優しい宇宙人
それはニューヨークの国連本部ビルの真上に現れた。
銀色のそれは、マンハッタン島のみならず周辺の地区をもすっぽり覆うほどの大きさで、太陽を遮られてすっかり暗闇になったニューヨークの地上では、無数の瞳が茫然と空を見上げていた。
数分もしないうちに、UFO飛来の情報は世界を駆け巡り、人々はあらゆる経済的、政治的活動を停止して、ただひたすらに円盤の動静を見守った。その胸に混乱と恐怖を抱えながら。
数時間経っただろうか。人類の歴史では最も緊張が満ちた時間だった。鈍い金属の振動音と共に円盤の底に穴が開いて、そこから直径五メートルほどの光の筋が、国連本部ビルの前に射した。人々がその光を注視していると、赤い粒子が円盤から螺旋を描いて下りてきて、地面の近くで形をなした。
形は完全に人型だった。いや、人類とは違う点が見受けられるが、誰でもその形を人型だと言うだろう。人類とは異なる点は三メートル弱の身長、尖って頭と同じ長さをもつ耳、やや大きめな吊り上がった目は、黒い瞳がほとんどを占めている。ここまでの特徴からは異常だと思われるだろうが、それ以外は人類と変わるところがないのだ。それが三体、光の中で出来上がった。
雲が糸を手繰るように光の筋は円盤に帰っていった。三体の宇宙人が取り残された。囲む人々はどうすればよいのかわからず、彼らを遠巻きに眺めている。ときどき隣にいる人とひそひそ話し合いながら。
人ごみをかき分けて、一人の中年女性がやってきた。彼女は物々しい雰囲気の男たちを数名連れて、宇宙人の十メートルほど手前で止まった。彼女こそがオリヴィア=ブラウン、現国連事務総長であった。
さすがの彼女も何をすればよいかわからなかった。ともかく地球上のあらゆる衛星やレーダーによる監視網を潜り抜けて、彼らはこの巨大な円盤をニューヨーク上空に、瞬きの間に現れて、それを係留している。つまり相手はこちらの文明を遥かに超えるテクノロジーを持つはずである。もし粗相をしようものなら、人類にはどのような運命が待っていようか。オリヴィアは背中に氷が滑ったような冷やかさを感じた。かと思うと額から汗が止まらなくなってしまった。演説書も答案書もない状態。しかも相手はこちらの国の言葉がわかるかも不明だ。オリヴィアが考えという逃避を行おうとしたとき、中央の宇宙人が右手を彼らの腹の高さまで上げた。ちょうどそれはオリヴィアの顔の高さだった。オリヴィアが顔を近づけると、宇宙人の手の平には陶器のような質感を持つ立方体があった。
立方体を持つ宇宙人が、彼女に向かって自らの口を指さした。オリヴィアはそれが対話を意味することを察した。唾を飲み込み彼らの第一声を待つ。
立方体の面が波打つ。そして、直接脳に語りかけるような、どこから出ているともつかない英語の音声が始まった。その声は明瞭だが機械音声のように人工的なものだった。実際のところ、この声は世界中に響いていた。日本人には日本語で、フランス人にはフランス語で、トルコ人にはトルコ語で、あらゆる言語で同じ文言が繰り返された。
「私たちは惑星ローノを起源とする種族です。この星、あなたたちが地球と呼ぶこの星に友好を求めてやってきました。地球の皆さま、どうか警戒を解いてください。私たちに攻撃の意志はありません。より良い発展のためにやってきました」
この音声が十回流れた。人々はこれに少し落ち着きを取り戻して、この来訪が明るいものだと期待をし始めた。しかし、まだまだ恐怖が消え去ったわけではない。なぜならこの宇宙人たちは人類を遥かに超えた科学力を持つだろう。もし彼らの言葉が嘘ならば、また彼らの気分を害してしまうことがあったなら、人類は瞬く間に駆逐されるだろう。オリヴィアもまだ緊張に顔を固めていた。すると次の音声が始まった。
「どうか、どうか安心を。こちらに一切の武力はありません。それは我々の決め事なのです。私たちは母星でもコロニーでも兵器や軍隊を所持していません。そういう決まりなのです」
これもまた十回流れた。この言葉が果たして本当だろうか。彼らは信用すべき存在なのだろうか。世界中がどうするべきか考えあぐねていた。また新しい音声が、うずまく人類の心に入り込んだ。
「こちらの代表の方と対話がしたい。どうか話しかけてください。この装置は地球全土から音声を拾い上げて識別し、翻訳することができます。質問があれば優先度をつけてから、一つ一つ回答します」
すぐさま様々な声が上がった。全ての声が二十センチ四方の小さな装置に集約される。宇宙人たちは静止したままだ。だが一つの声に彼らが反応を示した。その声は彼らの目の前、オリヴィア=ブラウン事務総長から発せられたものだった。
「あなたたちは発展を求めてと仰っていますが、あなたたちの文明は我々のそれよりもはるかに進んでいるように思えます。どうして我々とコンタクトする必要があったのですか」
その質問は宇宙人の装置によって世界中に届いた。人々は口を開くのを止めて、宇宙人の答えを待った。しばらくして、再び装置が震えだした。
「お話ししましょう。確かに、我々の文明はあなた方よりも遥かに進んだ領域にあります。科学技術という面においては、あなた方の協力は必要ありません。しかし、我々は科学に傾注するあまり文化の多くを喪失しました。かつては我々も文学を、音楽を、絵画を、舞踊を楽しみました。しかし、あるときからそれらは全て生命の発展には不必要なものだと認識されるうようになりました。我々は文化を忘れてしまった。しかし科学が成熟し、我々は文化を持たぬことの虚しさに気付いたのです。そこでほかの星に行き、そこで発達した生命と接触して、科学と引き換えにそこの文化を学ぼうと考えたのです。宇宙は広く、星は砂漠の砂粒のごとく存在しますが、知的生命がいる星は貴重です。この地球は、私たちが途方ない年月をかけて初めて見つけ出した文化を持つ星なのです」
途切れることなく続いた言葉を、オリヴィアは頷きながら聞いた。そして少し余裕が出てきた彼女は、冗談の一つでも言いたくなった。
「なるほど、あなたたちの仰ることに嘘はなさそうですね。なぜなら、あなたたちはこんなにも進んだ文明を持っているのに、とてもじゃないがお洒落とは言えません」
人間たちから吹きだすような笑いが漏れた。宇宙人たちは、光沢のある緑色のタイツを着用していて、真ん中に立つ人物がリーダーであることを示すためか、胴に白い綿毛のようなものを巻いている。またねこじゃらしのような突起物が縦に五本並んだ帽子を被っている。それらがどのように素晴らしい機能を備え付けていようとも、こんな格好は御免蒙りたいものだ。
「まったく、その通りです」
装置から相変わらず平坦な声が返事として出た。この返事からも彼らが冗談を解す文化を持っていないことがわかった。人々は瞬く間に優越感を持ち始めた。この神のごとき力を持つ異星人が、我々に教えを請うているのだと。
それから話はとんとん拍子で進んだ。人類の意志決定にはわずか数日しかかからず、この宇宙人――ローノ星人――との交流は始まった。もちろん反対するものもいたが、そんな者たちもすぐに態度を改めた。ローノ星人たちは熱心に文化を学び、そして人類への恩恵も惜しみなかったからだ。
人類には彼らからある種のエネルギーを与えられた。宇宙にある人類には観測不可能な物質を用いたもので、莫大なエネルギーを生み出した。街のスーパーマーケットくらいの規模の施設が、人類全体が使用するよりもずっと多い電気を生み出した。貧困は数か月で地球上から駆逐された。戦争もなくなった。争うことなく自分たちが望む資源を得られるようになったからだ。
病も消え去った。日焼けマシンのような機械に入れば、ものの十秒であらゆる病から体が解放された。その機械が一家庭に一台供給された。もはや癌もエイズも狂犬病も、神話の存在となり果てた。
世界からあらゆる悪が消えて、人類にもたらされたのは繁栄と平和だった。人類は見返りとして、あらゆる文化をローノ星人と共有した。ラスコーの壁画も、オデュッセイアも、李白の詩も、ネイティブ・アメリカンの儀式の踊りも、ビートルズも、エド=ウッドの映画すらもローノ星人に提供した。またローノ星人の科学を用いて、人類は新たな文化も創造した。余った電気を放電して空に巨大な絵を描くエレクトリックアート、動物の体に精神を投入し、その体を使って踊るアニマルダンス、月自体を楽器として音を奏でるムーンシンフォニー。
ただ一つ、人類がローノ星に行くことはできなかった。それはローノ星があまりにも遠すぎるためだった。彼らの技術を用いても、ある程度質量を持つ物体を、空間歪曲移動させることはできなかった。データが精いっぱいだったのだ。それでも人類に不満はなかった。木星には旅行できたし、宇宙航行は基本的につまらないものだと教えられたからだ。それはトンネルを進み続ける鉄道旅行のようなものだと。
数十年経つころには、人類は文化の民と自らを呼ぶようになっていた。ほとんどすべての者が生涯芸術振興に努めて、音楽と絵画、文学の博士号を持っていることが当たり前になっていた。ローノ星人は科学の民と呼ばれるようになった。
あるとき、ローノ星人の親善大使――始めて人類と接触した彼――と人類代表の国連事務総長のグエンが会談した。グエンは老齢の男性で、カイゼル髭が彼の自慢だった。そして人類で最も優れた音楽家だとして尊敬を集めていた。
「いやはや、我らの共栄はまさしく黄金の時代といったところですね。聞いた話では、近々生命の時空歪曲移動も可能になるのだとか」
グエンが自分の髭を撫でながら言った。
「はい。母星ではすでに我々と同質量の動物を時空歪曲移動させることに成功しています。まもなくですね」
ローノ星人の代表は、流暢な英語で答えた。相変わらず平坦だったが。
「素晴らしいですな。これで我々の本当の交流が始まるのですね。私の世代でこのような悲願を果たすことができるとは感無量です」
「そのことなのですがね。我々は空間歪曲移動の完成と同時に母星へと帰ろうと思います」
「はいぃ」
グエンが髭を撫でていた手を止めて、実に情けない声をあげた。
「もともと我ら文化開拓民は、母星に帰れぬ覚悟で宇宙に飛び立ちました。それが帰れるというのです。私の父母に会いたいし、祖父母にも、曾祖父母にも会いたい」
「ち、ちょっとお待ちを。ということは、皆さん全員引き揚げるというのですか」
グエンは思わずテーブルに身を乗り出した。周りにいた国連の職員も、皆不安げな顔をしている。
「そうです。一人残らず」
「では、この星のエネルギー生産はどうするのです。エネルギーです。あなたたちがいなければ、電球を灯すことすら不可能なのですよ」
「御心配には及びません。すぐに戻ってきます」
その言葉を聞いてグエンは胸を撫で下ろした。
「どれくらいでお戻りになるのですか」
「そうですね。向こうで休暇も過ごしますから、ざっと二か月といったところでしょ」
グエンはますます安心した。二か月ならば蓄えたエネルギーでなんとか持たせることができるだろう。
「よかったよかった。ぜひとも休暇を楽しんできてください。あっ、気を遣わずとも、お土産などは結構ですよ」
大笑いをして、グエンは再び髭を撫で始めた。
するとにわかにローノ星人の体が透け始めた。それは世界中にいる八千二百五十三人のローノ星人に同時に起きた。慌てるグエンたちに対して親善大使は制するように手をかざした。
「落ち着いてください。粒子化が始まったのです。我々がこの星に初めて降り立ったときと同じですよ。体を粒子にすることで時空の穴が小さくとも通すことができます。そして目的地で再構成するのです。技術の応用ですよ」
そう言う親善大使の体はますます透けて、赤い粒子へと変換される。粒子は螺旋を描いて上昇し、天井をないもののように突き抜けていく。彼らがやってきたときのように、人々は口を開けて空を見上げた。あっという間に、ローノ星人たちは地球から去って行った。ニューヨークに浮かぶ円盤を残して。
「ふぅー」
グエンはゆっくり息を吐いて背中を伸ばした。その表情は空気の抜けた風船のように情けないものだった。
「私が生まれたときから彼らはいるが、やはり目の前にすると落ち着かないな。しかし赤い粒子が一斉に昇っていく様はなかなか壮観だった。うん、一曲作れそうだな。早速帰ってとりかかろう」
緊張で凝った腰をあげて、グエンは上機嫌で家へと急いだ。
彼の楽曲、『粒子の赤い螺旋煙』が出来上がったころ、彼ははたとあることに思い当たった。
果たして彼らの言う「二か月」とは、この星の二か月のことだろうか。彼らが寝ているところを見たと言う人はいない。それは科学がなせる肉体改造の結果だと思っていたが、もしかすると彼らの星では自転やら何やらの影響で、地球よりも一日が長いのではないか。もしかすると、彼らの一日は我々の何年、何十年なのでは。少し心配が胸に差したが、すぐに優れた知能を持つローノ星人が、そんな浅はかな誤謬をするはずがない。そう結論づけると、グエンは出来たばかりの曲を、全人類文化共有システムへとアップロードした。そして続々とやってくる称賛の言葉を見て、鼻歌交りでコーヒーを淹れた。
久々の休暇をとって珍しく微笑みを浮かべるローノ星人が、地球に帰ってきて見た光景は、あらゆるものが砂に埋もれて文明の跡がほとんどなくなった地表だった。わずかに超高層ビルがその天辺を砂の山から覗かせている。笑顔が消えて、さすがに焦ったローノ星人は、新しく母星でできた装置を用いて、かつてニューヨークと呼ばれた地を掘り起こした。まず自分たちが乗ってきた宇宙船が見つかって、その次にわずかな建物の残骸が出てきた。
そこで親善大使は間違いに気づいた。母星の二か月とこちらの二か月は大幅に違うのだ。地球の暦の考えに合わせて二か月と言ったが、一日の長さそのものが違うのだ。地球では実に二千年の時が経っていた。
親善大使は、グエンに特別に与えた数千年は耐えられる小さな金庫のことを思い出した。調査を進めると、宇宙船の下の国連本部ビルと思われる残骸の中に、金庫は傷一つなくあった。金庫の中にあったのは一通の手紙だった。グエンの署名が入っている。親善大使はそれを読んだ。
親愛なるローノ星の友人たちへ
もうなす術はない。我々は忘れてしまったのだ。
君たちが消えても我々は危機に気づかなかった。私は君たちとの一日の差に、一抹の不安がよぎった が、君たちの能力を過信して――つまり君たちを神のごとく思って――よもやそんなことがあるはずがないと思ってしまった。約束の二か月が過ぎたころも、私たちは楽観視していた。君たちがどのように休暇を過ごすのか、冗談を飛ばしあったりすらしていた。きっと仏頂面で、次は時間をさかのぼる方法を考えているだろうと。三か月が過ぎたころ、エネルギーの不足が判明し、世界はパニックに陥った。君たちが来たとき以上のだ。観測不可の物質を利用してエネルギーを生み出すことは無理だった。何とかエネルギーの倹約に努めたが、四か月経った頃には人類はあらゆる科学を失った。我々は科学に飼いならされた家畜だったのだ。君たちがもたらした科学に。いや、君たちを責めているわけではない。我々が科学を忘れたのが悪いのだ。空気のように当たり前に存在していた科学に甘えていたのだ。原始的な農業を試みたが無駄だった。改良された植物は、人工太陽と人工雨、それに完璧に計算された土壌なくては育たなかった。牛や豚、鶏も君たちの飼料以外では肥えることはなかった。あぁ、正直に言おう。我々のほとんどは忘れてしまっていたのだ。太古から受け継がれていた、生きるための当然の営みを。すぐさま争いの時代へと突入した。滑稽なのは、武器は銃や剣すらではなく、石とこん棒なのだ。半年前まで空を飛んで、尽きぬ食料を浪費し、天候すら自らで決めていた人類がだよ。おかしいだろう。当然、病気も濁流のように人と都市を飲み込んだよ。風邪ですら、今の人間には致命的だ。飼育者がいなくなった家畜がどうやって生き延びられようか。
そろそろ私も限界だ。この手紙は、君たちが去ってからちょうど一年後に書いている。私はしぶとく生き残ったからな。できればこれが残って、君たちが目を通してくれることを願う。君たちが人類を見限っていなければね。指が震える。もう空腹も感じない。自慢の髭はとっくにぼさぼさだ。人類は地球に暮らしていたのに、あまりにも地球から離れてしまった。もしや、これは君たちの企みではないだろうな。初めからこの星が目的で、我々をこうして滅ぼすつもりだったのじゃあないか。時空歪曲移動など、出会ったときから完成していたんじゃあないか。あぁ、すまない。迫りくる死につい取り乱した。私は君たちを信じてる。
君たちが最初に言っていた言葉を思い出す。「我々は文化を忘れたしまった」 そうなのだ。「我々は科学を忘れてしまった」 そしてそれは、あまりにも致命的だった。
逝くときが来たようだ。失意の中で死ぬとは微塵も思っていなかったよ。
さようなら。どうか我々が与えたものを、忘れないでくれ。
グエン・バー=ビン
親善大使はため息を吐くと、その手紙を、休暇中に母星で仕立てた地球風の洒落たスーツの懐にしまった。彼は周りの仲間を見渡し頷くと、右手を宙に掲げた。
赤い粒子の螺旋が無数、晴れ渡った旧ニューヨークの空に昇った。