「世界が終わる一秒前」
むかしむかし、魔王がいました。
魔王はせかいに悪をふりまき、たいそうおそれられました。
しかし勇者はひとびとをすくうべく、かかんにたちむかい、死闘をくりひろげました。けっか、なんとか魔王をふういんすることはできましたが、勇者たち人類もまた、魔王がしぬさいに放った瘴気によって、ほとんどがしに、ふたりのにんげんをのぞいてしにました。これを、相討ちといいます。
わたしたちは、その生き残りである“あだむ”と“いゔ”からうまれた、あらたなにんげんなのです。いまもこのせかいのどこかにふういんされている魔王は、生命かつどうをつづけています。あなたが悪事をはたらけば、悪のにおいにつられ、ふういんをやぶってやってくるやもしれません。
─────────カール・ゲル著『まおう』より
§
「ッ持ち堪えろ!何だっていい!鍋でも皿でも、武器になるもので応戦するんだ!」
「そうは言っても、僕らの周りにはもう武器になるものなんてないよ・・・!」
「隣人の頭でももぎ取って使え!無理ならその身を武器としろ、最後に信じられるのは拳だ!足技が得意なら足でもいいぞッ!」
「無茶言わないでよ!!皆がみんな兄さんみたいに素手で魔物を引きちぎれる訳じゃあないんだ!」
パシュエ達が魔物から逃げ仰せている一方、絶え間なく腕を動かし続けながら、男たちは慟哭していた。
彼らの遠吠えは地上には届かない。此処は城館の地下深く、食料貯蔵庫。どんな爆音も分厚いこの天井を破ることはできないのだ。酸素を吸う度に脳が痺れるような緊張感を、場の全員が共有していた。
此処は戦場だ。
「ああぁあぁ!!!もう死ぬ!死ぬんだ!神は雨音をかき消せなかった!我らの時代は終わりを迎えたんだ!」
「───チッ、こいつはもう駄目そうだな。下がれ、俺がやる!」
気が滅入った一人が叫ぶと、金髪を勲章と輝かせながら、男が前へ出た。
ポルカ・メドュース。彼は自身の名誉と命と拳を賭けて立ち、半ば力任せに剣を振るう。
(クソ、クソ!どうしてこんなことに!)
閉塞感で喉を締め付けられる錯覚を覚えるが、それを追い払うように武者震いした。ポルカは物を考えるのが得意でも好きでもないが、今ばかりは腕だけではなく頭を動かす。事態は混沌を極めていた、背水の陣となった彼らに残された道などはなく、ただ耐久戦を余儀なくされている。何か案を練らねば。
それもこれも、数刻前に姿を現した魔物のせいだ。
ポルカはパニエをぶん殴った後、父に呼び出された。ここまではいい。父の元へ行ったら、弟であるポセがいた。これも問題ない。父に、ポセと共に地下の食料貯蔵庫へ向かうよう命じられた。これもまあいいだろう。
そして肝心の食料貯蔵庫には数人の料理人がいた。恐らくここが分岐点だった。この時点で不信感を抱いていれば或いは違う未来があったのかもしれない。
が、今ポルカが直視している現実はこれだ。
無数の魔物───人の姿を模してはいるが、首から上は完全に異形の化け物が、食料貯蔵庫に押しかけてきた。もう50は斬り伏せたというのに延々と湧き上がってくる魔物に、ポルカの憤りが暴発する。
「ああクソ、キリないな!!!」
「っ、ビックリするから急に叫ばないでくれ兄さん。ただでさえ皆怯えてるんだ、これ以上刺激しないで」
「お、おう、そうだな、すまん・・・」
調味料と炎しか扱えない料理人が魔物相手にまともな攻撃を通せる訳もなく、この場で戦闘能力を持つのはポセとポルカのみ。しかしポセは所謂後方支援の魔法のみを専門としている為、実質的な戦士はポルカただ一人だ。部屋の唯一の扉から大量の魔物が押し寄せ、それが肉壁となって逃亡を阻止している。四方八方からは既に部屋に侵入していた魔物が飛びかかってきて、それを剣で墜落させる。それの繰り返し。背の高い棚だらけの部屋、それも薄暗い。頼りの光源はポセが片手間で作り出した魔法の光のみ。視界が最悪なのも災いして、正しく地獄絵図であった。
ポルカは魔物をまた斬りながら、後方を振り返る。
初めこそ適当な物で応戦していた料理人たちだが、今はもう生を手放し神に祈るようにポルカの背後で萎縮している。団子状態で震える彼らに“増援は無理そうだな”と見切りをつけ、ポセと共に彼らを守り抜くことを決意した。もとより、ただの料理人に戦闘力は期待していない。
そうして今度は隣のポセを見るが、魔法を打ち続け魔力が限界を迎えそうらしい。魔法の頻度が目に見えて落ち、瞼に疲労が浮かんでいる。
───俺一人で守り抜くしかないか。
「はあっ、はぁ・・・なまじ見た目が人なだけに、攻撃しづらいよ・・・本当に魔物なんだよね、これ!」
「なんだ、下らん泣き言いえる余裕はあるのか。ならッ、ふんっ、まだ戦えそうだな───!」
「っわ、血が飛んできた!あったかい・・・やっぱり人間なんじゃ」「頭部が蝶の人間が何処にいる!余計なこと考えるな、ポセ!」
人の顔の二倍はある青白い蝶が、襲い来る魔物の頭部で頭の代わりですとはためいている。この魔物特有の性質のようだ。それを除けば確かに人間らしい───刃を通した時の柔らかい感触も、まるで血の通った人間そのもの。
「俺たちはまだ死ぬ訳にはいかない、そうだろう!気張れ!もっと!」
そんなふと浮かんできた邪推を、高吟し退かす。
ポルカの喝を入れる台詞にポセはハッとなって頷き、再び両手に魔力を装填した。
「うん。僕ら、まだ死ねないね。魔王復活の時間まではまだ───」「ぅおい、バカ!後ろに人がいるのにその話するな!魔物より先に契約に殺されるぞ!」
メドュースの予知能力は他言無用。
今度はその禁忌に触れかけたことにハッとし、肩を揺らすポセ。料理人たちが会話を聞ける精神状態にないのは幸いか。もし耳に入っていれば、ポセは契約により死を迎えていただろう。
(ポセ、お前・・・その口の軽さでよく今まで死ななかったな・・・)
だがそんなぽやぽやしてる彼にも、ポルカが言わんとしていることは伝わったらしい。魔王復活の時刻は深夜、それまではいつも通りの平穏だと神託は約束してくれた。魔物の到来を平穏と数えて良いのかは謎だが、今は午前。神託いわく平穏な時間に入るのだ。
魔王の面を一目拝む為に今日まで生きてきたというのに、その前に死んでなるものか。
「まだ魔法撃てるな、ポセ。」
「うっ、うん・・・なんだかいける気がしてきた。やれるだけやってみる。」
「よし!なら支援頼んだ!後ろの奴らには絶対近付けさせるなよ!」
「───了解、兄さん。」
§
確実に体力が足りてない。こんな所で自身の身体が脆弱だと思い知らされるなんて。途切れ途切れにか細い息が、線になって吐き出される。それでも走り続けなければならないのは、自分に少なからず救世主としての自負があるからだと感じていた。
物事が感傷だけで解決するほど甘くないのも承知の上だ。自分が足を動かしたって、文字通り無駄足になるかもしれない。だが、それを動かない言い訳にするには。
「モルフォ、そこは右っ」
「了解です」
目的地、地下の監禁部屋まではそう遠くない。本館の階段から降り、奥に真っ直ぐ行けばすぐだ。だというのに、方向音痴を極めたモルフォは有り得ない方向に走っていくから困る。手綱を握るがごとく右も左も指示していないといけない。
故にパシュエは先行くモルフォに指示を飛ばしながら、必死に彼女を追いかけることとなった。その発声に加えドレスの裾にも足を取られ、パシュエの体力は急速に持っていかれる。正直、きつい。
「パシュエ様、疲れていませんか?」
その弱音を見透かしたようなタイミングで、モルフォに身体を案じられた。ここで馬鹿正直に頷いたらどうなるんだろうだろう。さっきみたいにお姫様抱っこで連れて行かれるのだろうか。モルフォは従順な態度に反して手つきが荒く、先程抱かれた時なんか物凄い腕力で首を絞められて普通に死にそうだった。ので、もう一度お姫様抱っこは勘弁していただきたい。着く頃には窒息死しているだろうから。それに、パシュエとて立派な女の子だ。体重だってそれなりにあって重かろう。
「私のことは気にしないで・・・モルフォは先に、お姉様の所へ・・・」
「何おっしゃるんですか、貴方を魔物跋扈する地に置き去りにすればたちまち爆散してしまいます。モルフォがお側にいなくては。」
「ば、爆散はしないだろうけど・・・」
「それに、パシュエ様はお体が生まれつき弱いのですから。あまり無茶なさらないでください。」
「う・・・」
思わず言葉に詰まった。
確かに、パシュエは体が弱い。これは前述の通り先天的なもので、病などの類ではなく単に虚弱体質なのだ。故に普段は剣の稽古にもついていけず、すぐへばって床に這いつくばっていた。なんと情けないことか。そして今も、こうして一刻を争う事態で従者に気を遣われている。
視線の先で弧を描いて揺れる黒髪、その持ち主に過度な心配を向けられて尚、パシュエは文字通りの足手纏いにはなりたくなかった。足が遅いパシュエなんか放っておいて、俊足のモルフォが一人で走ってくれた方がきっと何倍も早く事が運ぶというのに。それなのに、モルフォはさっきから自分に歩調を合わせて緩めに走ってくれている。
私にもっと体力があったら。足が長ければ。速ければ。すぐに疲労でいっぱいになるような体じゃなければ。
もっともっともっととないものねだりする手が喉からまろび出そうになるのを、唇を噛んで止める。
仕方ない。多少モルフォに負担はかけてしまうけれど───
「ごめん、モルフォ・・・やっぱり担いで行ってもらってもいい、かな・・・その、できればさっきの担ぎ方以外で・・・」
私が走るよりは俄然、こっちの方が速い。意を決した言葉に、モルフォは待ってましたと言わんばかりに両手を広げ駆け寄ると、脇下にパシュエを抱えた。
こうしてまた彼女のおんぶにだっこに預かることとなったパシュエ。俗に言う俵担ぎ状態でモルフォの腕に収まると、即座にナビゲートを始める。
「ありがとう・・・それで、次は右かな。」
「はい、右ですね。」
「ままま、待って、そっちは左っ!右っていうのはこっち!」
「あっ。そうでしたね。申し訳ございません。」
───ちょっと先行き不安かも。




