銀狼
森のトラブルが増えていく。
原因ははっきりしていた。
“アドバイザー”を名乗る連中が、初心者の背中を必要以上に押す。
結果、本来なら手前で落ち着くはずの層が、森の奥へ奥へと誘導されていた。
そして森は、広場の延長みたいに騒がしくなり始める。
……嫌な流れだ。
モリはそれを眺めつつ、あえて止めなかった。
止めれば、関わりが増える。
関わりが増えれば、責任が増える。
責任が増えると、森の一日が壊れる。
モリが森にいる理由は、その逆だった。
生活を、生活のままにする。
やることが終われば、終わりでいい。
今日は、経験点がそこそこ溜まっている。
モリは焚き火の前で、ジョブ取得のメニューを開いた。
狩人。
漁師。
木こり。
どれも森の生活には便利そうだ。迷いどころ……のはずだった。
リストの下の方に、見慣れない名前が二つある。
「……魔物使い。ドルイド」
そういえば、辞める直前のゴタゴタで追加されていたやつだ。
運営側にいた頃、仕様書流し見だけして、深く触れないまま流れていった。
今さら、プレイヤーとして見ると――。
「森向きだな」
独り言が漏れる。
迷った末に、モリは“魔物使い”を選んだ。
理由は簡単だ。
仲間がいると、生活が少しだけ楽になる。
ただし、楽になりすぎない範囲で。
テイムには準備がいる。
餌。
補助具。
簡易の罠。
モリは必要なものだけをクラフトし、森の中層へ向かった。
途中、奥へ歩いていく初心者の小集団が見えた。
昨日までなら、ここまで来ない顔ぶれだ。
「……増えたな」
感じた変化はそれだけ。
ゲームは、各自が好きに遊ぶものだ。
モリは割り切って、テイムに意識を戻す。
狙いはグレイウルフ。
狼型で、拠点の見回りに向いている。
生活の相棒としては悪くない。
足跡。
糞。
草の倒れ方。
森の情報は、派手なチャットより静かで正直だ。
モリは目当ての個体を見つけ、距離を詰めた。
――その瞬間。
空気が、変わる。
音が薄くなって、視界の端が少しだけ光った。
「……レアの演出か」
運営目線が顔を出す。
テイマーがいると演出が変わるのか、なんて余計なことも考える。
だが、出てきたものを見て、考えが止まった。
白銀の体毛。
月明かりみたいに淡く、でも芯のある輝き。
美しい狼が、静かにこちらを見ている。
「銀狼……」
グラフィックチーム、相変わらずいい仕事をする。
感想はそこまで。
モリは呼吸を整えた。
テイムは“弱らせてから”が基本だ。
殺すのは違う。
でも、甘く見ればこっちがやられる。
モリはクラフトした補助アイテムを投げる。
掌から飛んだのは、薄い灰色の粉。
空中でふわりと広がり、光を食って、視界の輪郭を曖昧にする。
煙幕。
派手じゃない。
でも、目を奪えれば一拍取れる。
銀狼は、吠えない。
代わりに、足音が消えた。
草を踏む音がしない。
土を蹴る音もない。
“滑る”みたいに距離が詰まる。
美しさが、まず目に刺さる。
月明かりをまとった体毛は、動くほどに光の筋を引いて、森の暗さと喧嘩しない。
それなのに、輪郭だけがくっきりと残る。
次に来るのは、強さ。
速い。
重い。
爪の一振りが、空気を切って、煙幕の向こうの幹に白い筋を残した。
モリは半歩だけ退く。
退きながら、投げ縄の補助具を地面に滑らせた。
“足を止める”ための細いワイヤー。
銀狼は踏まない。
踏まないどころか、わざと一度だけ近づき、ワイヤーの位置を見せつけるように前脚を上げた。
賢い。
罠の匂いを嗅いでいる。
モリは息を吐いた。
焦ると、手順が崩れる。
手順が崩れると、事故が増える。
だから、順番を変えない。
まず、視界を切る。
次に、足を止める。
最後に、誘導して締める。
モリは小石を投げ、わざと音を作った。
銀狼の耳が、ぴくりと動く。
反応が速い。
ただ、その反応は“音の方向”だけじゃない。
モリの手元。
足運び。
呼吸のリズム。
全部を見ている。
その感じが、少しだけ怖い。
銀狼が横に跳ぶ。
二歩。
三歩。
距離を保ったまま、角度を変える。
包囲の取り方が、狩りのそれだった。
「……こっちが獲物か」
ぼやきは喉で止める。
モリは腰を落とし、足元の落ち葉を踏まない場所を選んだ。
音を減らす。
余計な情報を渡さない。
銀狼が踏み込む。
銀の線が、目の前を横切った。
モリは腕を上げ、木の板で一撃だけ受ける。
衝撃が骨まで響く。
板が軋み、手のひらが熱くなる。
強い。
だが、これでいい。
相手の“勢い”が乗った瞬間だけ受ければ、次の一拍が取れる。
モリは後ろへ転がり、地面に打ち込んでおいた小さな杭へ、ワイヤーを引っかけた。
銀狼が追う。
追いながら、足元を見る。
見て、踏まない。
モリはそこで、誘導を切り替える。
餌袋。
乾かした肉の匂いを、わざと風下へ落とす。
銀狼の鼻が動く。
一瞬だけ、視線が逸れる。
“本能”に寄せると、賢さが遅れる。
その一瞬で十分だった。
モリは罠の輪を、銀狼の進行方向の先に滑り込ませる。
銀狼は跳ぶ。
跳んだ着地地点に、もう一つ。
二段。
落とし穴じゃない。
爆発もしない。
ただ、足場を崩すだけ。
銀狼の前脚が沈む。
一拍。
モリは距離を詰め、刃を“急所”から外して、肩口を浅く切った。
血は少ない。
でも、動きのキレが一段落ちる。
テイムは“弱らせてから”。
殺すのは違う。
その線だけは、越えない。
銀狼は唸り声を上げず、目を細めた。
怒りじゃない。
計算だ。
モリは背中が冷える。
この個体は、最後まで“手順”を見てくる。
それでも、焦らない。
モリは少しずつ距離を詰め、銀狼の体力を削っていった。
あと少し。
“届く”という感触が指先に乗った、そのタイミングで――。
銀狼が、ふいに後ろを気にした。
耳が、ぴくりと動く。
視線が、森の奥に逸れる。
モリも、つられて見る。
小さな影。
草の間に、二つ。
子どもの狼がいる。
一匹は中くらい。
もう一匹は、さらに小さい。
「……ああ」
モリの手が止まった。
勝ち筋は見えている。
でも、この状況で“勝つ”と、何が残る?
モリはナイフを収めた。
代わりに、腰の袋から回復薬を取り出す。
そして、母狼に向けて投げた。
赤いエフェクトがふわりと散り、傷が閉じていく。
銀狼は一瞬だけ固まって、それから理解したみたいに鼻を鳴らした。
子狼が、母の足元に寄る。
二匹は、森の奥へ消えていった。
残ったのは、静けさと、失敗でも勝利でもない、空白。
モリは息を吐き、肩の力を抜いた。
「……テイマー、ずっとこういうイベントだったら、何も増えないな」
ぼやきは、森に吸われる。
それでも、嫌な気分にはならなかった。
森に戻る。
焚き火を起こす。
湯を沸かす。
やることが終われば、終わりでいい。
今日の収穫は、テイムじゃない。
“そういう個体がいる”と知れたこと。
それで十分だ。
モリは湯を飲み、静かに目を閉じた。




