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「あぐっ、うっせ…」

 耳元で鳴り響くアラーム音に思わず顔をしかめる。

 音を発しているのは枕元に置いた携帯電話だった。

 「はァ!?ケータイ…?」

 このご時世に連絡手段として携帯電話を使う人間などそうはいない。

 前世代の遺物、下手すればゴミとさえ言われてしまう代物だ。

 アンティーク的な側面として、かろうじてその存在を留めてはいるものの、通信機器としての価値は全くないと言っていい。

 そんなゴミ、もとい携帯電話が通信機器として働き、私の睡眠を阻害していた。

 「誰だよ…、くそっ…」

 誰とは言いつつも、その相手にだいたいの予想はついていた。

 携帯電話を連絡手段に用いる人間なんて数えるほどしかいない。

 緩慢な動作で頭の上を探り、携帯電話を引き寄せる。

 画面を覗くと、予想した通りの人物の名が画面に表示されていた。

 『着信 -ゼロ- 』

 当然だが、着信がないという意味のゼロではなく、そこにはつい先ほど会話した男の名前が表示されている。

 ふと、このまま切ってやろうかという考えが頭をよぎる。

 しかし、このまま着信を切ったところでどうせ再び電話をかけてくるだろうし、なによりこの着信のせいで目が覚めてしまっていたので、しぶしぶ通話のボタンを押すことにした。

 「はい…」

 「おー、眠り姫。やっと起きたか」

 耳元から人をイライラさせる声が聞こえてきたのでやっぱり切ってやろうかと思ったが、その前に文句の一つでもつけてやろうと携帯電話に口を近づける。

 「tipsに送れと言っただろうが…」

 「いや、散々送ったよ。ただお前、洗浄後でナノマシン体に入ってないだろ。だから気が付いてないんじゃないかと思って」

 「あー…」

 その通りだった。

 昨日の洗浄後、家に着くなり本当に何もせずにベッドに横になって寝たので、当然ナノマシンも飲んではいない。

 tipsは多角型通信デバイスだ。

 対応している壁や床ならどこでもディスプレイの代わりに使用できるし、自分の位置情報の検索、耳に入ってくる音の選別から自動翻訳、網膜や光彩を利用した視覚的な地図ナビゲーション、ひいてはレストランで出てくる料理の材料までもがtips一つで知ることができる。

 しかし、この高性能な通信機器が利用できるのは、ひとえに体の中を自在に動き回り、自分には到底できないあらゆる処理を代行してくれるナノマシンありきの話だ。

 ナノマシンがなくてはtipsは使えない。

 私の体の中で仕事をしてくれていたナノマシン達は、昨日の洗浄で吐瀉物やその他の液体と共にどこかへ流れていってしまっていた。

 「ごめん、飲んでくるからちょっと待ってて」

 「はいよ」

 携帯電話をベッドの上に置き、急いで台所へと向かう。

 ナノマシンがなければこの社会ではまともに生きられない。

 コンビニでちょっとした買い物をするのにだってナノマシンによる生体認証が必要なのだ。

 もちろん、未だに現金で取引をする店もあるが、その現金を引き出すのにだってナノマシンが必要なのである。

 「えっと、たしかこのあたりに…んん?」

 もう一度台所を見渡す。

 いつもなら蛇口の横に、個包装されたナノマシンがビン詰めになっておいてあるはずだ。

 「えっと…」

 しかし、いつもならナノマシンがあるはずのそこには、何もなかった。

 いや、なにもないという表現は正確ではない。

 正確には、ビンの中身がなかったのだ。

 ビンの中にストックしていたはずのナノマシンが、一つもなかったのである。

 「………」

 ナノマシンの捜索を諦め、再び携帯電話の元へと戻る。

 「あー、もしもし?…なんかナノマシンの補充忘れてたみたいでさ」

 「へー、ナノマシンの?」

 受話器の向こうからは、さして驚いてもいない声。

 「………」

 「あー、急ぎで伝えたいことがあるんだけど…、言葉じゃ説明しにくいしな…」

 わかりやすく言い淀むゼロに、受話器越しに殴ってやりたい衝動に駆られた。

 拳を握りこんで衝動を抑え、そのまま通話口に悪態を吐く。

 「…わかったよ、今からそっち行くから」

 「悪いな、場所は――」

 「言わなくてもいいよ。それじゃ、また後で」

 一方的に通話を切り、携帯電話をベッドに放り投げる。

 「あー…、くそ…」

 意図せず小さなため息が口から漏れる。

 あの馬鹿は…。

 ハンガーラックにかかっている上着の中から薄手のコートを一枚抜き取り、そのまま上に羽織る。

 安っぽい肌触りのコートに袖を通しつつ、靴箱の上に放置された革財布をズボンにねじ込んだ。

 財布がズボンを圧迫する感覚も久しぶりだ。

 玄関を出てドアを閉めようと思ったその時、もう一つ手間を思い出した。

「鍵、忘れるとこだった…」

鍵と言っても金属性の錠前のことではない。いくら安アパートとは言え、家の鍵はしっかりと生体認証である。

 普段なら体内のナノマシンを介して家主の外出を検出し、便利なことに勝手に鍵をかけてくれるのだが、今日はそういう訳にはいかない。

 「あー…、くそ…」

 仕方なしにドアに付属されたパネルに手をかざす。

 システムに静脈を認証させ、施錠を済ませる。

 ナノマシンが普及する前にもてはやされた技術だ。

 今となってはいささか時代遅れだと言われそうだが、それでも金属性の鍵を持ち歩くより遥かに利便性は高い。

 なにより、鍵を落とすことはあっても手首を落とすことはない。

 「さて、と」

 これから向かうべき道のりを頭の中で確認しながら、つま先でセメントを叩く。

不便さと面倒さを心の中で呪いつつ、馬鹿の元へと向かうことにした。


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