め。


  塩・山椒・大葉:

  塩で味を調えて、山椒パラリ、刻み大葉をたっぷり。


  好みで和がらしを載せてぱくり。



 大葉と山椒がさわやかに香る。山椒の辛味を鯛の甘みが上書きしていく。

 もっちりとした鯛の身と、春先のタケノコのシャッキリとした歯ごたえの対比。

 タケノコの鄙びた味わいと鯛の旨みが、盾野川にさらりと流れて、最後に米が香る。

 僕はご飯派で、いつもは、特に晩御飯は絶対にご飯を食べないと嫌なんだけど、今日はなんだか、いくらでもお酒が進んでしまって、このまま寝てしまっても良い様な心持ちだなぁ。

 僕も桜に当てられてしまったのかなぁ。

 桜に当てられて、牡丹のような赤になるまで、お酒を飲んでいるのかなぁ。

 あの花見客の人達とおんなじように。

 来年は僕も、花見をしてお酒を飲みたいなぁ。  


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