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エルダーディア

街が戻りつつあるのが分かる。

露店の棚が厚くなって、値札の跳ねが丸くなる。

「だいたいこのくらい」が通るようになると、暮らしは楽だ。


モリは新しく見かけた商人から、狩猟弓を一本だけ買った。

買ったのは弓だけ。

矢は、余計に抱えない。

余計なものを持つと、気が大きくなる。

気が大きくなると、森を荒らす。


背中に弓の重みが増えた。

その分だけ、手順も増える。

だから、増やすのは一つずつ。


森に戻ると、ユキが先に歩きだす。

足取りが以前より大きい。

レベルが上がって、体が“大人の大きさ”に近づいている。

触れた時の熱も、呼吸の重さも、少しだけ濃い。


鹿の生息域へ向かう。

狩りのためじゃない。

暮らしのためだ。


森は、深層の嵐が去ってから妙に澄んでいる。

神聖、なんて言葉は似合わないはずなのに。

命の息遣いだけが、やけに近い。


途中、藪が鳴った。

小型の魔物。

群れで来るやつ。


モリが弓に手をかけるより早く、ユキが前に出た。

吠えない。

ただ、踏み込む。


魔物が跳ぶ。

ユキも跳ぶ。

次の瞬間、地面に転がっていたのは魔物の方だった。

軽い。

音も、短い。


もう一匹が回り込もうとして、足を止める。

止めた、というより。

止まらされた。

ユキの目が、深層のそれに少しだけ似ている。

測る目。

逃げ道まで含めて、間合いを決める目。


魔物は逃げた。

藪の音が遠ざかる。

森が、また静かになる。


モリは小さく息を吐く。

「……頼もしいな」

ユキの耳が一度だけ動いた。

返事の仕方まで、落ち着いてきている。


---


獲物を探して、さらに奥へ入る。

森の奥に、泉があった。

木漏れ日が水面に落ちて、光が揺れている。

足を止めたくなる場所だ。


そこに、白い鹿がいた。

白すぎて、森の影が薄く見える。

大きい。

普通の鹿より、一回り。


鹿は水を飲んでいる。

泉の水は、どこか冷たく、透明なのに“重い”。

魔力の匂いがする。


モリの頭の片隅で、名前が浮かぶ。

エルダーディア。

魔物に分類される個体。

泉の水を飲み続けて、魔力を宿した白鹿。


モリは息を整える。

弓を下ろし、矢を一本だけつがえる。


一本だけ。

増やさない。

増やすと、気が大きくなる。

気が大きくなると、追いかけたくなる。

追いかけると、森を荒らす。


“当てて終わり”にする。

外したら引く。

引ける距離を、先に作っておく。

それが生活の狩りだ。


合図を出すために、ユキを見る。

ユキはもう見ている。

先に“線”が引けている。

踏み込みの角度。

逃げ道。

泉に落ちたら面倒な場所。

全部含めた線。


モリは呼吸を一つ、浅くする。

胸を大きく動かさない。

弦が鳴くのを止めるためじゃない。

自分の心臓の音に引っ張られないためだ。


意識を一点に寄せる。

狙うのは派手な場所じゃない。

命を短く終わらせる場所だ。

毛並みの白に惑わされず、骨の奥を想像する。

肋の隙間。

心臓の近く。

そこに、一本だけ通す。


放った矢は、エルダーディアの胸へ吸い込まれた。

心臓の近く。

深い。


同時に、ユキが飛び出す。

走るんじゃない。

跳ぶ。


戦闘になると、ユキの体に一筋、赫い筋が入る。

あの時の兄狼と似ている。

身体能力が一段上がる。

ゲーム的には戦闘用のON/OFFスキル。

でもモリには、兄から受け継いだ“血の合図”みたいに見える。


エルダーディアが跳ねる。

白い蹄が水面を叩き、しぶきが舞う。

そのしぶきが、細い光になって散った。

魔力だ。

傷ついた獣の反射で、場が乱れる。


ユキは正面に立たない。

横に回り込んで、足を止める。

止めるために、止まらない。

間合いをずらして、跳躍の角度を奪う。


モリも距離を詰める。

手負いとはいえ、魔力を持つ獣が相手だ。

油断はできない。

弓は二本目を急がない。

一歩ずつ、呼吸だけを合わせる。


エルダーディアが首を振る。

白い角が光を弾き、泉の縁の石が割れた。

ユキが跳んで避け、着地と同時に肩口へ食らいつく。

噛み切るんじゃない。

動きを止める。


モリは近づききったところで、矢筒に手を伸ばさない。

ナイフを抜く。

大きい刃。

作業のための刃。

命を無駄にしないための刃。


エルダーディアの息が乱れる。

最後の跳ねが一つ。

泉の水面が大きく揺れて、木漏れ日が砕ける。


終わった。

ユキがゆっくり離れる。

白い毛並みに、赤が一滴も付いていない。

付けないように戦った。

深層で覚えたやり方だ。


モリは膝をついて、手を合わせる。

短く。

でも、忘れない。


解体に入る。

泉のそばは、手が冷える。

だから、手順は早い。

早いが、雑にしない。

雑にすると、匂いが残る。

匂いが残ると、次が荒れる。


まず、血を落とす。

泉の水で洗うと、魔力の匂いが手に付く。

だから、流しすぎない。

拭う。

拭って、必要な分だけ水を使う。


肉。

皮。

筋。

骨。

内臓。


使えるものを、順番に分ける。

順番があると、迷わない。

迷わないと、余計な疲れが増えない。


皮は、折らない。

丸めすぎない。

折り目が付くと、あとで硬くなる。

硬くなると、結局捨てたくなる。

捨てたくなる手順は、最初から作らない。


肝を切り分ける。

まだ温かい。

塩の代わりに、血の鉄っぽさが舌に残る。

生きた分だけ、味がする。


モリは一切れだけ、口に含んだ。

嚙まない。

飲み込む。

体に“今ここで終わった”と覚えさせるみたいに。


ユキにも取り分けた肝を渡す。

手で差し出すと、ユキは鼻先で匂いを確かめた。

それから、合図を待つ。


モリが小さく頷くと、ユキも食べ始める。

急がない。

奪わない。

取り分を理解しているみたいな動き。

“群れの掟”が、ユキの中にも残っている。


モリは息を吐いた。

「……覚えが早いな」

ユキの耳が一度だけ動く。

返事はそれでいい。


残りは持ち帰る。

干す分。

煮る分。

皮は陰で休ませる分。

命を繋ぐために、命を繋ぐ。


皮が手に入った。

予定通り。

これを持ち帰って、次はなめし台だ。

そう思うと、胸の奥に小さい灯りが点く。


楽しみが、また一つ増えた。


帰り道は、荷が増えたぶんだけ慎重になる。

血の匂いは残さない。

残すと、追ってくるものが増える。

増えると、森が荒れる。


モリは包みを締め直し、ユキに目配せをした。

ユキは先に歩く。

歩く速度は上げない。

荷の重さに合わせて、歩幅を揃える。

それが、戻るための先導だ。


拠点に着く。

まず水を汲む。

手を洗う。

刃を洗う。

血と匂いを落とす。


次に、皮を広げる。

焚き火の熱が当たらない場所。

風が通る場所。

影になる場所。

そこに、釘で一つずつ留める。

引っ張りすぎない。

裂けるから。

でも、たるませない。

乾きムラが出るから。


湯を沸かす。

薪を一本だけ足す。

増やしすぎない。

火が強すぎると、匂いが立つ。

匂いが立つと、また森がざわつく。


干し台の魚を裏返す。

今日の分の肉を、薄く切って塩を揉む。

塩の手触りが、さっきの肝の温かさを上書きしていく。


ユキは焚き火跡の外側で丸くなる。

鼻先が一度だけ動く。

泉の匂い。魔力の匂い。血の匂い。

全部を確かめて、短く息を吐いた。


モリは言う。

「今日は、ここまで」

ユキの耳が、一度だけ動く。

それが返事だ。


湯が沸く音。

薪が鳴る音。

皮が風を受けて、かすかに擦れる音。

遠くで鳥が、ひとつ鳴く音。


森の音が、戻っている。

それだけで、今日は十分だった。

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