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3話


 ルリカを助けないと。


 その気持ちが、オレのなかで急速に膨らんでいく。

 なにせ、オレはまだ借りを返していない。

 見張り役に殴り殺されそうなとき、助けてもらったのに、まだ、お礼すら言っていないのだ。


 受けた恩は返す。そんな当たり前のことを返せず、このまま逃げて見殺しにするなんて。


 ――そんなこと、人として、できるわけないじゃないか!


 いままで経験したことがないくらい、脳が高速で回転し始めた。

 とにかく、武器になりそうなものを探す。――マサノブの刀。数歩先に転がっている。だけど、さすがに走っていったところで勇者に気づかれてしまう。


 ――考えろ。


 勇者がこちらに気づくのが早ければ早いほど、勝算はなくなる。

 なにせ、体格はもちろん、戦闘経験を始めとした力の差は歴然だ。ゆえに、不意打ちが望ましい。

 なら、どうやって不意打ちを噛ますか。


 ――考えるんだ。


 勇者はいまにもルリカを絞殺す。

 悩んでいる時間もない。一か八か、走り出してみるか。そんなことを考えながら、ポケットの中に手を突っ込んだとき、固いものが指先に触れた。


「……あっ」


 銅貨だ。

 今日の報酬でもらった銅貨だ。

 命の次に大事な金銭――だが、奴の注意をひく方法はこれしかない。

 オレは銅貨を握りしめると、刀が転がる道とは逆方向に思いっきり投げた。銅貨は弧を描き、やがて、ちりんっと音を立てながら落下する。


「……なんだ?」


 勇者の目が一瞬、銅貨の方へ向けられる。


 いまだ!

 地面を思いっきり蹴り、刀めがけて、がむしゃらに駆ける。刀で切りかかる、なんて真似はしない。なにせ、敵は刀の玄人。いくら不意打ちをついたところで、剣術を齧ったこともない素人中の素人に勝ち目はない。

 ならば、と柄を口に咥えた。うっすら血の味が口の中に広がったが、気にせず、今度は勇者めがけて走り出す。


「……ああ、出てきたのか」


 勇者の目にオレが映ったのは、その直後だった。面倒くさそうに息を吐くと、ルリカから手を離す。ルリカの身体は自由になり、せき込む音が耳に入って来た――が、気にしている暇はない。勇者の手が刀に伸びる前に、その身体に肉薄しようとした。


 前世では、学生時代に柔道をやっていた。

 肉薄して、足技をかませば、なんとかマウントをとれるかもしれない。そうすれば、まだ勝機がある。

 それに、前世日本人が柔道で異世界人に対抗するなんて、異世界転生もののお約束ではないか!


 しかし――。


「あのまま隠れていれば、見逃したものの」


 一閃。

 気がつくと、勇者は刀を振るっていた。

 素人が気づかないほど高速で刀を引き抜き、オレの腹を貫いていたのである。


《――特殊スキル ■■発動しました》


 痛みを感じるよりも先に、謎の声が脳内に響き渡った。

 今の声は何なのだろうか。と考える前に、喉の奥から鉄の臭いが沸き上がってくる。


「――え……、ゴブッ」


 むせ返るような気持ち悪さの後、そのまま口から臭いのもとを吐き出した。 


 血の塊だ。


 そう冷静に分析できるのが、自分でも不思議だった。

 吐血はおろか、いまも腹には勇者の刀が刺さっている。それが雑に抜かれても、唸るような痛みは感じない。ただ、足が力をなくして地面に座り込んでしまっただけ。


 なにもかも、幕を隔てた向こう側のように感じる。

 あまりにも強烈な痛みは、脳が麻薬を出して緩和させると聞いたことがある。

 これも、腹が貫かれるなんて非日常的で強烈過ぎる痛みに対し、脳が感覚に制限をかけているのだろうか。


 それとも、先程、一瞬、ぽつんと浮かんだ謎の言葉が影響しているのか。


 どこか冷めた思考を巡らせていると、勇者は卑劣な笑みを浮かべた。


「そのまま、そこで姫が死ぬのを見ていなさい」 


 そして、勇者はオレに背を向けた。

 彼は完全にオレのことを意識していない。

 余裕たっぷりの背中から、もう、オレのことを()()()()()()()()()()()として認識していることは明白だった。


「――ッぐ」


 これは好機だ。

 オレは口の端を上げた。

 確かに腹からは今この瞬間にも大量の鮮血が噴水のように溢れ出している。もう足元には赤い水たまりができていた。腹も鉛を飲み込んだかのような重量感を覚える。普通であれば、この状態からの反撃は無理に等しい。

 

 だが、オレは立ち上がれる。

 

 瀕死の重傷を負っているのに、まだ立ち上がることができる。

 腕の感覚がないのに、まだ、指が動く。

 足の感覚がないのに、まだ、立ち上がることができる。

 そう、相手が油断している今なら――勇者を止めることができる!


「……待て……この、野郎!!」


 オレはふらつく足に鞭を打ち、地面を蹴り飛ばす。

 ただ、さすがに、さらにもう一歩を踏み出す余力はない。

 だから、彼が振り返る前に、そのまま奴の足にしがみついた。


「――な、なんだと!?」


 まさか、この状態から起き上がるとは思ってもいなかったのだろう。

 

 オレに足を抑えられ、勇者はバランスを崩し、前のめりに倒れ込んでしまった。

 まさか、勇者もあの状態からオレが立ち上がるとは思ってもいなかったのだろう。口を呆けたように開けたまま地面に転がる様子は、どこか滑稽だった。


 しかしながら、笑っている時間はない。

 なにせ、相手は歴戦の勇者だ。思考を割く時間を与えることは、こちらの死へ直結する。


 なら、どうすればいい。

 簡単だ。こいつを殺せばいい。

 さすがの勇者であっても、(ここ)を切り裂けば死ぬに決まってる。

 オレは刀を口に挟んだまま、その刃を首に力強く突き立てた。


「ま、まて、や――ぐはあっ!!」


 断末魔の悲鳴と共に、白い首元から赤い血が噴出する。

 頬や服に生暖かい赤い色が飛び散り、むわりとした鉄の臭いが鼻についた。

 勇者は白目を剝き、びくりびくりと痙攣をしていたが、やがて動かなくなった。頭は首から切断され、どろりとした血を流している。

 その血を見ていると、どくんっと心臓が早鐘を打ち始めた。血液が沸騰したような感覚が、身体中を勢いよく巡る。


 身体が熱い。


 掌から足の爪先、耳の先端まで、無性に熱かった。

 気のせいか、視界も赤く染まり始めている。

 そのなかで、勇者の肉体だけが際立って見えた。健康そうな緋色の肉。その中心には白い骨。いまだ脈打つ桃色の心臓――


 ――あァ、あの赤は、なんて――


「……君、なにをしたか分かってる?」


 ところが、どこか問い詰めるような声を耳にした途端、冷水を浴びせられたかのように、熱が引いていく。数瞬前まで、何を考えていたのか、すべてが拭い去られた。


 何を思っていたのか、まったく思い出せない。

 ただ、現実に引き戻されたことだけは理解できた。


「えっと……」


 ルリカはオレの足元に立っている。

 強い光を携えた目で、オレを糾弾するように睨んでいる。頬に涙の痕はあったが、泣いていたとは感じさせないほど凛々しく、気高い風格の少女が佇んでいた。


「しゃべらないで。このままだと、死ぬわよ」


 ルリカはこちらに手をかざすと、なにやらぶつぶつと小声で呟いた。

 彼女の白い指先に水色の光が集まり、その光が砂のようにオレの腹へ落ちていく。すると、腹に感じていた重みが軽くなっていくのが分かった。


「氷術の応用よ。応急処置だから、あとは専門の医術師に診てもらうしかないわ」


 呆れたように言い放つと、そのまま少女は腰に手を置いた。

 オレは腹の重みも消えたので、ゆっくり、ゆっくり立ち上がる。

 戦闘という極限状態の高揚感が痛みを打ち消していたのだろうか。今になって、ようやく腹が軋むように痛み始めてきた。


「その……ありがとうございます」


 オレが腹に手を当てながら礼を伝える。

 しかし、彼女の表情は険しいままだった。むしろ、眉間のしわがさらに深まったようにさえ思える。


「どうして、私を助けたの? いいえ、質問を変えるわ。なぜ、その人を殺したの?」


 厳しい問いかけに、はた――と我に返った。


「……あなたが――ルリカ姫様が、殺されそうになっていたから、です」

「でも、助ける義理はない」

「……あなたは……オレを殴るのを止めてくれました」


 それの恩返し。

 だけど、それだけの繋がりしかない。

 ルリカは首を微かに横に振る。さらり、と銀色の髪が揺れた。


「分かってるの? 君は、ただの奴隷じゃなくなった。このクソ野郎のせいで、殺人者になったのよ?」


 ルリカからしてみれば、オレが人殺しであることに、変わりはない。


 たとえば、絶体絶命のピンチ。

 颯爽と英雄が現れ、敵を殺し、自分の命を救ってくれた――ら、普通、恋に落ちるだろう。だが、それは物語だけだ。現実、自分の目の前で――たとえ、敵であっても人が惨殺されたら、どうだろう? 

 助けに現れたのが美男子でも美少女でも地位の高い人間でもなく、ほとんど面識のない、薄汚れた平凡顔の血まみれ少年だったら?

 しかも、その相手から


『一度、オレが殴られるのを止めてくれたから、こいつを殺しました』


 なんて言われた日には――正直、惚れる以前に、ドン引きだ。

 むしろ、こいつも危険人物なんじゃないか?と疑われるに決まっている。

 そこに思い至った瞬間、腹の痛みが増した気がした。


「私は当然のことをしただけ。いいえ、正当な皇族であれば、誰でも同じ行動をしたことでしょう。

 なにも、感謝されるほど特別なことをしていないわ。

 それなのに、あなたは――」


 ルリカは、絶対零度のような声で語りかけてくる。


 ああ、これは自分も不審者として殺されるな。

 なんとなく、そんな予感がした。もっとも、奴隷が一人二人死んだところで、別に社会的問題にはならない。いくら最優良奴隷だったとしても、奴隷は腐るほどいる。自分の代わりなどいくらでもいるのだ。


「……すみません」


 だが、不思議と――助けなければ良かった、とは思わなかった。

 むしろ、彼女に殺されるなら、それでいいかもしれない、と思っている自分もいた。愚考、ここに極まり。どうやら、長年の奴隷生活で、すっかり精神がいかれてしまったらしい。オレは地面に目を落とした。


「オレ、浅はかでした」

「ええ、浅はかね。勇者相手に奇襲をかけて、なおかつ殺すだなんて」


 かつん、かつん。

 死の宣告が近づいてくる。

 やがて、死神姫はオレの前で足を止めた。そして――



「……感謝します。助けてくれて、ありがとう」



 白く柔らかい感触が、オレの手を包みこむ。

 石炭と血で薄汚れた手を――。


「え?」


 弾かれたように顔を上げる。

 ルリカは今にも泣きだしそうな笑みを浮かべていた。


「君が手を汚してくれた結果、私は生きている。本当に、ごめんなさい」


 その目に映るのは、感謝――それとも哀れみか。

 途端、ぞわりと震えるような感覚が全身に奔った。恥ずかしいのと申し訳ないのとが混ざり合った感情で、体温が一気に上がる。なんだか、耳まで熱くなってきた


「そ、その……オレは、ただ、助けたかったというか、恩返ししたかったというか、ありがとうってまだ伝えていないなっていうか……」


 弁解の声が、徐々に小さくなっていく。


「いいえ、私にもっと力があれば――君がこの街を捨てる結果にはならなかったのに」

「そんなこと……え、この街を捨てる?」



 聞き捨てならない言葉に、オレは目を見開いてしまった。








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