焚き火(最初の一日)
今は、森での暮らしも、運営チームとのやりとりも安定してきている。
これはそんな状況になるまでの、モリが会社を辞めてすぐの話だ。
森は、静かだ。
静かなのは音だけじゃない。
やることが、少ない。
モリはFRO――Forest Route Onlineに、ユーザーとして戻ってきた。
運営を辞めて、しばらく経つ。
悪い辞め方じゃない。区切りがついた。だから、今は遊び方を選べる。
森の外れに場所を決めたのは、街が少し忙しすぎたからだ。
拠点はまだ、ただの箱みたいなものだった。
雨がしのげる。
それだけ。
物置もない。
干し台もない。
焚き火跡だけが、地面に残っている。
足元の土は少し湿っていた。
一歩踏むたび、靴底が小さく鳴る。
「……まずは、地面を選ぶか」
焚き火は、どこでもいいわけじゃない。
風下に煙が流れると、目が痛い。
湿った地面だと、火が機嫌を損ねる。
モリは数歩だけ場所をずらし、指先で土をつまんだ。
水気が少ない。
ここなら、灰も散らばりにくい。
「よし。ここにする」
まずは水。
水場は遠くない。
ただ、往復を増やしたくない。
手持ちの小さな容器を一度見て、ため息をついた。
「……ちっちゃい。まあ、最初だしな」
汲む。
戻る。
焚き火跡のそばに置く。
次は薪。
太い枝は重い。
細すぎる枝はすぐ尽きる。
その間を拾う。
拾っていると、手が黒くなる。
服の裾で拭く。
「洗うのは、あと。今は火」
火を起こす。
うまくいくまで、焦らない。
焦ると失敗する。
失敗すると、余計な疲れが増える。
火が育つまでの間に、湯を沸かす準備をする。
鍋は小さい。
汚れも落ち切っていない。
砂を少し入れて、手で回す。
すすぐ。
「……こういうの、地味に効くんだよな」
湯が沸く。
コップがない。
だから鍋から少し冷まして飲む。
熱い。
それでも、体の奥が落ち着く。
「うん。まずは、これ」
順番を決めてしまえば、それはただのタスクだ。やれば終わる。次の通知に追われない。
道具は最低限。
釣り糸は細い。
針も、替えがない。
だから、無理はしない。
糸の結び目を指で確かめる。
一度だけ締め直す。
「次は、釣り具の調整だな。そのうち採鉱とか鍛治とかもやりたいよなー」
釣り場は近い。
近いが、足場がぬかるむ。
一歩踏み外すと、変なストレスが残る。
モリは石を二つ動かして、足を置く場所を作った。
「……こういうの。先にやっとく」
糸を垂らす。
待つ。
待っている間に、風を見る。
木の揺れ方。
葉の擦れる音。
今日は、強くなる。
長居はしない。
かかった。
最初の一匹は、小さかった。
「まあ、初日だし」
それでも、食料になる。
食料になれば、街に行く理由が一つ減る。
モリは魚を枝にかけ、火のそばに置いた。
匂いが立つ。
干し台はない。
だから仮干し。
落ちないように、結び目を一つ増やす。
「……雑にやると、あとで泣くっと」
足音がした。
初期装備の二人組が、道の分岐で立ち止まっている。周りを見回す回数が多い。
「すみません。ちょっといいですか?」
片方が言った。
モリは手を止めずに答えた。
「何しに来た」
「クラフト、してみたくて。木、拾えるって聞いたんですけど」
「拾える。今日は天気が悪い。迷ったら、来た道に戻れ」
言い切って、指先で近くの斜面を示す。
「この辺で十分」
「え、でも……奥の方が良さそうで」
「良さそうに見える所ほど、戻りが遅い」
それだけ。
導かない。背負わない。だが、危ない方に行かせない。
二人は顔を見合わせて、引き返した。
「ありがとうございます。」
「どうも。森は広いからな。ほどほどで」
礼が長引かないのが、いい。
モリは焚き火のそばに座り、魚の焼け具合を見た。
少しだけ、身が反る。
脂が落ちる。
小さな音がする。
「……うん、悪くない」
食べ終えたら、骨はまとめて火にくべる。
匂いが残りにくい。
片付けも、手順に入れてしまう。
最後に、手を洗う。
水が冷たい。
指の黒が落ちていく。
「……今日は、よく動いたな」
拠点はまだ粗い。
けれど、手順は作れる。
前に出ない。
責任を背負わない。
それでも、誰かが迷わずに済むことはある。
森に戻れば、やることはシンプルだ。
それが、今の報酬だった。




