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沼地のドラゴン

釣り具を整備し終えたモリのもとに、一通の依頼が届いた。


内容は、沼地への同行。しかも、ちょうど彼が次に向かおうとしていた場所だった。


依頼主は、森に時々顔を出す二人組。


最初は初期装備のまま右往左往していたのに、今では中級者の入口に立っている。


戦士のタクミと、僧侶――と言っても、前に出て殴れるタイプのケンジ。


「……珍しいな。沼地の方に、わざわざ」


モリは木の机に腰を下ろし、二人の話を促した。ユキは部屋の隅で丸くなり、耳だけをこちらに向けている。


タクミが先に口を開く。


「モリさん。あの……沼地、行くんですよね?」


「行くつもりだった。何かあった?」


ケンジが頷き、肩をすくめた。


「霧っす。あそこ、最近ずっと霧が濃い。視界が、いや冗談じゃなくて――二歩先が怪しい」


沼地は普段から湿気がある。霧が立つ日もある。


だが“最近ずっと”というのは、面倒な匂いがした。


モリは頷きだけ返す。大げさに驚くと、相手は説明を盛る。必要なのは、事実の整理だ。


「それで?」


タクミが小さく息を吸い、言いにくそうに言った。


「……ドラゴンがいる、って噂が」


「噂?」


「見た、って人がいるらしくて。霧の中で、でかい影が動いたって……」


ケンジが補足する。


「俺らも、遠目で一回だけ見たっす。いや、見えた気がした、が正しいか。霧で輪郭が割れるんで」


モリは“ドラゴン”の単語だけを頭の中で転がした。


このゲームは、危ないものを危ないまま置く。


強い敵が出るなら、強い敵が出る場所らしい導線があるはずだ。


ところが沼地は、素材採集のために初心者も踏み込みやすい。


そこにドラゴン。


もし本当なら、雑に置かれすぎだ。


「斥候が必要、って言ってたな」


モリが言うと、タクミは勢いよく頷いた。


「霧の中、道が分からなくなるんです。しかも沼で足も取られる。俺らだけだと、たぶん――」


言葉を濁した。


“死ぬ”とは言わない。


この二人は、そういうところがちゃんとしている。


「だから、モリさんに。先導をお願いできないかって」


頼まれた内容としては、分かる。


ただ、モリの普段なら、ここで一回断る。


森の生活圏から遠い。


危険が読めない。


そして何より、責任を背負いすぎる。


――そう、普段なら。


モリの視線が、無意識に作業台の隅へ落ちた。


立てかけたロッド。


小箱に詰めたルアー。


二、三日かけて整えた“次の遊び”の準備。


霧の奥に、いい釣り場がある。


さっきタクミたちが言った言葉が、遅れて胸に刺さった。


「……そこまでして、なんで霧の奥に行きたい?」


モリが自分でも驚くくらい、平坦な声で聞くと。


二人は顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。


タクミが、少し照れたように言う。


「釣り場、らしいんです。沼の奥。でかいのがいるって」


ケンジが言葉を重ねる。


「俺ら、最近ちょっとだけ余裕出てきて。……次、何して遊ぶかって話になって。釣り、やってみたくて」


余裕が出たから、釣り。


その選び方が、このゲームの良いところだ。


攻略じゃなくて、遊び。


戦いじゃなくて、暮らし。


モリは一度、息を吐いた。


断る理由も、受ける理由も、どちらも揃っている。


そして今日は、受ける理由の方が、少しだけ重い。


「……分かった。条件がある」


タクミとケンジの表情が明るくなる。


モリは手を上げて制した。


「霧の中では、俺が止まれと言ったら止まる。走るな。声を張るな。あと、無理に正体を見ようとしない。影は影のままでいい」


「はい」


「了解っす」


返事が素直だ。


モリは続ける。


「それと、釣り場が本当にあるかは保証しない。霧の奥で何か起きても、俺が全部片付けるわけじゃない。帰れなくなる前に引き返す。いいな」


タクミは少しだけ口を結び、それから頷いた。


「……はい。それでも、お願いします」


ケンジも、同じように頷く。


「俺ら、死にたくて行くんじゃないんで。ちゃんと引き返します」


モリは“ちゃんと引き返す”の言葉に、少しだけ安心した。


モリは言い切ってから、もう一つだけ指を立てた。


「……あと。釣りは、俺もやる。先導だけして岸で見てるつもりはない。そこは勘違いするな」


タクミとケンジは顔を見合わせて少し笑う。


ユキが、床に伏せたまま尻尾を一度だけ振る。


遠出。


それだけで、あの銀狼は機嫌が良くなる。


「じゃあ、準備してくる。朝になったら森の入口で合流。沼地は遠い。寄り道は無しだ」


「ありがとうございます!」


タクミが頭を下げ、ケンジも軽く礼をする。


二人が出ていくと、部屋が静かになった。


モリはロッドの方を見て、苦笑する。


「……俺も、もう腹が決まってたな」


ユキが、目だけをこちらに向けた。


“そうだろ”と言いたげに。


霧。


ドラゴン。


危ない匂い。


それでも。


霧の奥に“いい釣り場”があるなら、見に行く価値はある。


モリは小箱を閉じ、道具をまとめ始めた。


生活の延長としての遠出。


釣りのための、ほんの少しの冒険。

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