思い出探し①
病院食は味気がない。
しっかりと栄養価を考えられているが故に、味が薄い。そういう知識はある。あるのだが、生まれて初めての食事に私の脳は満足している。
「鮭うまぁ」
いくら味気のない病院食でも、初めてなら何でも満足できるというものだ。
食材の知識はあっても味の知識が全く抜け落ちている。多分だけど味も『思い出』なのだろう。「知識」と『思い出』の明確な分け方はまだわかっていない。天救さんが言うには
「『思い出』は自発的に起こしてはいない無意識的に脳に記憶されるもの。知識はその逆と捉えてもらって構わないのですが、誤解のないように一応説明しますと。自発的に起こした意識的な脳への記憶、ですね。要は脳の表層にあるのが知識、深層にあるのが『思い出』です。」
との事だ。それに私と同じ症状になった患者は、その『思い出』を取り戻すことで元の人格へと戻ったらしい。
その時の彼は笑顔だった。そう聞いた。
「怖くはなかったのかな。」
元人格に戻るという行為は現人格が消滅する事と同じことだ。どういう感覚かは分からないけどきっとそれはとても勇気のいることで、今の私にはとてもそんな決断はできそうにない。だけれど私が生まれた経緯は知りたい。私が消えてもいいから。
「それはそうと左手だけはきついな。」
『コンコン』
「落合さーん失礼しますね〜」
この声はノアさんだ。
「どうぞ。」
「お食事は済みましたか?味気ないかもしれないですけど栄養価はしっかりと考えられているのでちゃんと全部食べてくださいね。」
嫌いなものは特にないらしく、私は完食している。
「普通に美味しかったですよ。私にとっては初めての食事ですし、記録があっても呼び起こせない状態なら初めての食事と同等ですから。とても美味しくいただけました。」
「それなら良かったです。胃も弱っている様子がなかったので、普通の病院食をお出ししましたけど、お腹等の不調はありませんか?」
「まだ食べ終わってからそんなに時間が経っていないのでなんとも言えませんけど。そうですね、特に何も無いです。」
「消化器官に異常なしと。」
そう言ってカルテに書き込む。
ひとつ、なんとなく気になったことがあった。今ここで解決しても良い。一言か二言で済む事なのでさっさと聞くのが良いはずだ。言わなくてはノアさんがいってしまう。なんでか悩んでしまう。なんだかこの感覚に覚えがあった。何だったかは喉元まで来ている。あと少しなのだ。
そうだ。会話が二回目の人に話しかける時と同じ感覚。自分から行くか、相手が来てくれるのを待つかその選択をしている時と同じ感覚がした。
懐かしい。
懐かしい?いつ私はその感覚を経験したの?軍人時代?学生時代?いつかは分からないけど私は知っている。この無益な時間を。だから行動した。そうしたらどうにかなることも知っていたから。
「ノアさん。気になったことがあるんですけど。」
「はい?なんです?」
「私は何時間、何日寝てました?」
「20日程でしたかね。まぁ到着してから5日ですから、ウチへ到着前の搬送時の時間も含めたら大体20日と16時間ってとこですかね?」
「20日、20日?!3日くらいかと。それに搬送に16時間って何があったんです?」
「搬送に関しては距離の問題があるのでそのくらいで妥当だとは思うんですけど。眠ってたのは単に落合さんがそれだけ酷い状態であった、それに尽きます。なんせ運ばれてきた時は半身丸焦げ、股関節から下の右足と肘から下の右手欠損。左足も変な方向に曲がっていましたし、原型を留めていたのが奇跡みたいな状態だったんですよ?それを5日でここまで綺麗に戻せたのは天救さんのおかげなんですからね。感謝してくださいよ。あんなですけどあの人意外とすごいんですから。」
「え、それほとんど死んでるじゃないですか。」
「そうですね。ほぼ死んでましたね。」
まるで左足で地雷を踏んだあとのような状態。それもお遊びの半端なものじゃない。私はそれを踏んで一度死んだ。そう予測が着く。なにかの作戦中か、塹壕からの突撃か、もしかしたら足元に大砲並みの火力を持ったものが落ちてきた可能性もある。そうじゃなければそんな状態になることは普通の生活ではありえない。
私は軍人だ。そう聞いた。そうなると私の入院は事故や自殺なんて生易しいものじゃなく、他人の死も、自分の死もどちらも軽く扱われる最悪の争い。
そう、戦争だ。
私は戦火に身を置く一人の軍人なのだ。
「落合さーん。聞いてますかー?リハビリ始めますよ?」
「あ、はい…。」
「なにか調子が悪そうですね。なにか良くないものでも。って...あ!もしかしてお腹痛くなってきましたか〜?」
当ててやったと言わんばかりにニヤつきながら迫ってくる。
「いや、そういう訳じゃないんですけど。あの、なんというか、記憶が混濁しているというか、死に方を理解したというか。とにかく問題は無いですリハビリしましょう。」
「今日は中止です。記憶に刺激がいったのであれば『思い出』を思い出せるかもしれませんから。ゆっくり思い出に浸ってくださいね。」
そう言って彼女は出ていってしまった。思い出に浸ると言われたけど、私一人じゃ動けない。左手だけで這いずっていくか、車椅子を押してもらうか。前者に関しては体力の落ちた私だと5mが限界だ。それ以上進んだら過呼吸で呼吸困難にでもなっていそうだ。ナースコールは手元に…
「右側か…」
ナースコールは右手側。右手は使用不能。ボタンは腰あたりにある右手を少し越え、ベッドの縁に置いてある。
「くっ」
ギリギリで届かない。腕の可動域は思っているより狭い。肩の捻りを加えてようやく手が届く。3分程の死闘の末、左手でボタンを握ることが叶った。
『カチッ』
ボタンを押す乾いた音だけが聞こえた。小さい音で呼べているか不安になるが、ノアさんたちのいる所ではヘルプが届いているのだろう。
人を待つ間、少し時間がある。
病室を見回し、窓に目を向けた。外の様子が少し気になったからで、特に理由は無い。
外は雲ひとつない晴天、知っている空より濃い青色をしているが些細なことだ。だが、この気持ちの良い青空を、やはり私は初めて見る。鮭の時もそうだったが、知識と実物との違いがだいぶある。落合導の知識が私の知識である。そうなると彼女は間違った答えを正解だと認識していたことになる。それだとどうしても納得がいかない。もし間違いを正解としていた場合。まず、世界の常識と自分の常識の違いにぶつかる。対立まではいかないだろうが会話の不明点や異なる点が増えてくる。そうなると自分と他人を比べ、「私は間違っているのではないか?」と疑問を抱く。そこで世界の常識を知る人と意見の交換をし、自分の常識を修正するはずだ。まぁもし落合導が人と話したことの無い人間ならという前提も立てられなくはないが、ノアさんから仲間がいると聞いているのでその線はないと考えられる。それらを踏まえて、私の中に残っているこの知識と仮定していたもの、これはもちろん知識もあるが、それに加えて落合導の『理想』があるのではないかと考えられる。彼女の「こうだったらいいな」という妄想や考えが彼女の知識と混ざりあって現主人格の私の知性として働いている。
だから私は空を見てこうも思ったのだ。
「飛行機雲があったらいいな。」
空に1本の線を描く飛行機。それが時間とともに離散していく様が彼女の感性を刺激したらしい。この紺青色をした空にただ一機、悠々と飛ぶ飛行機雲の残す白い軌跡の下で、彼女はただ1人見上げていたかったのだ。
ドタドタと急ぐ足音が廊下から聞こえる。
『ガラガラガラ』
「どうされましたか?!」
勢いよく開いたドアからは息を切らしたノアさんが出てきた。
「えっと、車椅子でどこか見に行きたくて。呼んだんですけど、忙しいですか?」
「はぁ〜」
息を吐いて私の方へ歩み寄って、そうして頭を下げてこういった。
「落合さん。ひとまず特に何も無い様子なので何よりです。それと車椅子の件に関しては了承いたします。あともう一つ、当院のナースコールは押す回数で用途が変化します。1回が緊急、2回が急用、3回が雑多な用事。このようになっています。今回私が急いできたのは回数1であったため緊急と判断し、急いだことに起因します。この件に関しては、説明していなかった私に非があります。申し訳ありません。」
友人のように接してくれていたノアさんの口から、仕事上の謝罪が出てきた。私との関係はどうあっても患者と看護師でしかないのだ。
「いや、こちらこそすみません。ただ外に出たいとかいう身勝手な理由で人を呼びつけたりして。」
「いえいえ。多分ですけど思い出探しの一貫ですよね?それならお手伝いします。むしろお手伝いさせてください。」
彼女はいそいそと準備を始めた。少しだけ申し訳ないような気持ちになった。全面的に私が悪い訳じゃない。私からしたらただのヒューマンエラーでしかないし、気に止めるようなことではない。だけれど私の少しの願いのために見知った人を心配させ、焦らせてしまったことを少し悔やんでいる。
「じゃ、失礼しますね。」
勝手に悔やむ間に準備が終わっていた。
私はノアさんの補助を受けながら車椅子に乗った。座り心地はまぁまぁだ。
「どうですか?なにか違和感とかあります?」
「いや、特にないです。」
「じゃあ準備は万端です!!行きましょう!!」
勢いよくドアを開けた。
「で、どこに行けばいいんでしょう?」
そして出オチた。
「とりあえず院内を見て回りたいです。」
「わかりました。それじゃあ改めて出発です!」
10分程移動したが、道中で出会った人は誰も彼もが変わった人たちばかりだった。生まれた時から何不自由なく暮らしていたせいで歩くことを忘れた人。エアコンの風に当たりすぎて全身が干からびた人。一番意味がわからなかったのは、目が見えていないのに普通の人と変わらない視点で生活できている人。だってそれは見えてるってことだから正常な人間でしかないのだ。それなのに病院にいる。よく分からなかった。
「最後に会った目の見えない人、あの人なんですか?あれ見えてるんですよね?」
「いや。あの人はちょっと特殊で、私たち『常駐』じゃなくって『派遣』によって治療された患者さんなんですよ。」
「『派遣』?派遣会社から来るって言うあれですか?」
「それとは少しちがっていまして。そうですね、簡単に言えば社員の区分のことです。」
「区分?部長とか課長とかそういう事ですか?」
「大体はあってるんですけど。うちの場合は、名前が変われば偉くなるではなくて、名前が変わると役職と能力が変わるというものですね。」
「能力ってなんですか?」
「あ、そうでした。記憶ないんでした。すみません。」
失礼だな。好きでなくなって訳じゃないって言うのに。
「能力というのは、『アースプロダクション』社と提携している『Hope Avalon』社が展開している事業の一環で、「人が思い描く理想を現実に」をテーマに理想の具現化と人間への移植を可能とした次世代型ヒューマンアップデートシステムのことです。私達、天翔はHope Avalonさんと長い付き合いなので実験段階からこの事業に参加させてもらっていまして、天翔の職員に能力を与え、どのような影響が出るかのテストを行っていました。その時に適性検査で70%以上の数値を叩き出した者のみが『派遣』としての業務に参加出来るわけです。ちなみに私は『常駐』に当たります。『常駐』は、適正率50%ですが、適正以外の面で優秀な成績を残したものがなれる職です。」
ノアさんは自慢げに鼻を鳴らしている。
全く知らない単語だらけで理解はできなかった。とにかく「人が進化するために研究した結果とんでもないものが出来上がった。」ということはわかった。
「ノアさんは何が使えるんですか?」
「私は、”人の不調の度合いが何となく見える。”です。」
「なんかふわっとしてますね。」
「しょうがないですよ。50%なんですから。本来の50%分の力しか出せないんですよ。本来の能力は”人の弱点が見える。”なんですから。でも、役柄的には便利な能力ですよ。初診とか、介護してる時に楽になんですよ。」
確かに私の足に触れた瞬間に彼女は気がついた。
本当になんとなく不調が見える程度なのだ。具体的な場所は触れたり観察したりしないと分からないのかもしれない。
「ちなみに天救さんは『派遣』でも『常駐』でもなく適正率90%の人がなれる『雇用』なんですよ。なんの能力持ってるかは知らないですけど、回復系であることだけはわかってるんですよね。」
「回復系?」
「能力には、『攻撃系』、『回復系』、『体現系』の3つがあるんですよ。私は『体現系』に当たりますね。能力は大抵『体現系』が多いらしいですよ。」
人の理想を実現した攻撃。ノアさんはすごいことだと言っていたが、私は酷く恐ろしく感じた。人の理想。そこにはきっと「あの人を殺したい」「こう死にたかった」そういう理想もあったはずだ。それも実現されていた場合、攻撃系の能力を持った者は、人を一撃で殺せる兵器でしかないのだから。
いい匂いがしてきた。そろそろ食堂に着くらしい。
「じゃーん、ここが病院食堂です!広いでしょう?100席くらいあるんですよ。」
「広。大学の学食くらいありそう。」
「ここはさっき言った『能力』を持った料理人、アンブル・ラナさんがひとりで作っていらっしゃるんですよ。凄いですよね。私全く料理できないので尊敬です。」
「へ〜、凄いですね。それ見れたりしますか?」
「もちろん!ラナさんは数少ない、見れる『雇用』ですから。思う存分見てください。」
そうして厨房の前に連れてきてくれた。
中からはドタドタと、慌ただしく動く人の足音がいくつも聞こえる。食堂内に人はそこまでいないが、時間はそろそろ13時をまわる。一通り朝の業務の終わった職員がお昼を食べにやってくるのだろうか、何人もの従業員が総出で準備をしている。
「ん?」
おかしい。
ノアさんはひとりで作っているといった。なのに足音は複数聞き取れた。明らかに複数人いる。これがラナさんの『能力』なのか?分身?”自分が何人もいたらいい”という理想は誰しも1回は思い描くもの。だが自分を増やしたところで何をさせる訳でもないからその理想を捨ててしまう。そう、あまりにも扱いが難しいのだ。自分で自分を納得させて自分を従わせる。意思のある人間だからこそ詰まってしまう問題だ。まぁその問題をクリアできた人間だからこそ今そこの厨房に立っているのだろう。
「ラナさーん!分体の誰でもいいのでおひとりこちらに来れますかー?ノアです。天下のゴミ野郎、天救のとこのクラリス•ノア•リポジットです!」
地味に初耳な情報が出てきた。私がいつも呼んでいた「ノア」はミドルネームだったのだ。特に気にしてはいなかったのでこれ以上の追求はない。
「お?あの野郎のとこの嬢ちゃんか、何の用だ?もしあの野郎の願いだったら聞く気はねぇぞ。」
声が足元から聞こえてきた。目線を足元に向けると泥溜まりのようなものから頭が出てきている。
「いえいえ、今回もそんなことじゃないですよ。見てください!この人が私が担当になった落合さんです!!」
まだ胴体くらいまでしか出てきていない。
だがでかい、何がとは言わないがとにかくでかい、目が釘付けになってしまう。
「ほぉ、これがこの間来たズタボロのか。随分と綺麗になったじゃねぇか。」
完全に出来上がったその人は、およそ2メートルはある巨女であった。
「どうも、思い出はないですが一応、落合導です。」
「そうそう、落合さんってば那須場さんとかと同じ欠落状態の患者さんなんですよ。」
「欠落者か、まためんどくさいもんを引いたねぇ?」
めんどくさくてすみません。わざとじゃないんです。
「落合さんは真央さんと比べたら圧倒的に楽ですよ。あの人は欠落者なのに能力持ちでしたし、オマケにナルシストでしたから、こう言っては良くないですけど最悪でした。」
真央、何番目の人だったか忘れたけどノアさんが嫌うくらいなのだから相当嫌な奴なのだろう。
「那須場を初めに見つけた時点でこうなる事はほぼ確定してたみてぇだからな。」
「大天使さんですか。あの人もうちょっと早めに行って欲しいですよねぇ。そうしたら不測の事態も予測の範疇になるって言うのに。」
「しゃあねぇだろ、no.1225は適正者が少ねぇどころか大天使しかいねぇんだから、50%でも使えるもんは使わなきゃならねぇんだよ」
大天使とはなんだ?とにかく未来予知に似たなにか特別な能力を持っていることだけはわかる。だけどそれより、天使と聞いた時、背中が少しゾクゾクした。怯えているような、憤っているような、そんな負の感情の波を背中に感じたのだ。
「すみません。ひとつお聞きしてもいいですか?」
「あ?なんだ?」
「盗み聞きしたみたいで悪いですけど、大天使ってなんですか?」
「あ〜ノア。言っていいんだっけその辺のことって。」
「50%以下の人は基本的に開示可能なんでへーきです。70%以上から開示に許可が必要になります。有耶無耶になってますけど、本当はラナさんも無闇やたらに能力を言っちゃダメなんですよ。」
「うるせぇな。あたしが手に入れたものを扱おうがあたしの勝手だろう?お上の言うことなんざいちいち従ってらんねぇよ。」
「もう、ここの人は勝手な人ばっかなんですから。おっと、大天使さんについてでしたね。」
「はい。無理のない範囲で大丈夫なのでお聞きしたいです。」
この人たちはすぐ話が逸れる。どちらも性分が似ているからなのか話題が尽きないらしい。
「大天使さんは当病院が所属している一般社団法人アキレアのスポンサー的な役割を持つ会社の理想管理責任者さんの事ですね。能力が特殊でして、no.1225 ”ハッピーバースデー罪なき罪人”『未知の道』の唯一保持者で、未来を断片的に見ることができるっていう適正率50%とは思えないとんでもない能力を持っている方なんです。」
「あたしの能力なんざゴミに見えるくらい有能なもんだぜ?」
いわゆる未来視の能力というわけだ。どのくらい先の未来まで見通せるかはわからないけど、見える程度によっては未曾有の事態も事前に予測可能なのだろう。
それにしても『能力』というものは何でもありだな、理の範疇を超えたものとはいえ、人の理想をそのまま体現したみたいなものばかりだ。
「おい奴さん。何難しい顔してうつむいてんだ。質問しといて何の返答もないのは人としてどうなんだ?あ?」
「すみません。わからないことだらけなので、少しフリーズしてました。」
「ん。あぁそうだお前さん欠落者だったな。忘れてた、すまんな。」
「いえ、大丈夫です。見た目に問題はないですから忘れるのも無理はないです。」
「おい、ノア。こいつなんか言い方に棘があるぞ。」
「軍人さんらしいですから、事実をそのまま伝える能力が培われているんじゃないでしょうか?言い方に棘があるのはとらえ方次第じゃないですかね。」
「ほーんそういうもんか」
「あ、あと欠落者さん全体の特徴で、よく考えるっていうのがあって。時々何かのスイッチが入ったかのように考え出すことがあるんです。その状態になると人の話を全く聞かなくなって思考に没頭してしまって。多分ですけど、自身の思い出を掘り起こすためのきっかけを作ろうとしているんじゃないですかね?」
聞こえてるんだよなぁ。先程から患者の悪口とか上司の愚痴とか、身を瞑りたいようなことばかり話している。ノアさんのような人対人のような職業の人たちは特にそういう不満がたまるのは知っている。それでも、悪口は聞いているだけで気分を下げてしまう。気持ちがいいのは本人だけだ。でも、自分が加害者になってもいいことはない。私みたいな人が悪口を言っても後から来る罪悪感にやられて目を合わせるのが苦しくなるだけなのだ。そんな風になるなら初めから終わりまで沈黙を決め込んで傍観者に徹したほうがいいように思う。
まぁ後からの後悔が少し増えるだけなんだから痛くない痛くない。ケガするのは軽度の重症だけで十分なんだよ。
「あ、そうだ忘れてた忘れてた。あたしの紹介してなかったよな?」
「名前は知ってますけどその他諸々のことは全然知らないですね。」
「そうだよな。あたしはアンブル・ラナ。ここ天翔でコック?おかみ?料理人?わかんないけど患者とか職員の食事のすべてを任されてるもんだ。『能力』はno.111 ”It’s us”『孤軍奮闘』で簡単に言っちまえば「自分と全く同じ分身を作れる」だな。なかなか便利だぜ?」
「改めてよろしくお願いします。落合導、思い出のない欠落者です。これからちょくちょくお世話になると思います。」
「おう、よろしくな。」
差し出してきた左手に私は左手を重ね、彼女は少し驚きながらもきつく握手を交わした。
「そうそうラナさん。お話ついでにお聞きしたいんですけど、落合さんの思い出探しで第三世界についての情報を使おうと思っているんですよ。何かあそこの大規模部隊の戦闘記録とか知りません?」
「第三か。あそこも混沌としてるからな、なかなか媒体形式で記録が残ってることがねぇんだよ。でも、その辺のこと知りたいなら記録課のシェルフのとこに行ったらどうだ?あいつならなんか見つけるだろ。」
「あーシェルフさんですか、確かにいらっしゃいましたね。」
「お前忘れてたのか?」
「いえいえ、断じてそんなことはありません。確かにシェルフさんは陰気で内気で影が薄いですけど、私もお世話になる記録課の一人ですよ?忘れるわけないじゃないですか。へへへ.....」
ラナさんと目が合っていないように見えた。これは、確実に忘れてたな。薄々感じてはいたが、ノアさんは重度のドジっ子。いや、健忘症なのではないか?この人とのこれから先の関係が思いやられる。
「と....とにかく!!落合さん。次は記録課にレッツゴーですよ!!!」
そうして私は静かに手を振るラナさんを尻目に、食堂を後にするのであった。




