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4話


「……この街を捨てる?」


 聞き捨てならない言葉に、オレは首を傾げてしまった。


 この街を捨てる? 


 奴隷である、オレが?


「雇い主には、あとで私から文を送るから安心して。もしかして、連座責任とかある?」

「それはないですけど……」


 一体、なんのことだろうか。まったく理解できず、口を開こうとしたが、手で制されてしまった。


「それならよかった。時間がないの、歩きながら話すわ。

 確認しておくけど、どうしても話しておきたい人とか、取りに戻りたい物はある?」

「い、いや、ありませんけど」

「よかった。

 なら、さっそく出発するけど……ここから一番近い下水道ってどこか分かる?」

「えっと、宵闇通りですけど……」

「よし、案内して」


 彼女の瞳には、もう哀しさも感謝もない。

 炭鉱で会ったときのような、鋭く研ぎ澄まされた意思が光っていた。

 どのような訳があるのか知らないが、一国の姫にもかかわらず、下水道という明らかに非正規なルートを通ってまで脱出をしようとしている。おまけに、勇者に命を狙われていたときた。


 いったい、どのような陰謀の渦中にいるのか。

 きっと、想像もつかないほど苦しい状況なのに、彼女は絶望していない。

 それが、不思議でたまらなかったし、なによりも不可解なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。


 それはもちろん、オレは勇者を殺してしまった。

 だけど、それだけだ。

 なぜ、たったそれだけのオレを連れて行くのか。

 炭鉱で出会ったときは、哀しそうな眼をしただけで、連れて行こうとはしなかったのに……。


「その……どうしてオレ――」

「勇者を殺したとき、なにか強烈な衝動を感じなかった?」


 歩きながら質問をしようとすると、逆に質問で返されてしまった。

 たしかに――言われてみると、なにか感じた気がする。ところが、鮮明に思い出すことはできない。ただ、身体が無性に熱くなったことだけは覚えていた。


「なんか、こう、身体の内側から一気に熱くなったような」

「熱くなっただけ?」

「それだけです」


 そう答えると、彼女は「よかった」と安堵の言葉を零した。


「君がどこから見ていたのか分からないけど、あの勇者が発動した術は見た?」

「えっと、暴食って奴ですか? なんか、獣みたくなったやつ?」

「ええ。世界の理に干渉して奇跡を起こす、それが魔術よ。

 世界の理を読み解き、その法則式を具現化させる。自分の体内で形成された魔力を糧に、詠唱式を発動させる方法が一般的だけど、事前に式を施した札を――」


 ここまで説明して、ルリカはようやくオレの表情に気づいてくれた。


 魔術のマの字も分からない素人に、専門用語やらなんやら使って説明したところで、理解できるわけがない。ルリカは面倒そうに息を吐いた。


「……たとえば、火を焚くには薪が必要でしょ? でも、魔術を使うと薪がいらなくなる。こんな感じで、魔力を指先に集中させて――『発火』!」


 途端、ルリカの指先に、ぼうっと火が燃え上がった。さながら、ガスバーナーのようだ。魔力がガスで、それに火を点けたようだ。


「すごい!」


 思わず感嘆の声を漏らせば「この程度で褒めるな」と言わんばかりの目で睨まれてしまった。


「これに詠唱を加えれば、炎の威力や発射角度をより正確に調整できる。訓練を積んだ魔術師なら、脳内で事前に調整することができるわ」


 でも、大罪術式は違う。


 オレたちは重たいマンホールをどかし、鼻を覆いたくなるような下水道へ足を踏み入れる。


「大罪の種類によっても違うけど、共通して言えるのは、詠唱式を構築しなくても奇跡を起こせるということね」

「えっと、つまり、奇跡につながる方法を知らなくても、奇跡を起こせるってこと?」


 ぴしゃりぴしゃりと濡れた地面を歩きながら、彼女の説明を咀嚼する。


「そうよ。そこに至るまでの過程を飛ばして、強大な力を手にすることができる。

 ただ――大罪の術を使うと怪物になるの」


 ここで、勇者とルリカの会話が蘇った。

 ルリカは頑なに大罪を使うことを拒んだ。その理由が「怪物に成り果てるのが嫌だ」というものだったことを思い出す。確かに見た目が化け物風になっていたが、見た目が変わるくらいの副作用は許容範囲だと思ってしまう。


 やはり、そこは女子の思考と男の思考の差異なのだろうか。


 それとも――もっと別の――



「あれは『大罪の怪物』に身体を明け渡すことで、はじめて使用できる」

「大罪の怪物?」

「使用者は、そいつらを体内に飼ってるの」


 彼女は右手を心臓の辺りでぎゅっと固く握りしめた。

 まるで、恨みを込めているかのように。


「えっと……」


 オレは頭を掻きながら、ふと思い浮かんだ疑問を口にした


「ということは、勇者が死んだから、その怪物?って奴も死んだんですよね」

「いいえ」


 ルリカの視線がこちらに向いた。その瞳の奥に、刺すような鋭い光を感じる。


「大罪の使用者が死ぬと、近くにいた気にいった者に乗り移り、次の宿主にする」

「近くにいた、者?」

「そして、その多くは、宿主を殺した相手」


 足が、ゆっくりと停止する。

 勇者は「暴食」という怪物を飼っていた。そして、彼を殺したのは誰だ?


 ああ、考えるまでもない。


 彼の白い首を喰いちぎるように殺したのは、まぎれもなく――


「あくまで推測だけど、君が『暴食』の宿主よ」

「オレが、その宿主?」


 ぎゅっと腹をつかむ。

 この中に、この奥に、自分の知らない怪物がいるかもしれない。そう考えただけで、背筋が凍る。喉の奥に酸っぱい味を感じた。


「熱を感じたそうね。たんに頭に血が上っただけかもしれないけど、用心した方がいい。

 私は――君が大罪を使わぬよう、身体を怪物に乗っ取られないよう監視する義務がある」

「魔術を使ってなくても、身体を乗っ取られるのか!?」


 敬語もなにも忘れて、つかみかかるように叫んだ。その様子を、少女は淡々と見つめる。


「抵抗力が弱ったら、奴らは表に出てくるわ。

 年老いた宿主が怪物に乗っ取られるのを拒み、命を絶ち――よくある話よ」


 瞬間、ルリカの目が曇った。悲しみの色が横切る。ただ、悼むように伏せた目が再び上がったとき、先ほどまでの意志の強い瞳に戻っていた。


「君は、私の命の恩人で、被害者。

 君が暴食に乗っ取られないよう鍛え上げる。鍛え上げる間、特例法 五十八条で身分を奴隷から下級市民に引き上げることにする。


 ルリカ・モチヅキ アカツキ皇国第三皇女の名に懸けて誓うわ」


 凛とした声が下水道に響き渡る。

 その甘美で清廉な言葉の響きを聞いたとき、周囲に立ち込める汚臭も吹き飛んでしまう。

 オレは絶句した。


「奴隷から、下級市民」


 よく政治家や偉い人たちは、一般市民に守れない約束をする。一般市民にすら守れぬきれいごとを吐くのだから、その下の奴隷と約束など交わすつもりなどさらさらない。不都合になったときは、すぐに切り捨て、逃げるに決まってる。


 だが、彼女は――この皇国で頂点に君臨する皇帝の娘という雲の上の存在が、奴隷と約束を交わしている。


 そんな口約束、絶対に守られるわけがない。

 

 大罪がなんだか知らないが、用が済んだら奴隷に逆もどりか、それか、処分されるか。そのどっちかだろう。

 しかし、それは()()()()()()()ということ。


 きっと、彼女は最期の時を迎えたとしても、この約束を守り通す。

 逃げもせず、隠れもせず、堂々と自分を守るために動く。


 いまみたいに、覚悟を決めた瞳で――。


 あまり根拠のない直感だが、おそらくそれは間違いではない。

 ルリカの吸い込まれるような瞳を見て、気がつくとオレは口を開いていた。


「……その、よろしくお願いします」


 オレは再び歩き出すと、声を絞り出した。

 下級市民に引き上げられたことは、たしかに嬉しい。

 数時間前までは、考えもしなかったし、できるはずもないと諦めていた夢だ。本当なら両手を挙げて喜ぶべきことなのに……。


 どうして、こんなにも胸が痛い。

 どうして、こんなにも悔しいのだろう。


「よろしい。まぁ……実際に教えるのは私の部下になると思うけど、責任をもって選抜するし、私も時間を作って、君の鍛錬に付き合うから」


 ルリカはくすりと微笑む。

 それは儚い花のようで、とても柔らかく優しい微笑みだった。


 そこで、なんとなく――この悔しさを理解する。


 彼女は死神姫とか呼ばれているが、まだ十五、六の少女だ。戦場に出ることもなく、真綿に包まれて庇護されるべき存在なのに、こんな薄暗い街の路地裏で暗殺されかけている。


 本当は、守るべき存在だ。

 そんな彼女に助けられ、なんとか恩返しできたと思ったら、厄介ごとをしょい込んでしまい、今度は教えを乞うことになってしまった。



 ああ、なんて――


「そうだ。下級市民になったのだから、名前が必要ね」


 ルリカは気分を変えるように、ぽんっと手を叩いた。


「いえ、名前なんて、どうでも……」

「どうでもよくない!」


 ぴしゃりと指摘する。白い指がオレの汚れた鼻先に伸びた。


「名前はね、たんなる識別番号じゃない。人間の証なの」


 ルリカの迫力に負け、オレが黙り込むと、彼女は軽く腕を組み考え込む。


「十六番って呼ばれていたわよね……よし、決めたわ。

 君の名前は、イザヨイ。それでいいかしら?」


 十六夜からきているのだろうか。なんとも安直なネーミングセンスだ。

 前世の名前とも、今世で五歳までつけられていた名前よりも違う。まるで、ニックネームだ。だけど、ようやく地に足がついたような安心感が胸の奥から広がっていく。


「了解です、ルリカ姫様」


 静かに受け入れる。イザヨイ。

 自分に与えられた、新しい名前を。


「うむ、よろしい。ちょうど、出口も見えてきたようね」


 見ると、通路の先にぽっかりとした穴が開いている。穴の向こうには、柔らかい草地が広がっている。――出口だ。


「やっと、この臭いともおさらばね」


 さきに外に出ると、思いっきり伸びをしている。

 月灯りを浴び、銀髪が淡く輝いていた。

 オレも外に出て柔らかい風を頬に感じたとき、ほっと安らぐような気持ちになった。それと同時に、星空に目を丸くする。


 もくもくと上がる煙のせいで、ほとんど星は見えなかった。

 だが、確かに星が瞬いている。十数年、分厚い煙に覆われて見えなかった星空が、いま、目の前に広がっている。それだけで、胸が締め付けられるような感覚に陥ってしまった。


「感動するのは後よ。まずは合流。イザヨイのことをみんなに報告する必要があるし、早く陛下の救出に行かないといけないから」


 ルリカは手早く星に目を走らせ、方角を確認すると小走りで進み始める。オレは慌てて後を追いかけた。数歩進み、少しだけ顔を後ろに向けた。そこには高い壁に覆われた街があった。上の方は分厚い煙に覆われて見えない。煙の幕の向こうに、黒くて太い煙突が幾本か見えた。


 ――もう二度と、この街に戻ってくることはない。



 不思議とそんな予感がしたし、戻るつもりもなかった。


「さあ、行くわよ。早く合流しなくちゃ!」

「は、はい!」


 彼女の背中を追いかけ、ふと――彼女がどうして急いでいるのか。

 その理由を知らなかったことを思い出す。

 クーデター云々なんたらと言っていたが、どこまで尋ねていいのか。何も知らない奴隷ではなく、一応、下級市民なのだから、聞く権利くらいありそうな気がするが……。

 

「あの……そういえば……」


 だが、うじうじ、迷っていても話は進まない。

 オレは質問しようと口を開きかけたときのことだった。


「止まって」


 ルリカが静かな声で制止する。


「どうかしましたか?」

「……戦場の臭いがする」


 わずかに震える唇で言葉が紡がれたその瞬間、前方から鉛の雨が襲い掛かる。


「危ないっ!!」


 オレは咄嗟に前に飛び出す。



 そして――。





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