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「後悔後先に」



 しっとりとしたバウンドケーキのような空気感。

 乾いていて、水分に手を伸ばしたくなる空気感。

 パシュエはうっすらと、これの既視感を探った。ああ、あれだ。

 

 一番上の姉が不慮の事故で死んだ時の、あの感覚だ。

 一堂に会した者皆が言葉を発することを拒む重たい感覚。彼女は私の目の前で死んで───それであの時、彼女は最期になんて言ったんだっけ。


 「待ちなさい・・・今、なんと?」


 パシュエ同様、過去の発言に問いかける声。

 パニエは今までで一番大きな声で、声帯が爆発してしまうのではと杞憂するくらい急激に一喝していた。

 思わずパシュエの肩が跳ね、隣で動く金髪を見上げる。神託の事実を消化するに至らず止まっていた思惟が動き出し、しかしその歯車すら中途半端に止まり、


「お姉様・・・お姉様?」


 様子のおかしな彼女に目尻を下げたパシュエは、荒立ったパニエの逆鱗に触れないよう留意しながら声をかける。しかし、彼女の耳にはそれも遠く届くことはない。

───こんなに取り乱した姿を見るのは初めてだ。あの時、それこそ一番上の姉が死んだ時だって、お姉様は半狂乱になったりしなかった。ただ彼女の訃報に「そう」と一言、たった一言だけ残していた、そのお姉様が。


 パニエの変化は、パシュエが解明すべき謎、及び処理すべき出来事としての一番手に躍り出た。救世主だ云々を処理するより前に、此方を処理する方が幾分か楽だと、パシュエの脳は判断したらしい。


 兎に角、パニエの変化は劇的だった。

 薄紅色の唇をあんぐりと開けて、普段見せない舌を存分に乾くまで見せ、胸元に手を当て叫ぶ様子は、まるで命乞いでもしているようだった。さして物事に動じない性格の彼女からは考えられない、何ともまあ間の抜けた様相。彼女をそうさせた理由といえば、思い当たるのは


「パシュエが───“救世”?有り得ない、そんな訳ないわ。大方読み間違いってところでしょう。全く父上・・・随分と老いが回ったことね。」


 パニエは深呼吸を都度挟み、声を忍ばせ震わせながら言い切った。未だ受け止められていない事実を“読み間違い”で片付けられ、パシュエは何処か安堵する。

 そっか。そうだ、その線があった。

 間違い!そっか、違いない。私が“そう”なわけないんだ!お姉様はいつも正しい。だからきっと、今回も正しい。私は違うんだ。

 否定されてポジティブな気持ちになったのは、初めてだった。パシュエは希望に満ちた目でパニエを見る。

 ───しかし、そんな一縷の希望が打ち砕かれるのはすぐで。

 

「私が選択を間違える時などあったか?パニエ。生憎まだ盲目になる歳ではないのでね。

 私は生まれてから死ぬまで、正しい選択のみを見続ける。」


「ふ。父上、わたくしに向かって随分と大口叩くようになったものね。その選択を誰がさ()()()()のか、まさか忘れたんじゃあないわよね。」


 ただでさえ地獄の底だった空気感が、パニエの口角とは裏腹に下がっていく。

 それと共に僅かな希望的観測すら真っ向から否定され、パシュエが顔を曇らせた。一触即発なパニエと父にも更に胃を痛くする。


 ───パニエと父は特段険悪というわけでもなかったが、家族間で一番会話が少なかった。

 パニエがパシュエ以外との交流を避けていたのを差し引いても、目線を交わすことすら指折りほどだったように思える。家族間の暗黙の了解として訳には触れていなかったが、彼らの関係性を放置していたツケが今回ってきたらしい。二人の間にあった亀裂が音をたててひび割れていく予感が駆け巡る。

 自身の父に対しても高圧的なパニエは、彼女本来の余裕を取り戻しつつあるともいえる。ただし今に限って挑発は不要なので、喧嘩腰は鞘に納めて欲しいものだ。

 対し父の方は、宥めるよりもパニエに敵対的な感情を抱いているらしい。激しく睨む様は、到底自分の娘に向けるものではない。


 いずれにせよ、渦中の人間が口を出したところで火に油だろと、パシュエは無言を強いられていた。一体何が彼らの間に軋轢を生ませたのか、パシュエや他の家族には見当も付かない。両者ナイフを手にしそうなほど張り詰めていた中、先に口火を切ったのはパニエだった。

 

「いい?神託は正しいことのみ、真実のみを告げる。それはわたくしも同様。わたくしは正しいことのみを言ってきた。わたくしは決して間違えない。それを念頭に置いて、もう一度言ってみなさい。救世主が───」


 「何度も言わせるな。神託は、パシュエ・メドュースこそが救世主だと告げている。」


 「───ああ、そう。」


 断固として姿勢を崩さない父に、パシュエはグッと心臓を押された気持ちだった。

 本当に私が?にわかに信じられない。それはパニエも同感なようで、呆れを含んだ溜め息を溢している。

 

 ───そもそも。先程から、パニエはまるで“神託を読んだことがある“かのような発言を繰り返している。それは、彼女の聡明さが神託と同等で、神託を見ずとも内容が分かったのか。もしくは───本当に読んだことがあるのかも。いやしかし、有り得るのだろうか。あれは古語で書かれていて、いくらお姉様といえ未開拓の言語を解読するなどとても。パニエはそんなパシュエの心中を読み取ったかのように顎に手を当てると


 「あら、でもそれは可笑しいわね。わたくしの記憶では、神託は・・・」


 芝居がかった態度で彼女は小首を傾げ───そして、不意に笑い出した。

 鈴を鳴らす可憐な笑い方ではなく、もっと悪どく。彼女が魔王かと錯覚するほどには腹の底から悪辣に。実の妹のパシュエですら指を震わすほど、深く低く。父は表情を変えず、能面のままそれを聞いていた。


 「うふ、ふふふっ、なんだ・・・そういうこと。」


 一人でに納得したパニエは、不敵に眉を下げたまま微笑んだ。変わらず真意は読めなかったが、父だけは笑みに合点がいく理由を見つけているのか、血管の浮き出た拳を机の上で握っていた。ひとしきり笑い切るのを誰も咎めることができず、数秒に渡り哄笑は続く。誰も邪魔ができなかった。

 その側で固唾を飲む音が彼女の笑いでかき消されたパシュエは、小さくなって脳漿を絞っていた。


 (お姉様、何に()()()るの・・・?)


 「パシュエ。」


 「っは。はい・・・お姉様。」


 心臓が口から飛び出そうなくらいの動悸を覚え、一瞬咽せたのち小さくかぶりを振るパシュエ。

 パニエは色のない表情で彼女の肩に手をかけた。服越しだけれど、その手は異様に冷たい気がした。


 「聞いていた?貴方が救世主だそうよ。」


 ひっ、とパシュエの耳元で調子の狂った息遣いが破裂する。汗の礫が頬に浮き出て、睥睨した声がダイレクトに現実を告げてきた。お姉様は必ず正しいことを言う。必ずだ。だがその彼女に教え込まれても尚、信じられなかった。救世主だと。救世主など。

 天地がひっくり返っても、世界が滅びても、ありえないことだ。無意識下だったが、パシュエはパニエを見上げていた。助けを乞う子犬の目で。ああもう全部否定して欲しかった。彼女の声で。

 

 水膜が張った瞳と愁眉の表情を受け、パニエはふっと安堵の息をつく。何に対する安堵かはわからない。ただ、とても安心したような吐息だった。

 パシュエは正しい彼女に否定を求めていた───救世主じゃないと言って欲しかった。


 しかしパシュエの哀願に対し、彼女は否定も肯定もしなかった。

 代わりに、


 「でも、そんなの許されないの。分かっているでしょう?」


 と底知れない笑みを見せ、パシュエの顔を撫でる。実に腫れ物を扱うかのような手捌きだったが、パシュエはぞわぞわと栗毛立つのを抑えられなかった。

 許されない───私が救世主になるのが、そんなに許し難いことだというなら。いっそ否定してほしい。

 お姉様が、救世主になってくれたら。

 目眩を叩きつけられ、まとまらない思考。パシュエはその中で必死に考えた。どう答えれば正解なのだろうか。どう答えるのが正しい?

 誰か代わりに答えて欲しいとすら願った。しかし、誰も口を挟もうとはしない。依然として床に付かず浮いていた足が顫動し、発音すらままならない。


 なんと答えればいい。いや、お姉様が言うことは正しいから。きっと、絶対に許されないんだ。

 何を“許す“のか“許されない“のかも曖昧だけれど、パシュエは頷く。そこに自身の意志は皆無だった。

 救世主など烏滸がましいほど流されるままだったけれど、惨めだったけれど、とにかく頷いた。


 それを見て、自ら問いかけたくせにパシュエの答えを要さなかったように、自己中心的に続けるパニエ。


 「だったら・・・そうね、死ぬといいわ。ここで。」


 彼女は、そう言った。


 「───ぇ?」


 ただそう言って、パシュエの理解が及ばないうちに、白い布地のドレスから懐に忍ばせていたナイフを取り出し、振りかぶった。

 華奢で色白な手に銀を握って、躊躇をかなぐり捨て。パシュエの肩に置いていた手に体重をかけグッと迫ると、後からナイフも追ってくる。


 え、私、死ぬ?


 ポケ。とアホみたいに空いた口のまま、パシュエはなんとなく思った。

 しぬ?いや、人ってナイフで刺されたら死ぬ気がする。気というか、死ぬ。

 なんでお姉様が私に刃を向けてるんだろう。私、何かしたっけ。えっ、なんで急に?私が死んだら救世はどうなるの?魔王が復活するのに内輪で殺し合っている暇なんてあったかな。あ、でも死んだら救世主にならなくてもいいかも。責務から逃げるのはこんなに簡単なんだ。ならいいか───いい、いいの?ほんとに?


 刹那的な思考どれもが回避を選択肢に入れれずにいたのは、パシュエの身体能力で回避ができる距離感ではなかったからだ。唐突な銀は姿を見せて数秒と立たずパシュエの目前に迫り、確実に命を奪おうとしていた。身体能力がそう高くないパニエでも、至近距離から刃物で貫くことくらい難しくない。まして鈍臭いかつ無抵抗なパシュエ相手、赤子の手をひねるより簡単に殺せる。


 パシュエは、救世より早く死ぬこととなった。


 「───ぐっ」


 と締め括られる直前のことだった。目を瞑る暇もなく開いていた眼がようやく瞬きをした一瞬、カンと小気味いい音と共に呻き声が上がる。

 体を縛り付けていた重さが途端に消え、自由を得た顔をバッと動かすパシュエ。呻き声は彼女ではなく、姉の、パニエのものだった。

 見れば、パニエはどこにもいなかった。こちら側の椅子にもたれかかっていたはずが、真正面のどこにも姿が見当たらない。


 しかし首を下へ傾けると、ようやく彼女は姿を見せた。カーペットに倒れ込み、右手が床に釘付けになっている。雑ぱくに投げ出されたナイフは手の届かないほど遠くに追いやられ、かろうじて右手首に刺さらない位置には、剣が深々と突き刺さっていた。


 命の恩人が一体誰なのかは、その剣にあしらわれた意匠が明白に示していた。


 「黙って見ていれば巫山戯るな!パニエお前、俺の妹に刃を向けたな───ッ!」

 

 投擲の姿勢を保ったポルカは、パニエに向かい窓ガラスが割れる勢いで吠えつけた。びりびりと気迫が浸透する様は、流石にパニエの大声と比較にならない熱量だ。


 ───ナイフを取り出したパニエを見て、反射的に抜剣。右手のナイフに的確に狙いを定め、机の上座側から下座側までおおよそ数メートルの距離をものともせず剣を投擲。狙い通りにナイフを弾き、反動で椅子から転げ落ちるパニエ。投擲の姿勢でおおよその動きは予想できても、人智を超えた技量に敬服するばかりである。


 彼に救われたパシュエは、愕然と彼の剣の軌道をなぞり、順繰りに出来事を整理する。が、姉に命を狙われた事実のみが浮き彫りになり、大急ぎで蓋を閉じた。


 お姉様が、私を殺そうとした───?

 

 「俺の妹、ね。パシュエはわたくしの妹でもあるのよ、ポルカ。剣技しか脳のない筋肉達磨くせに───・・・いい子だから、邪魔しないで頂戴。」


 あっけらかんと悪気なく言い放ったパニエは、横転した身体を腕で支え立ち上がろうと試みる。しかし体軸はおぼつかず、彼女は再び床に伏すこととなった。

 ドレスの裾が汚れちゃう、とパシュエは咄嗟に手を貸しそうになったが、先の出来事を思い出し手を引っこめる。


 あれほど救世主に相応しいと讃えていたポルカに牙を剥いたパニエ。誰これ構わず楯突く人じゃなかったのに───何より家族に悪意を向ける人でもなかった。


 彼女の変化に度し難い感情を抱いたのはパシュエのみではない。


 「何だと・・・?パニエ、お前どうしたんだ?」


 彼女の態度を訝しむあまり、ポルカはかつてない位に憤っていた。握り拳が今にも前に出そうだった。


 ポルカは家族誰とでも分け隔てなく仲が良かったし、面倒見もよくパシュエはよく懐いていた。こうして彼女に危機が訪れる度に手を貸してきたものだが、よもや驚異となるのが身内とは、それこそ夢にも思わなかった。

 夢で予知できるのは、“その日最も重大な危険”のみ。彼はいまそれをよく実感している。


 「───煩い。」


 返ってきたのは、一蹴の言葉だった。

 和睦の意思を持たないと言外に示しながら、言葉の節々に棘を張ったパニエ。がりっとカーペットで爪をとぎストレスを顕にする姿は、彼女本来の理性と獣が拮抗している様だった。その爪で喉元を切り裂かれてしまうのではとパシュエは錯覚し、怯みながら目を逸らす。


 「皆、深層では同じ思いの癖に・・・狡いわ。

 パシュエなんかが救世主になれるなんて信じていないくせに、狡い。」


 恨み節は心底軽蔑したような、それでいて共感を求める悲哀を含んで放たれた。パシュエは相応しくない。救世主にも、何もかもにも。分かっていたのに、最愛の姉から告げられ、正しいと判を押されてしまった事実は、なんだか恐ろしいよりも先に、腹に落ちた。


 「そんなことは───っ」


 ああ、“ない”とは言い切ってくれないんだ、兄上。

 

 パシュエは顔を上げ、もう一度皆の顔を見た。

 決して本意ではないのだろうけれど、彼らのパシュエを見る瞳には、希望らしき色よく前向きなものはなかった。皆とよく過ごして、目を見て話してきたからわかる。痛いほど、分かってしまう。


 落胆失意不安焦燥同情哀憐諦念。

 あるいは、パシュエが極限の緊張状態にあったから、そう見えていただけかもしれない。しかし真偽に関わらず、彼らがパシュエを見つめていたことだけは確かで。


 「ふふ、否定したくばすればいいのよ。わたくしが───」「もういいだろう。ポルカ、パニエを監禁部屋へ連れていけ。」


 嘲笑するパニエを遮り、父はポルカに命を下した。

 不都合を覆い隠すような真似を父がするとは思えなかったが、その行動は“そう”としか思えなかった。


 ポルカは頷くと、しゃがんでパニエの腕を引き上げた。パニエは抵抗はせず、力差の前に何をしても無駄だと弛緩しされるがままだ。


引き摺られて扉まで連行された彼女は最後に顔だけでかくんと振り返り、こう述べた。


 「───お前、必ず後悔するわよ。」


 視線の先は分からなかったから、誰に告げた言葉かは不明だった。父が噛み締めるように苦渋の表情をしたので、恐らく彼に向けられているのだろうが───


 (後悔。そっか、私は後悔してるのか。)


 家族からの視線で、パシュエは思った。

 ずっと現実味を帯びなかった。私が救世主など。でも、今ようやく実感した。私は救世主になったんだ。


 ───だって、皆が私に失望の目を向けているから。

 救世という大義を成そうとしなければ、選ばれなければ、失望の目を向けられることなんてなかったのに。あーあ。


 「早く、後悔させてほしい・・・」

 

 こうして、パシュエ・メドュースは、私は、本当に救世主になった。


 


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