第8話 幽閉十九日目、そして
幽閉されてから19日目。10日目から心界に入るようになったので、瞑想修行で体感した日数はもっともっと長い。
「これで207日。ほとんど現世で過ごす時間がなかったからこそ、日数を重ねることができた」
「そんなに経ってたんですね……まだ、ここに来たのが一昨日くらいのように感じます」
先生は心と身が同調すると言っていたけど、私の髪はかなり伸びていた。後ろで結んでも尻尾のように振り回してしまう状態なので、王宮にいたころの見様見真似でまとめている。
「ここに来た頃と比べれば、顔つきから変わっている」
「剣士の顔になってきたっていうことですか? それは嬉しいです」
「お主は『白耀の王女』と呼ばれて、将来を嘱望されていたのだったな。儂ではなく、聖剣の類を召喚できていたなら……」
(将来を嘱望……というか、何か期待はされてたな、って言っただけだったような)
王女だった頃のことを先生には少しだけ話していたが、二つ名みたいな名前については冗談めかせて言っていた。それなので、改めて言われると照れがある。
「先生らしくないですよ。価値がわからない人たちを見返したいって言っていたじゃないですか」
「……ふむ。よく覚えているものだ、儂にとっても『昔のこと』という感覚があるというのに」
「数百年生きている先生も、体感で200日はそれくらいに感じるんですね」
こうやって改めて話をする時間は今まで数えるくらいしかなかったので、時間がゆっくり流れているように感じる――だが。
先生の様子を見ていれば、昨日までとは何かが違うと分かる。
「……お主が儂を使うための熟練度が次の段階に進むには、何かが足りていない。心界ではなく、外で経験を積まねばならんということだ」
「そう……なんでしょうか。ゲームのときも、実を言うとずっと使っているだけでは駄目で、覚醒のための条件があったんですが」
熟練度を上げるために必要になるのは、装備して経験値を得ることと、『覚醒条件』を満たすことだ。
経験値はきっと十分だと思う。足りていないのは『修練の木刀』の覚醒条件である、『木刀だけを使って規定数勝利すること』。
「実戦で、勝たないといけない……っていうことですね。きっとですけど」
「現世に戻れば、儂は心界のように自由には動けない。お主がひとりでやらねばならん」
先生の顔に無念が滲む。そんな顔をするところを今まで一度も見たことがなかったので、すぐに言葉が出てこない。
「……先生は、外で何が起きようとしているか分かるんですね」
「先に起こることを肌で感じる……虫の知らせというのか。儂は人間であった頃、そういった感覚も味方して生き残ってきた」
「今まで教えてもらったことを活かして、なんとかやってみます。それで……」
「……どうした?」
呆れられはしないかと言い淀むが、先生にはちゃんと言っておきたかった。
「またここに来てもいいですか? 教わりたいことが、まだ沢山あるので」
先生は何も言わない。やっぱり、こんなふうに心界を出ていくときは、修行も一段落なのだということだろうか。
「……お主が飽くことがないならば、いつでも。生きてみせろ、アシュリナ」
「はい。行ってきます」
「チュー」
返事をして行こうとしたところで、私の肩にネズミ――先生が理空と名付けた――が乗ってきた。
「この子もずいぶんその……変わりましたよね。こっちの世界の動物って、強くなると姿が変わる場合があるんですけど」
「ネズミというよりはリスの一種だったということか。共に修行したわけなのでな、何かの役に立つかもしれんが……」
先生が指を出すと、リクは小さな手で掴んでいた。本当に賢く、みだりに何かを齧ったりもしないし、私の言うことをしっかり聞いてくれる――現世においても。
「では、今度こそ行ってくるがいい。儂も現世で武器として使われるのは久しぶりなのでな……正直を言うと、心が躍る」
「あはは……先生に叱られないよう、しっかり遣わせていただきます」
そして私は瞑想を解く。時刻は昼下がり――いつも扉の窓から差し入れられるはずの食事が、今日は出されていない。
けれど、トレイだけが差し入れてある。その上に乗せられていたものを、私は思ったよりも落ち着いて受け止めた。
(手紙……それと、鍵)
鍵は、足枷を外すためのもの。そして手紙は――。
『王女殿下にお伝えします』
それはおそらく、レイスさんの書いたものだった。羊皮紙に羽根ペンで、整った文字が記されている。
『先日、この城の兵たちが貴族の命で動いているとお伝えしたことを覚えていらっしゃいますでしょうか』
『その貴族とは、この辺り一帯の領主。ヴァンデル伯という人物です』
『他の兵たちと私は仕える主が違うため、彼らが何をしているかを知るまでに時間がかかってしまいました』
そのあとに続く文章を、レイスさんはどんな気持ちで書いたのか――それを思わずにはいられなかった。
『ヴァンデル伯は、あなたの身柄を手に入れようとしています』
『王族の方々が持つ天召力は、恐れながら、その血に多く宿っている。血から作り出した晶石は赤の天召石となり、召喚の代償として使うことができるのです』
『そして彼らは王女殿下を連れ去る罪を、別の者に着せようとしています』
私にその事実を伝えて、それだけならばいい。けれどレイスさんは、ずっと前から警告しようとしてくれていた。
――アシュリナ殿下。貴女は、このままここに居れば……。
レイスさんはずっと、私の味方であろうとしてくれた。けれど、それは私のために危険を冒すということにはならないと思っていた。
(……どうして、そこまで)
牢には外から鍵がかけられているはず――それなのに、錠が外れていた。鉄扉に手をかけて力を入れると、ゆっくりと開いていく。
この古城に来てから、やむを得ない理由で外に出ることはあっても、足枷があるために逃げ出せなかった。
待ち望んでいたはずの自由だった。それなのに、心は晴れたりしない。
『私はゼフェンを止めなければならない。彼の手に王女殿下を渡すことはしません』
『足枷を解き、この手紙を読んだら、扉を開けてお逃げください。貴女を匿ってくれるよう、ある人物に頼んであります。その場所の地図を書き記します』
『どうかご無事で。これまでの非礼を、貴女を安全な場所にお連れすることができないことをお許しください』
レイスさんが何を思ってここにいたのか。私が修練に意識を向けている間も、彼がいなかったらどうなっていたかわからない。
――レイスさんは恩人だ。その人を見捨てて逃げて、それで自由になれたとしたって意味がない。
「リク、これからちょっと荒っぽいことをするけど、大丈夫?」
私の肩に乗ったリクは、つぶらな瞳でこっちを見つめてくる――そして、頷くような動きをしてみせる。
「ありがとう。レイスさんを探さないと……あっ……」
リクが肩から降りてすごい速さで走り出す――まるで、レイスさんのいる場所を知っているかのように。
私はリクの後を追って走り始める。迷宮みたいな廊下を抜け、古城の外に出る――眩しい光に感動している時間はない。
(何か燃えてる……あれは、近くの村……!)
空に立ち昇る灰色の煙。間に合ってくれるようにと祈りながら、私は一心に走り続けた。