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「寸秒の光を頼りに」



 

 不可避のものがある。死だ。

 平等なものがある。これもまた、死だ。

 死が訪れるということは、我々が人であるという永遠の証明になる。

 人であるから死に、死ぬから人であるのだ。


 (中略)


 しかしながら、死が死として機能しない場合がある。

 それは死が個人の死を超越した時、地球上の人間全てが死んだ時だ。

 すなわち人間という種の滅亡。死という概念すらをも蔑ろにし、死という言葉ごと失われる滅亡。

 我々はこれを死と呼んで良いのだろうか?否。

 我々はこれを許して良いのだろうか?断固、否だ。

 我々が正当に死ぬ権利を、人が人である権利を、何者かに奪わせてはならない。


 故に、我々はあれを封じた。

 我々から権利を奪う不埒な輩を、かつての王を。

 醜悪で愚鈍で滑稽で鄙劣な、名付けるならば、あれは、魔王だ。


 ─────────ケイド・グーラル著『魔王』より




 


 


  §






 【城館内 地下】


 モルフォの想定以上の方向音痴っぷりに翻弄されながら、彼女たちは地下に潜り込むことに成功した。

 地上と変わらず光は四方どこにも見当たらず、地上と違い窓から漏れ込む僅かな外光さえ潰えたそこは、正真正銘の暗闇である。

 猫の如く瞳孔を萎め道を探っていたモルフォも、この暗さは流石にお手上げのようだ。彼女はパシュエを担いでいない方の手を広げ息を吐く。


 「魔法は魔物を誘き寄せてしまうので、あまり使いたくないのですが・・・パシュエ様はどう思われますか?」


 「ランタンは置いてきちゃったから、光源がないもんね。暗闇から奇襲される方が怖いし、魔法で光を作ってもいいと思うな・・・」


 「仮に寄ってきても、モルフォが蹴散らしますしね。つけましょう───《ルクス・リーネ》」


 淡々と放たれた詠唱に合わせ、辺りを太陽のような眩すぎる光が包んだ。まぶしい・・・本当に眩しいな。

 目が灼け真っ白になる光量を間近で、それも暗闇に慣れていた視界にくらい、パシュエはおろかモルフォさえ唸る。

 失明の危機が過ぎるほどの光に耐えきれず、パシュエは叫んだ。


 「あのっ、ね、モルフォ・・・!これ、初級魔法なんだよねっ!初級魔法の基準って手元の本が読めるくらいの光量じゃないの・・・!」


 「そのはず・・・なんですが。なんか眩しいですね。」


 「ェ〜〜〜」


 発した本人も戸惑いを隠せない魔法に、慄く両者。

 モルフォは創造主として光を沈めようと踏ん張るが、手元の光は点滅し制御から逃れようと踠く。力が均衡した結果、光は球体に収束し、ひとまずは小さくなった。が、


 「・・・これは、魔法が暴走している?」


 モルフォは訝しげに眉を顰め、自身の手首を掴んだ。

 ちかちかと眩い光の球体を、パシュエも前のめりになって見つめる。魔法には精通していないが、これがイレギュラーであることくらいは何となく分かった。


 「魔力の暴走って・・・具体的には?」


 「パシュエ様からするとちんぷんかんぷんだと思いますが───簡単に言うと、魔力の線が混線している状態ですね。何だか、強すぎる存在に魔力を吸い取られ、導線を掻き乱されているような・・・初めての、不思議な感覚です。」


 言うと、モルフォは自分の指をまじまじと見つめ、手を頭上に翳した。青白い血管がきめ細かな肌に浮き出す。

 魔力の線?彼女の言う通り、パシュエにはちんぷんかんぷんな話だ。そもそも魔力というものの姿形さえ想像及ばないほど魔法に疎いのに、複雑な話をされてもさっぱりである。だが、気になる箇所が一つ。


 (強すぎる存在?それって)


 考えたくもないが、否が応でも2文字がちらつく。


 (魔王・・・)


 想像を巡らせた途端、目の前にかの王が顕現したような恐怖だった。幼き頃から如何に“それ“が恐ろしいものか、耳にタコができるくらいに刷り込まれてきた故の反応だろう。そして神託が事実と異なることを告げるわけがない。これもまた、幼き頃からの刷り込みである。

 しかし日常とは違う今の状況を鑑みて、魔王復活の可能性は避けては通れない可能性となった。だがその可能性は神託と矛盾する。怒涛の連続で時間の流れがあやふやに感じているものの、まだ起床から一時間と経っていない今、夜には遠い。神託を盲信するなら、“絶対にない“と断言できるだろう。

 あくまで可能性でも、可能性は可能性だ。神託によって生まれていた僅かな余裕がひっくり返り、ただでさえ雀の涙のようだった希望の兆候が完全に閉ざされた音がする。

 

 ───魔王復活が文字通りの夢で、現実には起こらなければとは幾度と考えたことだが、こんな予定調和は望んでない。


 「・・・急いでモルフォ。状況は思ってたよりまずいかも。」


 覚えず語気が強くなる。担いでもらっている側なのに横柄な物言いになってしまったことを少なからず恥じたが、そんな気配りができないほどの事態が迫っているのだ。

 主人から命令らしい命令をされ、モルフォは目を白黒させながらも力強く足を踏み出す。


 「はい。ですがその前に、降りかかった火の粉は払っておきましょう。」


 そう言うと、彼女は握った手の甲を背後に振り上げた。言葉にはできたが、目で追えたのは些細な動作だけ。一体何かと目を見張ると、床から鈍い音が鳴る。


 ───何かが床に倒れ込んだようだ。

 

 魔物だ。魔物が、飛んできた蝿みたいに叩き落とされている。

 正しくは蝿ではなく蝶、倒れたそれが魔物だと断定できたのは、ひとえに頭部が蝶だったからだ。先程の兄を模した魔物と違い、蝶が首と挿げ替わった化け物は、この世の存在としてはあまりに不格好な産物だった。鱗粉が艶やかに光り、しかしやがてそれは輝きを失っていく───恐らく、死んだのだろう。

 羽が命の余韻でぱたぱたと地団駄を踏み、最後は力なく稼働を止めた。


 今、その人智を超えた産物を殺した女は、なんて事ないように仕留めた拳で髪を梳き、息を吐いた。


 「ご無事ですか、パシュエ様。」


 「えあ、うん。無事なんだけど・・・なんか、強くない?」


 「魔物がですか?」

 「モルフォが」


 「・・・まあ、鍛えてますから?」


 「鍛えてるからって、魔物ってこう、低級でも魔法何発か入れないと落ちないものじゃない、の・・・?」


 ひしゃげた羽の様を盗み見て、パシュエは密かに息を呑む。モルフォのおおよそ女性的な腕の何処にそんな馬鹿力が隠れているんだろうか。魔物の耐久力といえば、最低でも成人男性と同等くらいで、死に至らしめるとなればそれこそ殺人級の力を要する。

 ───そう考えると、思い当たる節はあるかもしれない。モルフォは調理の際よくガラス製の食器を割って回っていたが、まさか制御の効かない怪力によって起きた現象なのだろうか。だとすると、


 「も、モルフォ?私の腰、折っちゃダメだよ?殺さないでね・・・」


 今腰に回された手に力を込められれば、そこから体が山折りになってしまうかもしれない。長年共に過ごしてきた従者に体を折られての最期なんてごめんだ。

 上手く力を調節してねのニュアンスが含まれた命乞いに、当人は心当たりがないのか首を傾げた。


「ええ勿論、謀反など起こしません。安心してモルフォに腰を預けてください。」


「預けて、返却される頃には使い物にならないとかやめてね・・・私、まだまだしたい事があるもん。」


 念に念を入れて念を押しておく。この黄金の体には重責と世界の命運が乗っかっているのだ───ああ、自分で言っていて胃が重くなってきた。いっそのこと再起不能な怪我を負えば、暖かいベットで最期を迎えられたのだろうが。しかし不戦勝ならぬ不戦敗はメドュースの辞書にない。逃げるな。

 喉頭が上下する動きを奮起と捉え、パシュエは腕を上げる。突き出した腕が、布の擦れる音が、虚空に響いた。


 「兎に角、強いモルフォがいれば百人力だね。戦闘は頼りきりになっちゃうと思う・・・な。」


 「はいっ。それで結構です。モルフォは主の手足となれば本懐ですので、どうぞ死体も血まで啜り、糧として頂ければ。」


 「そこまでは求めてないけど・・・あと、死体とか言わないでね。今言われると洒落にならないから。」


 忠誠に熱をあげすぎるモルフォはさておき、パシュエは魔物の死体をまじまじと観察した。

 

 光が不安定で視野が悪い中、先を睨むようにしてなんとか見えたのは、赤い何か、おそらく血───が付着した白い装い、ガタイは成人男性ほどだろうか。

 漠然と姿は見えたが、細部まではよく見えない。

 

 しかし改めて近くで見ると、その質感に悍ましくなる。頭を除けば完全な粗悪品というわけでもなく、肌や造形は概ね人間のものに見えた。兄に擬態した魔物に襲われた前例がなければ、そして頭さえ隠れていれば、コロッと騙されてしまいそうだ。この模倣能力は脅威だとつくづく感じる。

 

 一方で、これは頭だけ擬態が解けた状態であると考察できる。恐らく魔物本来の姿は蝶の形で、うっかりか作為的かはさておき、頭のみ本来の姿になってしまっているようだ。


 「───擬態型、シェイパーの一種?でも、シェイパーの本体は食虫植物みたいな外見ばかりの筈・・・それに、従来の擬態は死亡と同時に解ける。この死体は人間の肉体を保ったまま。

 ならシェイパーじゃない、のかな。そうなるとこの魔物は何?」


 過去図鑑で見た魔物の特徴に照らし合わせながら、これは何かと考察をするパシュエ。モルフォは足を止めて相槌を打つが、七割は右から左だった。

 メイドとして生きる上で、主人以上に知識に富むつもりは更々なかったものだから、勉学など励んだことがない。魔物について知ることも、その名称くらいしかない。寧ろ三割理解できるのが奇跡なくらいだ。


 「その“シェイパー”とは何なのでしょうか。」


 自然とモルフォは聞き返していた。魔物の生態など全く興味はそそられないし、全部殴れば死ぬくらいの認識なので聞く意味はない。が、主人の与太話は聞きたい。

 それに、切羽詰まった主人も、会話を交わせば多少緊張が和らぐかと考えたのだ。


 期待の眼差しを受けたパシュエは、一瞬口篭った後、


 「シェイパーっていうのはね、擬態が可能な魔物の総称だよ。」


 と、爪先で魔物の頭を指した。


 「他の生物に擬態して、他を欺く。そういう姑息で卑劣で、弱者の手段を取って、誘き寄せた獲物を食べちゃうの。

 本来シェイパーは魔物の中でも抜き出て魔力量が多くて、そんな回りくどい真似しなくっても大抵の敵は倒せちゃうのに・・・」


 「強者故に、周りに擬態して弄んでいるということです?魔物にも愉悦の感情があるのでしょうか。」


 「・・・モルフォは、そう考えるんだ。この行為に対しては色んな説があるんだけど、私はそう思わないな。」


 「───と言うと?」

 

 「シェイパーって魔力量が多いんだけど、実は突然変異的に出来た種だから、環境に適用できずに淘汰されかけた過去があるんだよね。産まれたばかりの新人だから自分に秘められた魔力も理解できず、先輩達に成されるまま食い潰されてきた。

 その上で偶然、ある一匹が他の魔物に擬態できることに気が付いたの。倣うように、シェイパー達は種の繁栄もアイデンティティの確立も諦め、極限まで自身の弱さを自覚し萎縮し、擬態で他を欺くようになった・・・この時、もし仮にだけど、擬態以外の可能性を模索していれば、自分自身のアイデンティティに気が付けていれば・・・もっと別の生き方の種になっていて、シェイパーなんて名前は付けられなかっただろうね。」


 「結果としてパンチ一発で落ちるような雑魚種が爆誕した訳ですから、此方には都合いい。」


 「確かに・・・擬態って物凄く魔力消費量が多いから、その状態で戦闘に持ち込まれちゃうと魔力が枯渇してほとんど戦えなくなっちゃうんだよね。良くも悪くも奇襲に特化しているっていうか・・・擬態を挟まずに素の状態で戦えば、大抵の敵はまず魔力量で押し勝てそうなのに。魔物なだけに悔やみづらいけど、惜しい生態だよね・・・」


 「ええ───これは余談なのですが、もしパシュエ様がシェイパーだったら、同じように自分を隠匿して生きますか?それとも、自分の可能性に気が付けると思いますか?」


 「えっと、どうだろう。そもそも魔力がほとんどない私には、体内に魔力がある感覚すら分からないから・・・本質的に違う生き物の在り方を想像するのは、難しいな。」


 どっちつかずな答えにモルフォは満足そうに頷くと、それにしてもと前置きをし、道の先を見つめた。


 「───侍女寮には魔物の気配が複数ありましたが、表に現れたのは一体のみでした。あれはもしや、一体が囮となっている間に奇襲の隙を窺っていたのでしょうか。」


 「可能性はあると思うな。シェイパーの狩りは複数で行う事が多いから、特性とも合致するし。」


 情報を統括すると確かにシェイパーらしきこの魔物なのだが、虫食い的に疑問が存在しているのもまた事実だ。

 

 そもそも、生き物は大きく純種と亜種に分かれる。純種は羊や犬、亜種は魔物全般を指す。

 これらは全く別の生態系を独自で有しており、両者の違いとして挙げられるのは“食事“だ。純種は農作物や肉、亜種は魔力のみを食しエネルギーとして変換する。消化器官その他生物として機能が根っこから異なるのだ。


 (──────あれ?)


 ふと食という文字に思い至ったパシュエは、魔物の頭から軌道を辿るように指を上に動かし、


 「あっちって食料貯蔵庫だよね。なんでこの魔物はそんな所から来たんだろう・・・」


 「畜生も腹は空くのでは?卑しくも盗み食いしようとしたのでしょう。」


 「───うん。あ~・・・あのねモルフォ、魔物は私たちとおんなじ食べ物は食べないんだよ・・・食べても消化できないしね。」


 「そうなのですか?」

 

 いや、違う。これも気にはなるけれど、重要なのは異なる生態系にある生物同士は交わらないということ。純種は亜種に転じることはなく、逆もまた然り。当然のことだ。

 しかしこの魔物、頭部は完全に蝶に見える。触覚の形や斑紋、特徴的な表翅の色から察するにこれは、青銅蝶と呼ばれる、城館近隣にも生息する比較的一般的な蝶だ。庭のお茶会で度々見かけていた為、間違いない。

 見た目が純種に似た魔物というのは多いが、それは擬態という特例を除き“似て非なるもの”である。パッと見は似ていてもその実、近くで見れば別物。純種と全く同じ姿形の亜種は原則存在しない。仮に存在してしまえば、それは“同じ生物”になってしまうからだ。


 (うーん、よく分からないな。すごく大きいから普通の青銅蝶ではないことは確かだけど、大きさ以外はそっくりなんだよね。)

 

 結局、これに関しては棚に上げることにした。私は魔物博士じゃないし、魔物の正体が本件と通じていようが、今は他に優先すべきことが山積みだから。

 そう、すべきことが山積み──────


 「っそ、そうだお姉様っ・・・つい魔物に気を取られてたっ。」


 考え込むと止まらなくなってしまうのは悪癖だと、自分に口酸っぱく言い聞かせてきたのに!

 青ざめた顔を上げたパシュエに、モルフォも本来の目的を思い出したようだ。


 「はっ、申し訳ございません。モルフォが話を振ったばかりに。」


 「ううん、私もつい喋りすぎちゃった・・・行こ。」


 謝罪の必要はないと伝えたかったが、これ以上話を広げても風呂敷が畳めなくなるだけだと押し黙るパシュエ。

 

 颯爽と身を翻したモルフォの腕の中、パシュエはある物の姿を捉えた。魔法による光が偶然安定し、部屋の隅を明るく照らし出した瞬間のことだ。


 (───剣?)


 魔物の死体から数メートル離れた部屋の隅で、光を反射し瞬いた何か。僅かだが視認できた。あれは剣だ。死体の手の先がそちらを向いていることから、モルフォに殴られた弾みに手から離れたものだろうと想像できる。

 

 私は、あれに見覚えがある。それも今日、さっき、見たものだ。見たのだ。

 

 

 “パニエお前、俺の妹に刃を向けたな───ッ!“



 そうだ。兄上が、ポルカ兄様が、私を守る為に使ってくれた剣だ。絶対にそうだ。あの一太刀による恩義を忘れる訳ない。


 あれは、ポルカ・メドュースの剣だ。


(何故ここに?)


疑問符は、轟いた雷鳴でかき消された。

 

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