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骨肉相食

赫き銀狼が跳んだ。

跳ぶというより、空間が削れる。

距離が、いきなり無くなる。


盾が鳴った。

金属の乾いた音が、森の湿り気を割る。

火花が散り、赤い毛並みが一瞬だけ光った。


「前に出るな。追うな」

カイトの声は短い。

短い声は、仕事の声だ。


ベイル・キーパーズが動く。

まず、盾役が前に出る。

盾が一枚、二枚と重なる。

隙間を塞ぐ。

塞ぎすぎない。

逃げ道は残す。

勝つための包囲じゃない。

“走って逃げないための柵”だ。


その横に、サブタンクの大剣使いが立つ。

盾の外側に出ない。

でも、出た瞬間に戻すための距離にいる。


大剣は振り回さない。

だが、有効打は狙う。

盾が受けた“半拍”に、刃を差し込む。

狙うのは首じゃない。

前脚の腱。肩口。踏み込みの根元。

跳躍を一段だけ鈍らせる場所。


深追いはしない。

切ったら戻る。

戻って、また盾の端を支える。

“壁が崩れない形”のまま、痛みだけを残す。


さらに一歩後ろ。

アタッカーの魔導士が、詠唱の間合いを測る。

森を煽るほど派手には焼かない。

だが、決定機は狙う。


放つのは、短い魔弾。

狙うのは目と関節。

痛みで止めるだけじゃない。

視界を奪い、踏み込みを狂わせる。


そして、盾役が受けて角度が固まった瞬間。

魔弾の色が変わる。

硬く、細い一本。

毛並みの隙間を縫って、肩口へ刺す。

“倒し切る”までは行かない。

でも、確実に削る。

削れば、終わりが近づく。


補助役の弓使いは、矢を増やさない。

声も増やさない。

矢は、足元へ。

地面に刺して、線を作る。

「ここまで。これ以上は踏むな」

迷宮の癖が強い場所を、視覚で共有するための矢。

次に、短い合図矢。

射るのは胸じゃない。

肩の脇。

“向き”だけを変える。

勝ちの矢じゃない。

隊列を守る矢だ。


モリは一歩引いた場所で、クラフトバッグを開く。

決定打は持っていない。

必要なのは、少しだけの余裕。


煙の小瓶を落とす。

白い霧が、冷えた空気に溶けて広がった。

だが、狙いは目じゃない。

鼻だ。


焦げた樹脂と、薬草と、獣脂を混ぜた臭い。

森の湿り気に絡んで、まとわりつく。

人間の喉も少し痛い。

でも、嗅覚の鋭い獣にはもっと刺さる。


赫き銀狼の鼻先が、ぴくりと跳ねた。

次の瞬間、跳躍がわずかに迷う。

“正確さ”が、鈍る。

匂いの地図が、ぐしゃりと歪む。


その半拍で、盾が揃う。

大剣が差し込む。

魔弾が刺さる。


爪が閃く。

盾が受ける。

受けた盾が沈み、次の盾が前に出る。

大剣使いが、盾の端を押し戻す。

魔導士の魔弾が、跳躍の踏み込みに刺さる。

弓使いの合図矢が、角度を示す。

それでも、誰も追わない。

追えば迷宮が笑う。

迷宮が笑えば、帰れない。


ユキが横へ回った。

吠えない。

ただ、間合いに入って、入ったまま戻る。

匂いで、ほんの一瞬だけ遅れを作る。

攪乱。

力は及ばなくても、流れは変えられる。


モリはその流れにだけ手を添える。

転倒用の杭を、足場の癖がある場所へ打つ。

踏ませる。

半拍だけ、足が止まる。


止まった瞬間、盾が押し返した。

大剣が“押し返し”を支え、列が崩れない。

魔弾が次の跳躍を鈍らせる。

弓の矢が、逃げ道の端を示す。

距離が開く。

開いた距離は、呼吸になる。

呼吸があると、帰れる。


赫き銀狼は強い。

強いだけじゃない。賢い。

角度を変える。

盾の端を狙う。

逃げたい方向の“外側”に回って、先に塞ぐ。

森そのものが、狩りをしている。


だから、ベイル・キーパーズは勝ち急がない。

一撃の重さで競わない。

列を崩さない。

声を増やさない。

“帰れる形”だけを守る。


何度かの衝突のあと。

赫き銀狼の動きが、わずかに鈍った。

体が大きいのに、呼吸が細い。

傷じゃない。

森の呪いが、内側から喰っている。

白い毛並みが、さらに赫く蝕まれていく。


最後は、あっけないほど静かだった。

赫き銀狼が膝を折り、土に伏せる。

勝った、とは言いにくい。

ただ、終わりが来ただけだ。


ユキが近づく。

白い毛並みが、赤い影の縁で揺れる。

足取りは速くない。

速くできない。


モリは止めない。止められない。

ここは、ユキが背負う場所だ。

代わりに背負ったら、もっと残酷になる。


赫き銀狼は伏せたまま、胸だけが浅く上下していた。

息を吸うたび、呪いの赫さが毛の根元から滲む。

吐くたび、森の湿り気がそれを運ぶ。


ユキが鼻先を寄せる。

臭い煙の向こうでも分かる匂いがある。

血。

土。

そして、かすかな、懐かしい白。


ユキの喉が、小さく鳴った。

吠え声にならない音。

言葉にできない音。


ユキはためらう。

前脚が一度だけ震え、爪が落ち葉を掻く。

一歩下がりそうになって、踏みとどまる。


モリは何も言わない。

言えば、ユキの決心が誰かの命令になってしまう。

命令になった瞬間、やさしさは折れる。


ユキが一度、息を吸った。

次に吐いた息は短い。

それが合図みたいに見えた。


それから。

ユキは短く、確かな動きでとどめを刺した。

怒りじゃない。

誇りでもない。

苦しみを終わらせるための、一番小さい刃。


赫き銀狼の体が、ほんの少しだけ弛む。

張り詰めていた背中が、森に預けられる。

最後に、目が開いた。


赫き銀狼は、ユキを見た。

怖がらせないように、という顔で。

叱るでも、責めるでもなく。

ただ、安心させるみたいに。


そして、優しく舐めた。

一度だけ。

白い頬に、赤い温度が残る。

濡れた跡が、すぐ冷えていく。


ユキはその場で動けなくなる。

耳が伏せられ、尻尾が落ちる。

けれど、倒れない。

泣きも喚きもしない。

ただ、そこに立って受け取る。

終わりを。


次の瞬間、森の空気がふっと軽くなる。

根の盛り上がりが、少しだけ戻る。

同じ倒木が、同じ倒木のままそこに居る。

迷宮の癖が、薄くなる。

“森が森に戻る”感触。


表示が視界の端に出た。

『ボス個体討伐を確認。森の深層のダンジョン化を解除します』


カイトが盾を下ろし、息を吐いた。

「……終わったな」

「ああ。今は、これで十分だ」


誰も歓声を上げない。

勝ちを誇らない。

代わりに、帰る準備だけをする。


モリはユキの背に手を置いた。

「帰ろう」

ユキは一度だけ頷くように耳を動かし、足を揃えた。


深層の出口へ向かう足音は、来た時より静かだった。

森が落ち着いている。

それだけで、今日は十分だった。

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