間 カーライル
現実から逃げ続ける者に、幸いが与えられる事はない。
寮の一等応接室で友人と向かい合っていたカーライルは、寮監に客が来ている事を告げられる。聞いてみれば、妹だ、と言われてカーライルはあからさまに表情をゆがめた。
その様子に、寮監は慰めるように肩を叩く。
カーライルの家族関係は、貴族社会では有名だった。公然の秘密、暗黙の了解、として誰も口にしないだけで。
友人に促されて立ち上がり、寮監に同席を頼み、カーライルは応接室に向かう。
無視することもできたが、妹の性格を知っているから面倒事になる事は確実、と判断して嫌々なのを隠しもせず、応接室に入る。
カーライルの対面に位置する場所に座っている少女は、扉脇に立っている寮監に不愉快そうな視線を向ける。
「…席をはずしていただけません?」
つんとした気位が高そうないい方に、興味も関心もなく面倒くさいというのを隠しもしないカーライルは心底からバカに仕切ったように吐き捨てる。
「婚約者がいる身で女と二人になるバカはそうはいない。密室ならなおの事。他人が介在しては話せないような内容なら、家に帰ってからにしろ」
「女って…」
ぽっと頬を染めて手を添わせる姿はおそらく可愛らしいのだが、カーライルは内心全力で引き、寮監は憐れむようにカーライルを見た。
「で、要件がないならぼくは戻る」
「…今度、王宮に上がられるのでしょう?」
「それがどうした。お前には関係がない」
「もう三日後ではありませんか。同伴する者が必要でしょう?」
「で?」
「あたくしにも用意がございますのに、もっと早く言って下さらないと…」
困ったように言う妹に、カーライルは寮監に視線を投げる。呆れたような表情を寮監がしているのに安堵のため息を零し、立ち上がる。
「寮監、お時間を取らせて申し訳ありません。阿呆の相手は疲れますね」
「…心中、察しますよ。カーライル君」
カーライルが名前で呼ばれることを許容している数少ない人物である寮監は、貴族だが身分は庶民とほとんど変わらず、細やかな気遣いと誠実な人柄で親しまれている。見下すバカもいるが、先年に卒業した王太子に信頼されている事実から突っかかる者はいない。
いきなり立ち上がり、寮監と会話をして出て行こうとするカーライルに、妹は慌てて呼び止める。だが、カーライルは扉を開けてしまう。
「っ…カーライル様!」
ドゴッ。
妹が焦れたようにカーライルを呼んだ直後、壁に鈍い音をたててカーライルの拳がめり込んだ。決して柔い素材でも薄い壁でもない。王立学院として貴族の令息が生活するのに過不足ない、最高級の材質と最高の技術を持って作られている寮は、非常に頑丈だった。
殴りつければ、殴った方の拳が裂けて出血、最悪、骨が砕ける程度には。
なのに、カーライルの拳は力の限りぶつけた為か若干赤くなっているが、傷は何もない。
肩越しに見やった妹が蒼白になっているのに、カーライルは口元に冷ややかな笑みを浮かべる。
「黙れ。アリエラ・シェルク。貴様如きがぼくの名を呼ぶな。王宮に呼ばれてはいるが宴ではない。同伴者は不要。例え必要でも、婚約者がいるのだから貴様は必要ない。とっとと失せろ」
冷徹に言い捨てて、カーライルは振り返らずに立ち去る。残された妹・アリエラは蒼白のまま立ち尽くし、寮監に促されて待機していた馬車に乗せられて帰っていった。
元いた一等応接室に戻れば、苦笑と共に友人に迎えられ、カーライルは恨めし気な視線を向けてしまう。友人の名を出せば、アリエラを会わずに追い返すことが出来たのに、と思ってしまった。
「災難だったな」
「そう思うなら、助けてくださいませんかね、バルド王太子殿下」
刺々しさを隠しもしないカーライルに、友人・バルドは控えめに声を上げて笑う。
先年に卒業したラティルカ王国の唯一の王子にして王太子であるバルド=ラティルカと、カーライルが親しい友人同士であると知る者は寮内では寮監とレヴィルぐらい。ジーンとはカーライルが敬遠している為近しくなく、ここ数年はバルド自身もあまり関わっていないので関係を知らない。そもそも、カーライル自身が他人との接触に積極的ではないので、友人が少ない。
「後、1年半か。長かったね」
「全くですよ。実権は全部こちらだというのに、こまごまと面倒事を起こし続けてくれて、鬱陶しい」
「……仮にも実の両親に対して酷いな。気持ちは分かるが」
「分かるんだったら、何も言わないでください」
「そういえば、彼女、来年入学だっけ?」
「ええ。まぁ、良くて2年でしょうけどね。在学できるのは」
「君が伯爵位を名実ともに継げば、彼女は伯爵令嬢ではなくなるからね」
「…早く過ぎ去れ、1年半」
「その前に、イリスの事があるよ」
「あぁ、そうですね。そっちが重要だった」
あっさり、と自分の事よりも友人であり尊敬する先輩の事情を優先する様子に、バルドは苦笑を刻む。
カーライルは、婚約者であるミニーナ同様にイリスを慕っている。年上だから、という理由だけでは説明できないほど、絶対の敬意を持って接しているのは、傍から見ていても明らかだ。
その要因は、カーライルの家庭環境にある。
カーライルの家は、典型的な政略結婚だった。正確には、父親の一方的な恋情によって成り立った関係だった。
地方の貧乏貴族だった母親に、上の下ほどの家格であるシェルク伯爵家からの申し出をはね除ける力はなかった。当時、結婚の約束をした騎士がいた母親は、感情を殺して結婚したが、騎士と会うことをやめなかった。
カーライルを出産後、父親は母親に興味をなくしたようで、愛人を作り、それに乗じて母親は騎士との密会回数を増やした。当然、興味をなくした女の息子で、好いてもいない男の息子であるカーライルに、二人がまともな親であろうとするはずがなかった。
子育てを乳母と使用人任せにしていた二人に、第二子が生まれたのはカーライルが5歳の時。それがアリエラ。当然、父親の子ではなかった。
世間体から、自分の子とした父親に何の感情もわかなかったが、カーライルは母親を心底から軽蔑して切り捨てた。自分の中から、母親の存在を永久に削除した。
貴族、という人間に自分自身もそうであるという事実に、果てしない嫌悪と憎悪を抱いて成長したカーライルは、10歳の時、翌年に学院入学するバルドの学友選出の意味合いを兼ねた宴に出席した。
そこで、カーライルはイリスに出会う。
「自分自身が押しつぶされてあげる必要などないわ。それは貴方の物ではないでしょう?」
壁の花になっていたカーライルの近くで、同じく壁の花になっていたイリスが、唐突に呟いた。
視線を前に向けたまま、カーライルの方は一瞥もせずに落とされた呟きだが、自分に対してだとカーライルは何故か理解した。
そして、イリスの言葉をゆっくりと何度も反芻して、理解した瞬間、思考を読んでいたかのようにイリスが再び口を開いた。
「次に会う時は、『貴方』にご挨拶させてくださいな。シェルク伯爵公子」
壁から離れて、イリスの事を放置してアリスに構っている家族の元に歩み寄る背中を見送ったカーライルは、困惑の中にいた。
ただ一つ、明確に分かったのは、その通りだ、ということだった。
カーライルに嫌悪を、憎悪を植え付けたのは両親で、それは本来なら必要なかったもので、両親の身勝手な行いの結果で、カーライルに非はないのだ。そして、それらによってもたらされる害悪を背負ってやる義理もない。
そう思ってしまえば、色々と軽くなった。
色々なものがすとんと落ちていささかぼんやりしていた時に、バルドから声をかけられ、現在に至る友好が始まった。そのきっかけが、すでにジーンと婚約していたイリスに挨拶した際、カーライルの事を伝えらえたからだった。仲介した理由については、イリスに聞いても、首を傾げながら、なんとなく、としか言われなかったので未だ謎である。きっとイリス本人もわかっていない。
それから、学院に入学するまでの2年間を情報収集と人脈形成に精を出したカーライルは、そちらに並々ならぬ才能があったのか、瞬く間に父親を引きずり下ろすだけの力を手にいれていた。同時に、いつの間にか、ジーンを差し置いてバルドの学友になっていた。ジーンは側近候補ではあるが、気の置けない関係、という意味合いがある立場なのはカーライルのみだ。一応、ミニーナとレヴィルも加わるのだが、諸々事情がありすぎる。イリスはまた別の立ち位置だ。
あの時、イリスの呟きをカーライルが拾っていなければ、自分への物だと認識していなければ、現在はありえなかった。
学院で数少ない友人達を、ミニーナという婚約者を、得る事は出来なかった。
カーライルにとって、イリスという人間は恩人だ。
鬱屈と堕ちていくだけだったカーライルを引き上げ、バルドの最も近しい友人の立場に据え、わずか12歳で伯爵家の実質的な当主になる。
その結果を導き出したのは、あの時のイリスの呟きなのだから。
「裏切ったらどんな手を使ってでも殺します」
「…不敬罪で縄をかけるべきかな?」
「殿下じゃありません」
「たら、じゃないよね、その場合。あと、君が言うと本気にしか取れないから気を付けよう。本気なんだろうけど」
「そうですよ。それに、ぼくが手を出すまでもありませんから。ですよね? 殿下」
「当然だ。私は王族として、利益を生む者を害を生む者の為に粗雑に扱うことは許すわけにはいかないからね。それ以前に、人として、許してはならないことを見逃す気はない」
「…貴方の言葉こそ、恐ろしいですけどね。まぁ、自業自得ということで」
「全くだね」
互いに、浮かべるのは朗らかな笑み。
だが、その内容はうすら寒い事このうえない。
心の底から笑みを浮かべ、互いに大切に思う相手の手を取れる三日後を、二人はひたすらに待っている。