獣払い(生活圏)
表の物置ができると、生活が一段軽くなる。
軽くなると、次が見える。
表は道具。
火。
干し台。
手順。
だが、もう一つ置きたい。
売り物。
予備。
危ないもの。
生活と混ざると、迷う。
迷うと、疲れる。
「裏にも、箱がいるな」
モリは拠点の裏手を見た。
少しだけ地面が乾いている。
ここに置けば、生活の線と分かれる。
木材を切る。
組む。
留める。
手順は、もう迷わない。
作業は短くなる。
……短くなるはずだった。
干し台の方から、嫌な音がした。
枝が跳ねる。
布が裂ける。
そして、低い鼻息。
「またか」
小屋の近くに、獣が出る。
森の奥じゃない。
“生活圏”のすぐ外。
干し魚の匂いに寄ってくる。
追い払えば、また来る。
見張れば、手順が途切れる。
それが一番いやだった。
モリは物置の前で、道具をひとつ選んだ。
槍でも剣でもない。
短いナイフと、縄。
「……狩りっていうほどじゃないよなあ、これじゃあ片付けだ」
焚き火跡の灰をひとつ掴み、風下に撒く。
匂いを散らしながら、干し台から少し離れた場所に誘導する。
獣は、鼻で地面を探りながら付いてきた。
獣の身体は大きいが、動きは単純だ。
食い気が先に出ている。
モリは距離を詰めない。
逃げ道を残したまま、縄を一度だけ投げた。
足に絡む。
獣が体勢を崩す。
その瞬間に、ナイフを入れる。
一撃。
長引かせない。
モリは息を吐いた。
「……よし。これで当面は来ない」
倒した獣を見ても、勝った気分にはならない。
ただ、手順が守れた。
それでいい。
解体は必要最低限。
肉。
脂。
皮。
骨。
使える分だけ取って、残りは森に返す。
「次は……干し台の位置、少し変えるか」
独り言が出る。
今日の分の肉は、火にかけた。
干し魚とは違う匂いが、拠点の空気を少しだけ変える。
脂が落ちる音が、さっきまでの作業の音と違う。
火が、食べ物のために働いている。
モリは火を強くしすぎない。
焦げは、片付けを増やす。
塩はない。
だから、焼き目を付けて匂いで満足する。
肉が縮む。
端が少し反る。
「……うん。これでいい」
食が増えると、余裕が増える。
余裕が増えると、整頓ができる。
モリは裏の箱を開けた。
表の物置には道具。
裏の物置には売り物と予備。
干し台には保存食。
焚き火跡には火。
必要なものだけが、必要な場所に置かれる。
「……これで、だいぶ完成だな」
足音。
初心者二人組が通りかかった。
前より遠巻きだ。
声も小さい。
……と思ったら、獣の跡に気づいて目を丸くした。
「……ひとりで倒せるんですか?!」
声が大きい。
モリは手を止めずに答えた。
「放っとくと、毎日面倒になるからね」
それだけ。
驚きも、尊敬も、いらない。
初心者は一歩引いた。
ただ、鼻が動いている。
肉の匂いだ。
腹の鳴る音が、二つ。
森だと、音がよく聞こえる。
モリは一拍だけ考えて、肉をひっくり返した。
焼けた面が見える。
「……食うか」
初心者が固まった。
「え」
「今の分。焼けてる。座れ」
誘い方が雑なのは、長引かせないためだ。
初心者は顔を見合わせて、恐る恐る近づいた。
「いいんですか?」
「相場だ。手が空いてるなら、火の見張りを交代しろ」
仕事にする。
そうすれば、重くならない。
初心者の片方が、ぎこちなく焚き火の前に座った。
モリは肉を一枚、枝の先でずらして渡した。
箸はない。
だから枝。
熱い。
初心者は息を吸って、すぐに噛んだ。
「……うま」
「声でかい」
「すみません!」
そこで終わり。
モリも食べる。
噛む。
脂が落ち着く。
塩がなくても、肉は肉だ。
それだけで、今日は勝ちだ。
初心者のもう片方が、恐る恐る言った。
「森って……こういうの、できるんですね」
「できる。生活圏の管理を間違えなければ」
「管理……」
「匂いは呼ぶ。置き場は迷う。手順が途切れる。だから、分ける」
モリは裏の箱を指で示した。
「売り物は裏。道具は表。火は火」
初心者は頷いた。
「……順番、ですね」
「そう」
言葉が残っている。
ちょうどいい。
肉はすぐ無くなった。
腹が落ち着くと、初心者は余計に喋らない。
そこもいい。
モリは骨をまとめ、灰の端に寄せた。
「じゃ、今日はここまで」
初心者が立ち上がり、少しだけ頭を下げた。
「ごちそうさまでした。……あの、次はちゃんと、相場で何か持ってきます」
次。
重くなる言い方だ。
モリは首を振った。
「次は要らない。余った物が出たら、売れ」
「……はい」
「ほどほどで」
二人は頷いて、森の道に消えた。
モリは端末を閉じた。
前に出ない。
責任を背負わない。
それでも、暮らしは回る。
回ると、余裕が出る。
余裕が出ると、街の揉め事も目に入る。
だが、今日はここまで。
森に戻れば、やることは少ない。
それが、今の報酬だった。




