森のざわめき
混乱は、続く。
一日で終わる種類のものじゃない。
広場のチャットは、相変わらず速い。
速い言葉は、気持ちいい。
気持ちいい言葉は、責任が軽い。
軽いまま投げられて、軽いまま刺さる。
『アドバイザー』の文字は、便利だった。
名乗れば正しい顔ができる。
正しい顔をすると、相手が黙る。
黙った初心者が増える。
増えると、また声が湧く。
循環だ。
モリは広場を避けた。
避けても、通知は避けられない。
森の道を歩いている途中、視界の端に小さなポップアップが出る。
『初心者支援:まずはこれをやれ』
『最短ルート:この装備を買え』
『詰み防止:設定を切れ』
森の中でも、誰かが叫んでいる。
叫びは木々に反射しない。
でも、人には残る。
モリは拠点に着いた。
扉を開けると、木の匂いが戻ってくる。
ここは静かだ。
静かな場所は、静かな手順で守られている。
物置の蓋。
干し台の魚。
焚き火跡。
全部が同じ場所にある。
同じ場所にあると、探さない。
探さないと、余計に疲れない。
モリは水を汲みに行った。
桶を持って、川まで下りる。
いつもの道。
いつもの足音。
……のはずだった。
川の手前で、人がいた。
多い。
森の入口に近い、あの分岐。
倒木の横。
普段なら、初心者が二人か三人、迷いながら通り過ぎるだけの場所だ。
今日は違う。
輪ができている。
声が重なっている。
「こっちが安全。俺が案内する」
「いや、そっちは遠回りだ。最短はこっち」
「迷子になるなら、地図拡張を買えって。安いから」
「買わなくていい。設定で見える」
森が、広場みたいになっている。
モリは立ち止まった。
足元の土が、踏まれて固くなっている。
道の端の草が、潰れている。
通るはずのない人数が、ここを通った。
嫌な予感は、だいたい当たる。
「おい。順番守れよ」
声が上がる。
「守ってるだろ」
「守ってねえ。今割り込んだ」
「割り込んでない。案内してただけ」
“案内”。
善意と商売と、正しさが混ざる言葉。
混ざると、揉める。
揉めると、止まる。
止まると、生活が詰まる。
モリの生活導線は、ここを通る。
水を汲む。
薪を拾う。
魚を干す。
それが途切れると、森の一日が崩れる。
崩れるのは嫌だ。
嫌だから、森にいる。
モリは輪の外側を回り、状況だけを見る。
初心者が四人。
その周りに、装備の揃ったプレイヤーが三人。
さらに、その外に“見物”が何人か。
見物がいると、言葉が強くなる。
強くなると、引けなくなる。
「で、どっち行けばいいんだよ……」
初心者が、泣きそうな声で言った。
泣きそうな声は、刺さる。
刺さると、また誰かが正しくなりたがる。
「俺が連れてく。ついて来い」
「金取る気だろ」
「取らねえよ」
取らないのか。
取るのか。
どっちでも、初心者は困る。
困ると、止まる。
モリは、息を吐いた。
前に出ない。
出ないつもりだった。
広場の混乱は、広場で勝手に燃えればいい。
森にまで来なければ。
「……あの」
モリは声を出した。
昨日より少しだけ大きい。
それでも、張らない。
「ここ、通路。止まるなら端に寄れ」
一瞬、全員が黙った。
森の空気が戻る。
戻った隙に、モリは続ける。
「相談は二つに分けろ。『行き先が分からない』と『誰が案内するか』」
争点を割る。
割ると、殴り合いが止まる。
「行き先は簡単だ。川なら、この道。採取なら、あっちの尾根。危ない奥は今日はやめとけ」
初心者が目を丸くする。
「え、奥って……」
「風が変だ」
理由はそれで足りる。
「案内は要らない。要るのは“目印”。石、倒木、白い幹。そこだけ見ろ」
言葉が短いと、頭に残る。
長い説明は、また別の正しさを呼ぶ。
モリはそれをしない。
装備の揃った連中が、口を挟もうとする。
「でも初心者には――」
モリは手で止めた。
「ここで商売するな。やるなら街でやれ」
商売してない顔をする。
その顔に、森は似合わない。
「……別に商売じゃ」
「じゃあ、なおさら端に寄れ。通路を塞ぐな」
ルールじゃない。
生活の話だ。
生活の話は、案外通る。
通らなければ、生活が壊れるだけだからだ。
初心者が、恐る恐る言った。
「川、行っていいんですか?」
「行ける。二人で行け。片方が桶を持って、片方が周りを見る」
「はい」
返事が短い。
短い返事は、動く。
初心者たちは輪から抜けた。
抜けると、人が散る。
散ると、森は森に戻る。
……戻りきらない。
装備の揃った連中が、まだ残っている。
残って、誰かに聞かせる声で言った。
「あいつ、何者だよ」
「森の住人だろ」
「アドバイザー気取りか?」
気取り。
その言葉が、嫌だった。
モリは桶を持ったまま、歩き出す。
返さない。
返すと燃える。
燃えると、またここに人が集まる。
集まると、森が死ぬ。
川で水を汲み、拠点へ戻る。
薪を割り、火を起こす。
湯を沸かす。
干し台の魚を裏返す。
手順を、いつも通りに戻す。
戻しても、戻らないものがある。
森の入口に、今日の輪ができた。
明日もできる。
明後日もできる。
そういう匂いがした。
モリは焚き火の前で座った。
前に出ない。
あんまり口を出すつもりはなかった。
だが、自分の生活を守るためなら話は別だ。
これは、どうにかしないといけないな。
決意は大げさじゃない。
ただ、手順を守るみたいに、静かに固まる。
週に一度だけ。
その回数で足りるうちは、そうする。
足りなくなったら、考える。
モリは湯を飲み、目を閉じた。




