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-汚い水槽。

 私がコレを初めて見たときの印象はそんな感じだっただろうか。

 あくまで私の印象、まあ独断と偏見によるものなのだが、この容れ物を見た人ならば十中八九が私と同じ感想を抱くに違いない。

 浴槽と言うには余りに小さく、体を伸ばすこともままならない小さな円筒形の容器。

 ヒト一人が膝を折り、ようやく中に収まることができる。そんな容器の中で私は一人、ただひたすらに時間が過ぎるのを待っていた。

 つま先から頭の先までどっぷりと液体につかり、ただいたずらに時間が過ぎるのを待つ。

 することもなく、正確に時を刻む容器のディスプレイとにらめっこを続けていると、突如水槽がビープ音を発し、入浴の終わりを告げた。

 音が鳴り止むより先に水槽の壁に手をかけ、すぐさま外の世界へと脱出をする。

 「ゔ、ゔぉぇっ!がっ、はぁ、う…、あっ!うげぇぇぇぇぇぇっ!」

 水槽から液体があふれ出すのと同時に、自分の体の中から液体が勢いよく逆流する。

 痛みこそないものの、本来想定されていない用途に呼吸器が占領される気持ち悪さに思わず膝をつきながら、私は壊れた蛇口のように口から液体を垂れ流し続けた。

 「げっ!は、はっ!うっ、ぅぅぅぅぅ…、ゔぉっぷ」

 肺にたまっていた液体をあらかた吐き出したあと、自ら喉に指を突っ込み、吐ききれずに胃の中に残っていたあらゆるモノを無理やり床へとぶちまける。

 「はっ、はァ…、最悪っ…」

 液体と吐瀉物で汚れた口を、水槽の溶液でぬらぬらと光る腕で拭う。

 まだ笑っている足に力を込め、なんとか立ち上がると、床につばを吐き捨てそのまま水槽を後にした。


 ああ…。

 早く帰りたい。

 そして寝たい。

 脱衣所で着替えを済ませ、居住区へ向かおうと舗装された道を足早に歩いていると、見知った顔がこちらに向かってくるのが見えた。

 もう少し早く向こうの存在に気が付けば見つからないようにスルーできたかもしれないが、どうやら向こうも私の存在に気がついてしまったらしく、こちらに向かって歩き出していた。

 「よう、メラ。調子は?」

 「最悪」

 気さくそうに声をかけてきた男は苦笑すると、私が歩いてきた方向から事情を察したのか、なんとも言えない微妙な表情をした。

 「ああ、洗浄か」

 「ま、そんなとこ」

 ほんと死ねばいいのに、と小さく付け加えたのが聞こえたらしく、男はふたたび苦笑した。

 「それ、俺に言ってる?」

 「ん、あんたにも言ってるけどなんか全体的に」

 「俺にも言ってんのかよ」

 俺が何したっていうんだと小さく肩をすくめる。

 特に理由はないが機嫌が悪いから死ね。

 「まあ強いて言うなら汚染物質(cbs)を地上にまき散らした奴らとか、洗浄装置(あんなもの)を作った変態共とか、高層区でのうのうと暮らしてるクソ富裕層とかには死んで欲しいかな」

 「まず一つ目の項目で、人類の半分以上は死んじまうだろ」

 「じゃあ半分死ね」

 男はやれやれとでも言いたげに首を振る。

 「あいかわらず、洗浄後は機嫌悪いな」

 「あんなものの後に機嫌がよくなるような人間がいると思う?」

 つい先ほど散々吐いた後だが、未だにあの液体が呼吸器に絡みついてるような感触がして気持ちが悪い。

 いままでに何度となくやってきたが、未だに慣れる気がしない。

 この先も慣れることはないだろう。

 「俺はあれ、言うほど嫌いじゃないんだけどな」

 「変態め」

 「いや、別に好きじゃないけど。やんなきゃいけないし」

 男は弁解するように顔の前で手を振った。

 「だからこそ、よ。もうちょっとどうにかしてほしいんだけど、アレ」

 汚染された大地に住んでいる私たちにとって、洗浄(・・)は必要不可欠だ。

 この地上に暮らしているだけで私たちの身体の汚染は絶え間なく進んでいる。

 息を吸えば呼吸器が、外を出歩けば皮膚がといった具合に。

 -ところで、と。

 「どこかへ行く途中だったんじゃないの」

 「そうだった。レッドラムのとこへ行かないと」

 男はまるで今思い出したかのように言い、時刻を確認する。

 「それじゃ、俺はそろそろ行くとするか。すまんな、引き止めちまって」

 「いや、別に」

 それを合図に二人は反対の方向に再び歩き出す。

 すれ違いざまに男が一瞬振り返った。

 「そうだ、メラ。今日時間ある?」

 「寝てると思うから、用事があったら通信端末(tips)に連絡入れといて」

 了解、と男は手を振ると、しばらくして通路の向こうへと消えていった。

 それをなんとなく見送ってから、再び居住区への道を歩く。

 「ふぅ」

 思わずため息がこぼれる。

 帰ったら何もせず、泥のように寝よう。

 そう心に決め、私は疲れた体を引きずるようにして帰途へ着いた。


 遥か昔、まだ人類が地上で生活できていた頃に、人類全体が直面した問題があった。

 資源の枯渇。

 俗にいう化石燃料や、地下資源の底が見えてきたことで、人類は新たにエネルギー生み出す術を獲得する必要があった。

 文明社会というのは、電気がなければ何もできない。

 例えば朝パンを焼くのにだって、飲むための綺麗な水を手に入れるのにだって電気が必要なのだ。

 先進国は新たなエネルギーを得るために躍起になり、長い年月をかけた研究と調査の末、ようやく化石燃料に代わる新たなエネルギーを手に入れた。

 それが高濃度黒化溶液(Consentrated Black Solution)

 もともとは旧アフリカの地下に大量に眠っていた何の価値もない鉱物資源だったのだが、技術の進歩と共にこれを加工し、新たな資源として取り扱うことが可能になった。

 名前こそ溶液ではあるが、元となる物質はれっきとした鉱石で、高圧力下で遠心分離を行うことで鉱石の一部を液化させ、その液体をさらに分離、粒子化した際に莫大なエネルギーを生み出すことができる。

 その特性から液体で保管されることが多いため、溶液と呼ばれるそれは、加工技術の安定と同時にまたたく間に世界中へと広がった。

 少量の資源で大量のエネルギーを生み出すことのできるそれは、世界中のエネルギー問題を仮初ではあるが解決し、世界全体の技術水準を大きく引き上げた。

 まさに夢のような鉱石だった。

 この時は、まだ誰しもが、この新たな資源のおかげでこの先の世界は安寧だと思っていたのだ。

 自分たちが見ている夢が、悪夢だとも知らず。

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