四日目 ハリーの憂鬱
「はあ!?無理無理絶対無理。絶対嫌だからな!」
空き教室に、梁田理の声が響き渡った。
* * *
梁田理は天文部の部員である。外国人風のニックネームが義務付けられている部内での呼称はハリー。しかし、理は天文部外でもハリーと呼ばれていた。
理由は簡単。理の外見が、素直に「ハリー」っぽいからである。
理はクォーターだ。母方の祖父が北欧系イギリス人、つまり母親がハーフなのである。クォーターといえども、母方の血が濃く出たらしい、理は完全にハーフのような西洋的な容姿を持っていた。白い肌に色素の薄い髪、そしてヘーゼルの瞳。天文部でハリーと呼ばれていることを知った友人たちが便乗してハリーと呼ぶようになり、それがいつのまにか定着して今では部外でも普通にハリーと呼ばれるようになった。確かに、「理」よりも「ハリー」といった方がしっくりくるルックスである。
今日から通常授業は休みで、学園祭に向けての準備期間となっている。理もほかの生徒たちと同様に朝から登校して学園祭の準備に勤しんでいた。理のクラスはドーナツを作ることになっている。調理組のクラスメイトたちがドーナツの試作品作りに四苦八苦している中、調理には参加しない理は黙々と教室の飾りつけを行っていた。
窓枠に花をつけようと手を伸ばすがもう花はなく、女子からもらってこようとした理の手にぽん、と花が乗せられた。驚いて振り返るとそこにいたのは、クラスメイトであり生徒会長でもある木虎英知だった。
「あ、悪いサンキュ」
手に乗せられた花に礼を言うと、英知はいや、いいんだと穏やかに微笑んだ。
眉間に皺を寄せて溜息を吐いている姿をよく見る眼鏡の彼に神経質な苦労人というイメージを勝手に抱いていた理は英知の思いがけない穏やかな微笑みに言い知れぬ何かを感じた。
「?俺に用事あった?」
「ああ。それ終わったらでいいよ。手伝おうか」
そう言うと、理に渡した花以外にも持っていたらしい花を窓枠に貼り付けていく。
「サンキュ、助かる」
* * *
英知の手伝いもありすぐに窓枠が飾り付けられ、理は英知に向き合った。
「で、俺に用事って?」
英知とは特に仲が良いわけではなく、かといって仲が悪いわけでもなく、会えば軽く話をする程度の、所謂普通のクラスメイトだ。もっとも、二年生にして生徒会長である英知は生徒会で忙しくしており休憩時間に教室にいるところはあまり見ない。つまりあまり会話したことがない。よって理は大して接点のない英知が自分に何の用事があるのか見当がつかなかった。
「ああ、ここじゃなんだから隣の空き教室で」
なぜか隣の空き教室に連れて行かれ、余計にわからなくなる。俺、生徒会に目つけられるようなことしたっけなあ、と理が考えていると、英知が眼鏡のブリッジを押し上げるとおもむろに切り出した。
「ハリー、女装大会にでないか?」
「は?」
英知の言葉に理が一時停止した。今なんて言った?
「女装大会。お前を推薦する声が結構多いんだよ」
「はあ?お前何言って…」
「いや、本当に。…それにお前なら、大丈夫。似合う」
「はあ!?無理無理絶対無理。絶対嫌だからな!」
英知の言う女装大会とは城凪高校の学園祭で行われる目玉イベントである。どういうことか、この学校ではミスコンはなく代わりに女装大会が行われ、意外とレベルの高い出場者に例年かなり盛り上がる。
女装大会の出場を打診され慌てる理に英知は申し訳なさげな表情を浮かべる。
「悪いな、気持ちはわかる。俺もお前の立場なら絶対拒否する」
「なら…」
「…それはできない」
沈痛な表情を浮かべそう言った英知に理が食ってかかる。
「いや、絶対出ねえからな!俺は!それに、似合うってんなら他にもいるだろ。ほら、うちの天文部にもルカ…市藤晴夏とか。アイツ女の子みたいな可愛い顔してんじゃん!」
「市藤は無理だ。アイツが関わるとロクなことがない。悪戯が過ぎる」
「…………」
理がここまで出場を嫌がるのには理由がある。ヨーロッパの血が入った理は幼い頃からそれはそれは人形のように可愛らしく、周りの大人たちの着せ替え人形となっていたという苦い思い出があった。大したことないといえばそれまでだが、理の思い出にはなかなかの傷跡として残っている。
頑なに拒否する理に、眉を下げる英知だが、申し訳なさそうな態度とは裏腹に彼は折れなかった。
「悪い、本当に悪いと思っている。だけど、うちの双子が勝手にお前の出場を決定したんだよ。さっきから学校中にハリーが出るって言いふらしている」
彼の言う双子とは、生徒会の会計と書記を任じられている双子の兄弟である。
「え、え?」
「あいつらが勝手に決めただけなら俺が取り消しできたんだが、学校中に言いふらしたとなると、もう…。皆相当お前の女装を楽しみにしているようで………悪い」
頭を下げる英知に理は言葉を失った。
クラスメイトに何度か言われたこともある。女装大会出ないのか、と。お前ハーフだし絶対可愛くなるだろ、と。その時理は俺はハーフじゃねえクォーターだ、とどうでもいいところに反論したが。だがしかし、まさかもう決定しているとは。しかも言いふらしているだと?理が黙々と教室で飾りつけを行っている間にそんなことになっているなんて、と顔を青ざめさせる。
「それに、えー、あれだ。うちの箒木も出場させるから、な」
箒木とは生徒会の一年生で、木虎の犬と噂される雑用係だ。埋め合わせのように道連れにされる箒木を哀れに思いつつ、でも俺の方が哀れだよなあ、と理はうなだれた。
双子はきっちり絞っておくから、と本当に申し訳なさそうに謝る英知に理はもう何も言えなかった。
学園祭が、憂鬱だ。