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幸福の在り処  作者:
本編
7/14

第四話


 彼らから与えられたいと思っていた、過去の自分の幼さがただただ懐かしい。






 王宮に登城する準備の為、王都屋敷へと移って来た両親と兄をイリスとレヴィルは出迎えたのだが、三人ともアリス一直線で王都屋敷を維持していた使用人達に労いの一言すらない。

 とうに慣れている彼らは、イリスに視線を向ける。

 一つ、小さく嘆息しててきぱきと指示を出し始める。その姿を見て、レヴィルは嫌々な表情を一瞬だけ浮かべて両親達に向き直る。


「父上、母上、兄上、長旅でお疲れでしょう。お茶の用意をしておりますので、どうぞこちらに」


 あからさまな棒読みの言葉に、呆れた様子を隠しもしない表情で両親達を見ていた少年が噴き出すのをこらえるように顔を背ける。

 一度ぎらりとにらみつけ、何事もなかったように表情を繕い、振り返る両親達を迎えた。何時の間にいたのか、と言わんばかりの表情は見なかったことにする。いっそ、アリスの方が一足遅かったのだが、最早気にする必要はない。というか、面倒くさい。


「…イリスはどうした。アリスに表の事を押し付けて、何をしているんだ」


 眉を寄せる父親に、レヴィルが冷めた視線を向けるが気付いていない。

 表の事も何も、両親達にちやほやされているだけで何もしていないアリスに、何を押し付けたと思っているのか。


「姉上は父上達のお荷物を片付ける使用人に指示を出しておられます」


「…執事に任せればよいものを、そんなにアリスと一緒に居たくないというの」


 意味が分からない、と言いたげな母親に、レヴィルは頬を引き攣らせないように全神経を傾けざるを得なかった。

 何がどうなってアリスと一緒に居たくない、という結論に至るのか甚だ理解できない。そもそも、執事に任せる為に指示を出すのは伯爵夫人である母親の役目である。


「あれは劣等感の塊だからな。アリスのような完璧な淑女を見ているのが苦痛なんだろう」


 器の小さい奴め、と吐き捨てる兄に思わず袖口に仕込んでいるナイフに指がかかるが、控えめながらも存在を主張する咳払いによってそれ以上の行動は阻止された。

 両親達の後ろで、どんどん下降していくレヴィルの機嫌を唯一察知していた少年に、視線が集まる。


「玄関先で立ち話など、アリス様のお体にも障ります。お部屋にいかれてはいかがでしょうか?」


 アリスのことを気にかけている言葉を口にすれば、彼らはたやすく動く。

 それを伯爵家の使用人達は熟知している。もちろん、イリスとレヴィルもわかっているのだが、イリスは家内の指示出しに忙しく、レヴィルは出来る限りアリスの名を呼びたくないので、口にすることが出来るのは一部の人間だけだ。


 それもそうだ、と頷き合う両親と兄がアリスを取り囲んで談笑しつつ通り過ぎるのを横目で見送り、距離が開いてからレヴィルは大きな息を吐いた。


「ありがとう、クライブ。危うくあの愚兄をこの場で殺すところだった」


「どういたしまして。安心しろ。あれの人生もそう長くない」


 不穏どころではない会話に、聞こえてしまった侍女や従僕が視線を泳がせながら聞こえなかったふりをした。居心地悪げだったり顔色が悪かったりしない様子は、同意であることを示している。


「…母さんから、イリス様とお前に、と色々と預かってる。また、な」


「あぁ、あれらの目が無い時に、な」


 苦笑する少年・クライブにようやく素の表情で笑みを浮かべたレヴィルは、首を鳴らして一息ついてから両親達の後を追った。


 クライブはレヴィルの乳母である伯爵家の侍女ベネットの一人息子で、父親は庭師のポールだ。同い年のレヴィルとは伯爵夫妻が放置気味だったのを幸いと、取っ組み合いの喧嘩をする、まるで兄弟のようにして育った。それを温かく見守っていたのがイリスだ。

 だからだろう、クライブもイリスの事を姉の様に慕っている。幼い頃は、それこそ、姉ちゃんと呼んでいた。


 レヴィルが部屋に行けば、すでに両親と兄とアリスはティーカップ片手に談笑していた。イリスはいない。

 家族団欒にならないだろう、と思うのだが、あそこに加わりたいとはイリスもレヴィルも思わなくなって久しい。

 後々が面倒なので、空いている一人がけのソファに座り、侍女が入れてくれた紅茶に口をつける。


「それで、お城に行くのに緊張する、て言ったら、ジーン様が迎えに来てくださるって…」


 ぽっと淡く染めた頬を、ほっそりとした白い手で覆うアリスに、両親も兄も嬉しそうに声を上げて満足げだ。比例して、レヴィルの眼差しは極寒のごとく冷めていき、脳内ではジーンに対する罵詈雑言が吹雪のごとく吹き荒れている。

 ちなみに、室内に控えている侍女も従僕も内心ではジーンに呪詛をまき散らしているが、おくびにも出さない。高位貴族に仕える身として、感情を制御し表情を変えないことは必須技能である。

 クライブは、レヴィルの内心を察しつつ、すぐに抑えられるようにさりげなく立ち位置を変える。


「そういえば、お父様。ドレスの色は言った通りにしてくださいました?」


「うむ。急な事だったからフルオーダーは出来なかったがな。アリスは色が白いから、きっと鮮やかな赤は映えるだろう」


 思わず吹き出しかけたレヴィルだが、間一髪、なんとか飲み込んで平静を装う。その姿を、クライブをはじめとした侍女や従僕が心では手放しで褒め称えていた。

 指示を出し終えて戻って来たばかりだったイリスも、侍女からティーカップを受け取った状態で固まった。

 常に冷静沈着なイリスが表層を保てない程の発言をしたことに、アリスも両親も兄も気付いていない。四人だけで和気あいあいとしている様子に、レヴィルがそっと視線を向ければ、向けられたイリスはそっと息を吐いて頷いた。

 せっかく入れてもらった紅茶をテーブルに置き、姿勢を正す。


「アリス」


「っ…なぁに、イリス」


 驚いた、というよりは怯えた、というような反応を見せて、甘ったるい声を返して首を傾げながらイリスを見る様子に、レヴィルは眉間にしわを寄せる。18になる淑女がしていいしぐさではない。

 さっきまで平静を装っていたのに、そこは素直なのか、とクライブは思ったが突っ込まない。していい雰囲気ではない。


「赤はダメよ。別の色にした方がいいわ」


「…どうして、そんな意地悪を言うの?」


 悲しそうに声を震わせるアリスに、両親と兄から物理的な鋭さを持つかのような睨みがイリスに向けられる。だが、イリスは何一つ意地悪を言っていない。

 まずは理由を聞け、レヴィルと使用人一同の心は一つになった。


「赤は妃殿下が謁見の際に好んでお召しになるお色よ。避けるべきだわ」


 至極真っ当な理由である。

 パーティなどでは、上位の女性が身に着けるドレスの色は避けるのが慣例になっている。その為、さりげなく誰それがどんな色のドレスを作っている、などという情報がお茶会などで飛び交う。悪意を持って嘘を教えたりする人もいるが、そこは自分の人脈の見せ所である。

 その中で、国内女性最高位にある王妃が身に着ける色には、誰もが緊張をもって注目している。

 癇癪持ちではなく、鷹揚で気さくな性分である王妃は、鮮やかな赤色を好む。季節折々のパーティや外交祝賀などは別であるが、私的な謁見や茶会などでは赤系統の色、と決まっている。

 だから、誰もが暗黙の了解で赤を避けるのだ。

 何より、知らずにいたのならともかく(それでも意地悪く陰口がたたかれることが多いが)、誰もが知っているのにあえて同じ色をまとえば、自分と相手は同等という意思表示にとられかねない。現状、王妃が赤以外を身につけていない以上、あえて合わせたとしか思えないだろう。


「なら、尚の事じゃない」


 何が、というのがイリスとレヴィルの率直な感想だ。口に出しはしなかったが。


「王妃様がお好きな色だから、なんて避けるのは王妃様が可哀想よ。お一人だけなんて寂しいわ。それに、好きな色がたくさんある方が嬉しいんじゃないかしら」


 何その超理論、というのがイリスとレヴィルの以下略。

 もう、二人は口を開く気力すら失った。クライブを含んだ使用人達から一様に同情と痛ましげな視線を向けられる。

 両親にほめそやされて浮足立っているアリスは、げんなりした様子のイリス達に気付かない。ただ、兄だけは鼻で笑ってから蔑むような視線を向けて来た。


「自分には華やかな色が似合わないからと言って意地の悪いことを言うとはな。公爵夫妻に遠慮して茶会に呼んでくださっている妃殿下もお可哀想に」


 訳知り顔で言ってくるのにレヴィルはいつもなら殺意が湧いてくるのだが、それが突き抜けたのか目の前の兄である男が哀れになった。

 イリスに視線を向ければ、諦めたように息を吐いて小さく首を振った。


 イリスは赤やオレンジなどの暖色系は確かに似あわない。色味によるだろうが、イリス自身の好みとも違う。凛とした涼やかな美貌のイリスは、青や銀色などの寒色系が似合う。それを気にしたことはない為、意地悪を言う理由がない。

 さらに言えば、王妃が公爵夫人に遠慮する必要はない。王妃は西の海洋国家である友好国ネリス王国の第一王女だ。王族に近しいとはいえ、たかが公爵家に遠慮はしない。

 何より、王妃はイリスを個人的に気に入っている。度々呼ぶと、手ずから作った菓子や紅茶を振る舞う位には。


 そんな事情を一切知らない、兄にイリスとレヴィルはただただ憐れんだ。



 かつて、関心を向けられないことに悲しみ、苦しみ、足掻いていた時期はとうに過ぎ、二人はただただ両親と兄と姉を憐れむことしか出来ない。


 何も知らないことが何の免罪符にもならないことを、とうに知ったイリスとレヴィルは同情も悲しみも浮かべない。

 ひたすらに、憐れむしかない。



 二日後、彼らの身に起こることを、知りながら何も言えないこと現在に、二人の心は痛まない。








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