間 ミニーナ
人には分があり、それ以上を求めるは滑稽、けれど、己の分があることにすら気付かないのは死に値する愚かさだ。
自ら事業展開をしているミニーナは、仕事に関する書類を不特定多数が行き来する寮に持ち込めるわけもないので、特例措置で王都屋敷から通学している。特例理由は、学院への寄付金である。ちなみに、ミニーナがポケットマネーで買った、正真正銘ミニーナ個人の所有物件である。
信頼する家令と従僕に侍女が二人(乳母一家)、ミニーナを入れても五人しかこの屋敷にはいない。余談だが、四人の給料はミニーナのポケットマネーから出ている。
「遅いわよ!」
頭の中で仕事の処理の順番を組み立てていたミニーナは、何やら口ごもる家令に問う暇もなく罵倒され、大きな瞳を眇めてしまった。
ミニーナと同じ淡い茶色の髪を結い上げたきつい容貌の女性を認めて、女性とは違う紫色の瞳にあからさまな嫌悪を乗せる。
すっと視線を女性の奥へと滑らせれば、申し訳なさそうな家令が疲労感をまとって深々と頭を下げて来たので、ミニーナは叱責を流すことにした。
「遅い、と申されても、先触れもなく来られて困るのはこちらです。あたしはいつもこのぐらいに帰宅しますし、というか、勝手に人の家に入らないでください。非常識極まりない」
冷淡な声音で吐き捨てるように言えば、女性は頭に血が上ったのかミニーナに歩み寄ると右手を振り上げる。
バシン、と痛そうな音が響き、家令が思わず口を出そうとすればミニーナが視線で制する。
「姉に対してなんていう口を利くの! だから落ちこぼれなのよ!」
「そういうことは、店の一つくらい繁盛させてから仰ってください」
左頬を腫らして毅然と言い返せば、女性が再び手を上げる。
それが振り下ろされる前に、ミニーナは後ろへと引きずられ大きな背中に庇われる。
一度寮に帰ってからやって来たカーライルだ。
柔和な笑みを浮かべたカーライルの接近に気付いていなかった女性は、音をたてて固まる。
自分の態度が淑女にあるまじきことであるということを理解はしているらしい。
「これはこれはアンネッタ夫人、お久しぶりですね。ランダーラ子爵はお元気ですか?」
朗らかな、一瞬前までのミニーナとの険悪な雰囲気を無視した問いかけに、アンネッタは頬を朱に染めて手を下げると恥じらうそぶりで扇を取り出し口元を隠した。そんなことをしても、本性を十分にさらした後では滑稽でしかない。
「え、えぇ、夫はとても元気ですわ。シェルク伯公子様」
不用意に名を呼ばなかったことに、家令がそっと息を吐いているのが見なくともミニーナには分かった。カーライルは柔和で親しげながら、自ら許容した人間以外に名を呼ばれることを酷く嫌う。現時点、生徒会所属以外ではほんの数人だ。
ミニーナのすぐ上の姉であるランダーラ子爵夫人アンネッタはとうに20歳を過ぎているのだが、妹の婚約者であり5歳以上も年下のカーライルを艶めいた眼差しで見ている。
その様子にイラッと来たミニーナは、カーライルの腕を抱きしめるようにして横に並ぶ。
「それで、何か御用なの? アンネッタお姉様」
見せつけるような行動のミニーナに、カーライルは面白そうに唇の片方をわずかに上げる。
アンネッタはミニーナを睨みつける。だが、カーライルの前であることを意識してか、さっきまでの甲高い声ではなく静かに要件を告げる。
「お父様からのご命令よ。ジェノヴィア伯爵家のアリス嬢が王宮で身に着ける衣装と宝飾品を一揃え用意しろ、と。五日後までよ」
採寸したサイズを書いたメモを差し出されるが、ミニーナは冷めた眼差しで見やるだけ。
「申し訳ないけれど、断るわ。今、仕事を抱えているの。あの花畑の為に割いてやる時間なんてないわ」
とっとと帰って、と告げるミニーナにアンネッタが目をつり上げる。カーライルの前であることを意識していたはずなのに。
それより先に、ミニーナが嗤う。
「それに、あたしが受けている仕事は妃殿下からの物よ。たかが伯爵令嬢如き、優先するわけないじゃない」
アンネッタの顔色がさっと悪くなるのを鼻で笑い、差し出されているメモを取り上げて破り捨てる。
「あたしは、好き嫌いで仕事を選んでるわけじゃないの。身分におもねってるわけじゃないの。先着順にしてるの。それが納得いかない人にだけ、妃殿下のお名前を出させていただいているの。もちろん、許可はいただいているわ。嫌よね、常識も知らないヒステリックな勘違いのおバカさんって、意外に多くて」
あんに、お前はそのおバカさんだと言われたようなものである。
それがわからないほど馬鹿ではなかったようで、アンネッタは羞恥からか怒りからかふるふると震えている。
ミニーナの仕事は、簡単に言えばデザインから仕立てまでを一貫して行う服飾産業だ。デザイナーはミニーナのみで、多くの信頼できる針子を抱え、フルオーダーで作成される。
古くなった花嫁衣裳のリメイクや既製品に手を加えることもこなすが、基本はオーダーメイドだ。その為、依頼は納品予定日から短くて1ヵ月半前には入ってくる。一切手抜きをせず、最高の一品を作るという信頼が、事業を展開し始めてまだ5年であるにもかかわらず深い。
わずか10歳でデザイナーとして頭角を現し、起業するに至ったミニーナは天才と称される。だが、それまでは一点に突出しすぎている才能故に、アンネッタが言ったように一族から落ちこぼれ扱いされていた。本人的にはデザイン、第三者的には落書き、ととれる物を自室にこもって量産していたのが原因である。
それが表に出るきっかけは、イリスだった。
成り上がり、と称されるコルキート子爵家は、歴史ある貴族から侮られやすいがその財力は高位貴族に勝る。その為、懇意にしたいと思う貴族は多いのだ。そのうちの一つが開いた茶会にコルキート子爵家が招かれ、ジェノヴィア伯爵家も出席していた。
声をかけたのは、意外にもイリスからだった。
乳母以外に理解者がいなかったミニーナは、自分が着たいドレスをデザインし、乳母を介して仕立て屋に頼んだものを着ていた。それを、イリスは「素敵なドレスね」と率直に端的に褒めてくれたのだ。家族から相手にされてこなかったミニーナは「自分でデザインしたものだ」とするりとこぼしてしまった。イリスに揶揄もお世辞もなく、心からの感嘆が見て取れたからだ。
当時、12歳のイリスと9歳のミニーナ。
年齢一桁の少女の言葉を、誰もが戯言と切り捨てただろう。だが、イリスはあまり変わらない表情をわずかにゆるませて、告げた。
「素晴らしい才能をお持ちなのね。私のドレスも、作ってくれる?」
社交辞令ではない証に、こういった場でこの色でと具体的に告げてくるイリスは、傍らの侍女(後にレヴィルの乳母と判明)にメモを取らせてミニーナに差し出した。
予想外すぎる展開に瞳を見開いていたミニーナに、変わらないささやかな微笑みでイリスは、「今度は我が家の庭園で会いましょう」と告げて、アリスに構いきりの家族の後ろに戻っていった。
二週間後、小さなお茶会への招待状がミニーナの元に届いた。
ミニーナよりも小さなレヴィルを含めての可愛らしいお茶会で、イリスと意気投合し、ドレスのデザインについて話を詰めた。そうして出来上がったものを、ハムニア公爵家訪問の際にイリスが身に着け、褒めた公爵夫人にイリスが話したことでミニーナは幼いその才能を社会に向けて披露することになったのだ。
ミニーナはイリスに感謝してもしきれない。一生かかっても返せない恩がある。
服飾産業においては何も伝手が無かったコルキート子爵家ではミニーナの後援は難しいのを理解し、レヴィルの乳母の知り合いを頼り仕立て屋を紹介し、商業ギルドへの伝手さえも与えてくれた。
商人でありながら理解の足らなかった両親も姉達も、掌を返してミニーナを構おうとする。その姿に吐き気を覚えるような早熟さを持つミニーナは、だからこそ吐き気をこらえてその構いたがる家族を利用した。
事業主としての利権と特許を確立し、学院に入るまでに自分の屋敷と使用人を確保、イリスを起点に培った人脈と伝手は、けして家族に明け渡すことなく実家を離れた。
そんなミニーナが、例え先約が無かったとしてもイリスを苦しめる存在の為に、その腕を振るうことなどありえない。
「要件がそれだけなら、とっとと帰って。落ちこぼれは、親の言うことすら満足に聞くことが出来ないのよ。貴方方と違って、婚約者も自分で見つけてしまったし」
婚約の申し込みはカーライルからだった。基本、男性からか家同士の話し合いで決まるので当然と言えば当然だ。
だが、ミニーナの言葉は、男性から求婚されることが無く適齢期になって持ってこられた縁談に頷いただけの姉達を揶揄するものだ。実際、財産目当て以外の縁談はなく、アンネッタ達が男性から直接好意を向けられたことはない。
その事実をよく知るがゆえに、アンネッタは奥歯をかみしめる。
「…お帰りよ」
冷たく言えば、家令と従僕は頷いてアンネッタを外へと促す。力を込めていないようで、有無を言わさない力強さで腕をつかみ、馬車に押し込んだ。
何かわめいていたが、アンネッタの言葉に耳を貸す者はこの屋敷にはいない。
侍女が大きく息を吐いているミニーナとカーライルにそっと近づき、お茶の用意が出来ました、と苦笑含みに告げた。
「…バカバカしい話だわ」
「全くだ」
「自分のお披露目が出来る、と思っているのかしら、あの花畑」
「念願かなって陛下と妃殿下にご挨拶できる、くらいにしか思っていないんだろう。そこで、何を言おうとするのか見ものだな」
「…ジェノヴィアは、堕ちるわね」
「だが、イリスとレヴィルは生き残る」
「なら、問題ないわね」
「あぁ、問題ない」
頷き合い、嫌な空気を払拭するようにして、二人はささやかなお茶会を楽しんだ。
二人の心にあるのは、大切な友人が心晴れやかにできるであろう五日後が早く来るように、という願いだけだった。