落合導の目覚め
めがさめた。
最初に目に映ったのは、天井だった。
「知らない天井だ。」
知らない。
少し自分のことを考える。
「そういえば、私は、誰なんだろう。」
初めての疑問はそれだった。
わざわざ口に出して言うほどその疑問は私の今を表していた。
なにかないかと周りを見回す。
服装を見ると、病人のような服。部屋を見ると、病室。棚の上には、写真。点滴には名前が書いてあった。
「落合 導」
それが私を表す名前らしい。名前を見たところでピンとくるものは無い。ただ目の前にある事実を受け入れたに過ぎないからだ。
写真を見るために左手を伸ばす。
そうして初めて自分の不調に気がついた。
足が思うように動かない。
動かせないのではなく上手く動かない。足を持ち上げてベッドから降りようとしているのに、足がピクピクと痙攣するだけで持ち上げるに至らない。
以前の私は、特に問題なく足を使えていたと思う。直感であるがそう感じた。
『コンコン』
誰か来た。
『ガラガラガラ』
入ってきたのは背が高く、ボブと呼ばれる髪型をしている女の看護師だった。彼女は私を見て少し驚いた様子だった。
「落合さん………?目が覚めたんですね?!」
そう言ってこちらに駆け寄ってくる。
「あぁ良かった。このまま目が覚めなかったら私たちが、お仲間さんに顔向けできませんからね。良かった。本当に良かった。」
彼女は泣きはしなかったが、心の底から安心したような顔をしていた。
私は余程酷い傷を負っていたようだ。
「では、起きて早々で申し訳ありませんが、診察のために医師を呼びますね。」
そう言って看護師は入ってすぐ横にある受話器をとって電話を始めた。
「………」
仲間、看護師はそう言った。
私には仲間がいたようだ。前の落合導は、どんな人間だったのか、その仲間は知っているのだろうか。知っているなら会いたい。会って私を元の落合導に近づけて欲しい。
「すみません。今先生呼んだんですけど他の人診察してるみたいで、30分後に来るそうなので、先に軽い診察だけ済ませちゃいますねー。」
慣れた手つきで私の身体を起こして足に触れた。
「落合さん。体の状態どうですか?」
「あ、そうですね。足と、右手が上手く動かせないです。」
写真に手を伸ばした時に足同様に気がついたことだった。右手で踏ん張れなかったのだ。
「後遺症ですかねー。リハビリ頑張れば、生活に支障がない程度には回復するんで、安心してください。」
「あの、それとあとひとつ、記憶が無くって。」
「え?記憶ですか?」
不調。
私と彼女『落合導』の身体の一番の不調。
「どのくらい残ってますか?」
意外にも看護師の反応は薄かった。
ここは多分病院だ。それならよくあることなのだろう。
「えっと、具体的にどれくらいっていうのはわからないです。だけど記憶の始まりは、ここの病院で目が覚めた時です。」
思い出せない。それとは違って、思いつかない。
そっちの方が当てはまっている。そんな感じがする。前者は記憶にモヤがかかる感覚、後者は記憶の断片は愚か、ゴミのような記憶のカスすらも出てこない。
「そうですか。話せているとこを見るに『思い出』が抜け落ちている感じっぽいですね。お名前呼んだ時に反応されていましたけど、ご自身のお名前は覚えていらっしゃる感じで?」
さっきまで笑いかけながら淡々と進めていたのに、記憶が無いと知ってすぐカルテを取りだし、メモを始めた。冷静で合理的な情報をまとめる行為だ。
「名前は点滴に貼ってあったのでそれを見ただけです。私が誰で、今まで何をしてその結果ここにいるのか、それが分かりません。」
「うーん。前の落合さんの最初から最後まで、そこが抜け落ちてますね。落合が運ばれてきた時を考えれば、ない話じゃなかったんですけど…。困ったなぁ、お仲間さんにどう話そう。」
現在の身体を考えれば運ばれた理由は聞くまでもなく最悪だろうが、また言った。お仲間さん。さっきから出てくる『落合導』の手がかり。今はそれが知りたい。
「お仲間さんって、なんなんでしょうか?」
「あーそうですよね。記憶、ないんですもんね。知るわけないですよね。そうだなぁちょっと話としては複雑ではあるんですけど、簡潔に言うと… 」
何かに巻き込まれていた。それは確かだ。だけど他の人が感じようのないくらい、それは酷く悲しくて、辛いもの。そんな気がしている。
だから、今この看護師から聞かされる事実の一端を私は受け入れて、次に行かなければならない。
覚悟は出来ている。
「あなたは軍人です。」
「軍人?軍人ですか?私、戦争にでも行ってました?」
私は、冷静だった。
意識があれば、私がこういう人間だって分かれば、驚いたり、怒ったり、そういうことが出来たと思う。だけど、私には過去がない。積み重ねがない。だから私の備え付けの知識で、不調の原因を段々とはっきりと、意識を獲得するしかないという思いしかない。
「そこら辺に関して私から言えることは無いので、これから来る医師か、お仲間さんにでも聞いてください。」
守秘義務だからなのか、ただ知らされていないのか分からないが、守秘義務なら私本人だし、教えてくれてもいいじゃないかとは思う。不便だ。
「それじゃあその医師さんはまだでしょうか。」
「えっと、ちょっと遅れてるみたいですね。もう少し待てば来ると思いますよ。」
『コンコン』
「ほら、噂をすれば何とやらですよ。どうぞー。」
ゆっくりとスライド式のドアが開く。
1歩、1歩と歩む医師の挙動に緊張した。
私は彼とは初対面で、何も知らないはずなのに、何故か、脂汗が止まらない、背筋をなぞられた様に震えが止まらない。
「どうも、あなたの担当医の天救です。」
「どうも…」
「あー!天救さん、また髪の毛ボサボサのままで診察してましたねー!髭も剃り残しがありますし白衣も乱れてます!今回は私が手伝いますけど。いい加減、身なりくらい自分で治してください!!」
医師、というより研究者の方があてはまりそうな人間だ。眼鏡に白衣、見るからに痩せこけた顔。私の想像する研究者像そのものだ。
「ノアさん。カルテをくださいますか?」
医師は看護師、ノアに身なりをいじられながら手でカルテの催促をしている。
「ありますけどちょっと待ってください!!あと10秒だけ!!」
「しょうがない。落合さん。」
「はいっ!」
急に呼ばれて驚いた。そうだよね、名前くらい知ってるよね。
「ノアさんがこうなったら使い物にならないで、そこに置いてあるカルテ投げて貰えますか?」
「病人にものを投げろなんて言う医者がいるものか」と言いたい。だがそれ以前に、私はほぼ半身不随だ。ものを投げれるはずがないのだ。残念だがお怒りの言葉はノアさんにあげるとしよう。
「先生!!患者に激しい運動を推奨する医師がどこにいるんですか!!ふざけるのも大概にしてください!!身だしなみは及第点まで整えましたから、カルテは私が取ります。それを見てあなたはま!!じ!!め!!に!!診察してくださいね!!」
ノアさんで見えなかった医師は、先程のふざけた格好より幾分かマシになっていた。
「はぁ、申し訳ない。病院に有るまじき声量で喋る、配慮の足らない人間を、私は何故雇ったのか。できることならその時の私を罵りたいよ。」
凄い形相で睨むノアさんが見えるが私は何も言うまい。
「さて、おふざけはここまでだ。診察を始めよう。」
そう言って手渡されたカルテを見て彼は一瞬眉をしかめた。
「天救さん。落合さんは欠落状態にあります。本病院では5件目の症例です。1件目の那須場さんや4件目の真央さんの時と同様に自身の基本情報が欠落しています。現状で意識の混濁は見られず、”新たな人格”として再起動しています。」
「そうですね。長い休眠状態であることから予想はしてましたが、本当に欠落状態になるとは…」
記憶障害ではなく欠落状態と言った。記憶障害が一時的な記憶不全であるなら。さっきノアさんが言っていた「思い出が抜け落ちた状態」が欠落状態なのだろう。思い出は人生を過ごしていれば積み重なるたくさんのデータだ。VHSのテープも焼ききれてしまったら使えばしないが、私みたいにガワが壊れただけなら付け替えればまた使える。
でも私は元の『落合導』じゃない。古いガワに新しいテープを付け替えただけなんだ。古いテープはまだ押し入れのボックスの中だ。私はそのボックスの場所は分からない。場所を知っているのは『落合導』だけ。正直、見つける義理とか意味とかは特にないと思う。だって今、この体の持ち主は私だから。
でも何故か見つけたいと考えている。彼女の思い出を、私のじゃないほかのテープを見つけたい。これは体が心を求めるごく自然なことなのだろう。本能。そんな感じ。
「前の患者さんもちょっとした刺激で思い出が戻りましたし、落合さんも頭とかぶっ叩いたらスルッと戻るかもしれませんよ?やってみます?」
「先生?真面目にやるんでしょう?これ以上おかしなこといったら、貴方の頭を正常になるまで叩いてあげますね。」
ノアさんの目は本気だ。その気がなくても日常的に叩いていそうなものではあるのだが、ただの偏見だろう。
「刺激と言いましたけど。肉体的なものだけではなく、精神的なものだって刺激にはなりますよ。私個人としては面白みにかけるんですけどね。」
この人はサイコパスなのだろうか。いや、自分の興味のあることを抑えられないだけなのだろう。そう信じたい。
興味といえば、ひとつ気になることがある。
「あの、ひとつ心当たりじゃないですけど。気になることがあって、聞いてもいいですか?」
「どうぞ。思い出を戻すきっかけは自分の疑問からです。気になることでも心当たりでも、なんでも何らかの形で元に繋がります。我々も答えられる範疇で回答することは可能ですので、遠慮なく聞いてください。」
「はい。では、遠慮なく。」
聞くことは決まっていた。ノアさんが病室で起きている私を見た時から気にしていたこと。元の私を知る人達。そのこと。その人達を知らない私は落合導の始まりにすら立っていない。だから知りたい、知らなければいけない。これは、私の第一歩、彼女の終わりから私が始まるその最初の一歩になる。
「私の、落合導の仲間についてしりたいです。」
仲間はいる。
嘘でも妄想でもなく実際に。
彼らの話を聞こう。彼らに話を聞きに行こう。
この軋む体を這いずって。
嫌でも、なんでも。
そうしたら新しい発見があるから。




