元社畜さん、保護されました。
……なんだろう。
なんだかふわふわしたものに身体を包まれている感触がする。
しかも温かくて心地がいい。
私、確か久々に帰宅できて、母親も仕事で出かけていたから着替えて自分の部屋で寝てたんだっけ。
じゃあそろそろ起きてご飯作らないと……また殴られる……
ゆるりと目を開けると、見慣れた自分の部屋ではない天井が見えた。
……え、なんで。
上半身を起こして部屋の中を見回す。……うん。見覚えがなさすぎる。
というか、私の部屋こんなに家具置いていない。
……、……。……あー。そういえば、異世界に転移してたんだっけ。
で、なんで私はふわっふわのお布団に入っているんだろうか……
確か、転移したところは洞窟で、ふて寝したところは鉱石たっぷりの穴蔵だったはずなんだけど。
そのままぼんやりと考えていると、ドアが開くような音が聞こえてきた。
音が聞こえてきた方を見ると、長い銀髪をゆるく束ね、淡い緑色のローブに身を包んでいる綺麗な女性が、アメジストのような色合いの目を丸くして、こちらを見ていた。
「あら、起きていたのね」
女の人はにっこりと笑ってそう言うと、ベッドの近くにある椅子に座った。
「良かったわ。洞窟の中で貴女を見つけた時は驚いたのよ」
……あ、もしかしなくても私のことを保護してくれたのかな、この人。
よく見つけられたなぁ。
あそこ、結構入り組んでたし、なかなか見つけられるようなとこじゃなかったと思うんだけど。
「……ええと、ありがとう、ございます」
「別にいいのよ。私の名前はヘレナ=フリードリヒ。ヘレナって呼んで頂戴。貴女は?」
うーん、名前なぁ。
大体のファンタジーの世界観って中世ヨーロッパみたいだよね。
とりあえず分かりやすいようにそれっぽく名乗ろう。
「私はユーナです。ユーナ=クドゥー」
「ユーナね。よろしく。……貴女、どうしてあんな所にいたの?」
ああ、うん。やっぱりそこは気になりますよねぇ。
何であんな所にいたのかなんて私が一番知りたいんだけどなぁ……
「分からないです。起きたらあの洞窟の中だったので……」
「そうなの?」
「はい、すいません……
久々に家に帰ることができたのと、母がいなかったので今のうちに三日振りの睡眠をとろうかと」
「……ちょっと待って?」
隠しても無駄だろうとこの状況に至るまでのことを話していると、待ったがかかった。
何故かヘレナさんが眉間に寄った皺を指で伸ばしている。
……何か問題があったのだろうか?
「三日振りの睡眠って、何をしていたの?」
「上司が貯めた仕事をしていました」
「……貴女の仕事じゃなくて、上司の?」
「あー……ええと、両方こなしてました」
「断らなかったの?」
「殴られたくなかったので……」
あの上司は仕事押し付けるだけ押し付けて、自分はキャバクラの女の子と遊びまくってたからなぁ。
一度断った時は首を縦に振るまで思い切り殴られたし。
顔じゃなくてボディーを狙ってきてたからね、あのクソ上司。
……思い出しただけで腹立ってきた。腹が立ったからってどうにかできるわけじゃないけれど。
「……ええと、貴女お母様がいるのよね?相談しなかったの?」
「相談できるような人だったら良かったんですけどねぇ……
口を開けば『腹が減った、飯を作れ』とか『金がなくなったから寄こせ』だったもので」
「お、お父様は……?」
「私が五つの時に母と離婚して以降、会ってないです」
「どんな環境よそれ……!」
ヘレナさんはサイドテーブルに思い切り拳を叩きつけた。
しかもぎりぎりと音が聞こえるほどに握りこんでいる。
ああ、そんなに握りこんだら血がでちゃうよ……
「……こ、拳、大丈夫ですか?そんなに握りこんだら綺麗な手に傷ができちゃいますよ?」
「……ありがとう、大丈夫よ。そんなことよりも嫌なことを思い出させてごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です。……あ、そういえば……」
「どうかしたの?」
「近くに、スライムがいたはずなんですけど……」
やっぱり退治されたのかなぁ。上手く隠れてたとかで無事だといいんだけど。
「ああ、あのスライムね。あの子なら……」
「ぴきー!」
「うわっ」
女の人がスライムのことを話そうとした瞬間に、ベッドの上に何かが飛び乗ってきた。
それは薄い紫色で、頭部に当たる部分にアホ毛のような触腕が生えた、ぷるぷると震える魅惑のゼリーボディのスライムだった。
「ぴき!ぴきー!」
「えっ?なんでここに?!」
ぴょこぴょこと膝の上で跳ねるスライムを見てヘレナさんが素っ頓狂な声を上げる。
……ええと。もしかしてこのスライム、あの洞窟にいたスライムかね。
なんでこんなとこに?
「その子、貴女の側から離れなかったのよ?」
「えっ」
「しかも貴女のところに私たちを連れてきたのもこの子なの。
私の仲間に預けていたんだけれど、どうやら脱走したみたいねこの子……」
……マジですか。何でこのスライムは私についてきたのかね……?
ヘレナさんからスライムに視線を移すと、スライムがドヤ顔をして丸っこい身体をそらしていた。
……なんであれ、このスライムにはまた助けられたなぁ。
「……ありがとうなぁ」
「ぴきゅ」
当然だと言うかのように返事をしたスライムに思わず口の端が緩む。
でもこいつをうっかり食べないようにってふて寝したんだけどなぁ、私。
……思い出したら、お腹空いてきた……
ついでに腹の虫も空腹を思い出したのか、きゅるると騒いだ。
存外大きな音だったのか、ヘレナさんから苦笑が漏れる。
「ごめんなさい、気がきかなくて。今すぐご飯を用意するわね」
「……すいません」
「いいのよそれくらい。何か食べたいものはある?
できる限り希望に沿うものを用意するわ」
ヘレナさんの提案に顎に手を当てて考える。
……あんまり重いものは多分胃が受け付けないだろう。
できるなら消化の良いお粥や柔らかくしたうどんがいいけれど、異世界にあるとは到底思えない。お任せした方がいいだろう。
「……多分、お腹が受け付けないと思うので、なにか消化の良いものを……まともにものを食べた覚えが、ここ最近ないもので」
ヘレナさんが笑顔のまま一瞬固まった。
「……い、一応、生きていける程度には何か食べていたのよね?」
「そうですね……そこの、スライムみたいにぷるぷるした、栄養素がたっぷり詰まったエナジーゼリーっていうのを一日一個ほど」
「ぴき?!」
事の成り行きを見守っていたスライムが驚いたように飛び跳ねた。
そして私の膝の上から飛び降りて、にじにじと私から距離をとる。
……だから恩人を食べる気はないと言うに……
「い、一日一個って……量は?」
「ええと、そうですね……大体、そこのコップ一杯分くらいでしょうか……」
食べに行っている暇があるなら手を動かさないと仕事が終わらなかったからなぁ……
いや、食べずに手を動かしていても終わんなかったけど……
「こっぷいっぱい……」
ヘレナさんは片手で顔を覆うと、蚊の鳴くような声で呟きながら天を仰いだ。
……大丈夫なんだろうか。頭痛でもしているんだろうか……?
「……、……分かったわ。柔らかい白パンとシチューを作ってくるから待っていて頂戴」
「? はい。わかりました」
ひとしきり天を仰いだ後、ヘレナさんは早口にそうまくしたてて、ばたばたと騒がしく部屋から出て行った。
……何かあったんだろうか。もしかして忙しかったんだろうか……だとしたら申し訳なかったなぁ。
「……ぴきゅ」
……スライムに呆れられた気がするのはなんでだろう。思い切り溜息を吐かれた気がするぞ。
少し解せないけれど、理由も分からず怒るのは憚られたので何も言わないことにした。