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「仕切り直し」





  §




「酷い有様───パシュエ様、いかが取り計らいましょう。」


 モルフォによって閉められた窓は、かたかたと耐久力のなさを訴えている。今にも風圧に潰えそうなガラスを横目に、パシュエは椅子から立ち上がった。


 モルフォの言葉通り、部屋は惨憺たる光景だった。まさに歩くのもままならない。賊に踏み荒らされたと見紛う散乱で、床は微塵の破片に敷き詰められていた。天蓋のベッドのみが体裁を保ち、寝所の体面だけはどうにか繋いでいる。が、他はおおよそ生活圏と呼べない惨状になってしまった。思い出深い品々が揃って瓦解したけれど、しかしパシュエは何の感情も抱かなかった。


 否、ある。僅かな寂寥感は確かに胸に残るが、そんなことよりも、無力感の方がずっと大きかったのだ。

 どうせ今宵のうちに一切合切が壊れる。部屋も家具も。ならばいっそ、派手に汚されてから壊されて終いの方が何かと手早い。

 

 幼い頃から愛用していたカップの破片をそっと指に載せ、パシュエはそう腹を括る。何とか片付けようと四苦八苦するモルフォを掌で制し、部屋の惨状は放置することにした。

 ─── 床上の花瓶は口がお留守で、水気ひとつ残していない。

 

 「いいよモルフォ、放っておいて。このままでいい。」


 「ですが・・・パシュエ様。」


 「いいの。もう。」


 本当はなにもよくない。滅亡の日でなければ泣き伏していたはずだ。モルフォは目を伏せたパシュエに慰撫の詞を探すも叶わず、口を噤む。雨垂れが壁を叩き、沈黙は膠着した。


 ───従者たるもの率先して話題を作り、この流れを断つべきだ。

 最高に気まずいこの空間に異議を唱えたのは、腹案なきまま舵を切ったモルフォだった。とはいえ彼女は話柄を捻り出すことに疎い。常は主のことばを受けて返す役回りだったからだ。


 「パシュエ様。」


 わざとらしい咳払いを数回して、表情以外の全てにぎこちなさを出しながら、モルフォは主人を呼んだ。パシュエは声の方を冷えた目で眼差し、「どうしたの?」と、いつも通りの返答をした。いつも通りとは文面だけ。その声は確かに摩耗していた。パシュエの滅多にない、いや、初めて聞く声に怯んだものの、モルフォは続きを押し出す。


 「花。無事でしたよ。」


 「───花?」


 脈絡の途切れた一語に、パシュエは眉根を寄せる。くしゃっと、警戒した猫ちゃんみたいな彼女の人相に可愛げを感じながら、モルフォは淡々と継いだ。


 「先ほどの続きです。そこに花瓶がありましたね」


 「ん・・・うん。」


 「差してあったスズラン───パシュエ様が“選ばれた”のでしょう。」


 スズラン?

 

 パシュエは弾かれたように立ち上がり小鹿めいた足取りで間合いを詰めると、腕を上げてモルフォの両肩を掴んだ。


 「さっきの話は、花の話?」

 

 クラシカルなエプロンドレスに皺が寄るのも構わず問い質すパシュエ。その頑是無い仕草を窘めながら、モルフォは眉を下げてかぶりを振った。


 「パンケーキをお持ちする途次、貴方の担当している花壇を見ました。スズランだけ姿がなく───ああ、パシュエ様がお持ちになったのだと」


 “選ばれた”をめぐる、たった一語の齟齬。


 ふたりに生じていた温度差も軋みも、蓋を開ければ語義の射程と語の位相の違いに過ぎなかった。

 モルフォの言う選ばれたとは、第三者からパシュエが選ばれたという意味合いではなく、パシュエがスズランを選んだと───


 「紛らわしい・・・」


 「・・・?失礼しました?」


 「ううん、私こそ早とちりしちゃったみたいで。やっぱりイース語って難しいね。」


 自身の扱う言語が如何に複雑かを再認識した上で、モルフォには「ごめんね」と深々頭を下げる。

 ───なんだ。モルフォが言ってたの、“あの事”じゃないんだ。

 パシュエにとっては重大な勘違いだったのだけれど、モルフォにとっては何がなにやらといった会話だっただろう。

 

 主人に頭を下げられ、モルフォは一瞬身を引いて反応に困ったようだった。次に大きく首を横に振ると、


 「気にしないで下さい。こちらこそ語弊があったようで申し訳ございません。」


 「でも───」


 蟠りが溶けたパシュエは、モルフォに無礼を詫びようと更に詰め寄る。が、彼女はそれを躱し、さっさと逃げるように「それより」と語気を強めた。


 「先ほどの雨でお召し物が随分濡れましたね。寒くないですか?」


 「本当だ。ちょっと寒いかも。

 モルフォはもっとずぶ濡れだけど・・平気?」


 「はい。モルフォは寒さなぞに屈しません。」


 すっかり他に気を取られていたが、分厚いドレスを貫通して肌まで水が染みていた。

 自覚すると一気に体が冷えてきた気がして、途端にくしゃみが出る。水分を吸い取って重さを増したドレスの裳裾に、モルフォはそっと手を置いた。


 「お着替えいたしましょう、パシュエ様。」


 ─── かくして二人は、空間を温め直すように、身支度から仕切り直すことになった。




  §




 一方。

 幸か不幸か窓がない為、雨風を十分に防げた部屋───監禁部屋で未だ、縄を解かれないまま放置された女が一人。


 「あのガキッ・・・手加減の意味を履き違えすぎなのよ・・・」


 パニエは一人の部屋で、静かに怒気を吐く。

 憤慨の理由は目覆いのレースの下、整った小鼻から筋になって朱が溢れてくる。ポルカ───パニエ曰くガキ───の打撃をまともに受け止めた彼女の顔は鈍痛に脈打ち、ひしゃげてしまうほどのダメージを負っていた。ポルカが以前発した“今のは手加減した”発言に、今になって腹を立てるパニエ。

 手加減していたら流血沙汰にはならないのよ、普通。

 

 「それに、食事を持ってきておいて縄も解かないなんて・・・何考えてるのかしら。」


足元に無造作に置かれた盆は、どう腕を伸しても指先一寸届かぬ間合い。フォークを取ることすら許されていない。嫌がらせの算段か、ただの浅慮か。ポルカという男のこと、多分後者だろう。


 ともあれ支障ない。


 「はっ、もし次会う時まで生き長らえていたら、手酷く返礼して差し上げるわ。」


 言いざま、白磁の指でぱちんと乾いた音を鳴らす。

 その音に、食の匂いに釣られてちょろついていた鼠が尻尾を巻いて闇へ消えた。床下の小騒擾ひとつでさえ支配下に置く景色に、パニエは薄笑を零す。


 縄はもう切られていた。


 「さて、仕切り直しね。」


 彼女は立ち上がると、そのひと言を置き、鉄扉に手をかける。閂が鳴り、冷たい隙間から湿気を帯びた空気が流れ込んだ。


 彼女がこの部屋へ戻ることは、もう二度とない。




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