第7話 流水の行
幽閉されてから十五日目。素振り、立ち回りの他に、私の修行に新たなものが加わって――それに慣れるまで十日かかった。
「ああ~……」
「気の抜けた声を出すな……最初は立っているだけでやっとだっただろうに」
滝壺の中に足場があって、私はそこに立ち、落ちてくる滝を浴びていた。
最初はちょっとでも気を抜くと、水の中に落ちてしまった。足場の周りは深くなっているので上手く這い上がれず、先生に助けてもらった――それでも瞑想は途切れることはなかった。
「現世では水浴びはできないですから、慣れると気持ちいいですよ」
「沐浴しかできぬというのは、お主のような貴人には厳しいだろうな……儂はこの世界の風習を知らぬからなんとも言えないが」
「王宮ではお風呂に入っていました。大理石の広い浴場で、たくさんの侍女の人達と一緒に入るんですよ」
「それは……お主は元は男なのだろう? それに気づいたのは儂を召喚した時なのだったか」
「あはは……生まれた時から記憶があったら大変だったと思います。だから、思い出すのが遅くて良かったのかもしれないです」
先生がそろそろ時間という合図をしたので、滝の下から出てすいすいと泳ぎ、岸に着く。
心界といえど服は濡れるけれど、先生が私を指差すだけで乾いてしまう――髪を乾かすために先生が指を振ると、風が吹いてすぐにサラサラになる。
「儂が使える魔法は五属性……やろうと思えばもっと増やせるのだろうが、五つあれば組み合わせで大抵の用は足りると思っている」
先生は水の魔法だけでなく、他に四属性の魔法を使うことができるということだった。一つ習得するためにも日数がかかるので、私はまず水魔法が習得できるように鍛錬していた。
「不思議なんですけど、心界でさっぱりすると、外でもそんなに不快感がないんです」
「心と身は同調しているからな。ここでの修行はお主の身体を少しずつだが変化させている。もちろん実際に動かした方が成長は早いがな」
「そうですよね。現世で先生を持っても重さを感じなくなりました」
「大の大人でも、その境地に至るまでには時間がかかる。まあ、儂が神器であり、お主が振るほどに『馴染む』というのが理由だがな」
「その『馴染む』感じが、熟練度が上がるってことなんだと思います」
「ほう?」
ゲームにおける熟練度について先生に説明する。先生はそういう話も嫌いではないようで、あごに手を当てて興味深そうに聞いてくれていた。
「ふむ……熟練度か。儂から言うと、あと一段階熟練度を上げるにはもう少しのところまで来ている。だが、普通ならば実戦を重ねて熟練するものなので、遅々とした歩みというわけだ」
「先生が立ち会いをしてくれるので、それが実戦経験にはなりませんか?」
「儂がお主に打ち返すのならば、それはまた違う稽古になる。そしてできるならば、立ち会いの相手は徐々に強くなっていくのが理想だ……ん?」
先生が足元を見ると、ネズミがじゃれついている。少し目を見開きつつも、先生は何か思いついたというように、その場で手を組み合わせて何かの形を作り始めた。
「先生、それは……」
「印を結んでいる。儂が今まで戦ってきた相手の中で、お主でも立ち会えそうな者は……この者か」
「っ……!」
先生の足元にいたネズミが、光に包まれる――そしてみるみるうちに大きくなって、刀を持った大人の男性のような姿になった。
「儂の魔力で、ネズミに人の姿を与えた。儂が戦った兵法者の中でこの者はそれほど強くはないが、れっきとした剣士だ」
「訓練用の木人的な感じでしょうか?」
「まあそのようなものだが、しっかりと活きた太刀で打ってくるぞ。まずは思ったように戦ってみるがいい」
こんなふうに実戦の訓練が始まるとは思っていなかった――ネズミも何が起きているのかよく分かっていないと思うが、刀を握って中段に構えている。
私も木刀を構えて立つ――その瞬間、目の前の剣士が動いた。
「っ……たぁぁっ!」
相手が選んだのは突き。容赦なく目を狙ってくるそれを私は剣先で弾いて、そのまま駆け抜けて一撃を返した。
「見事。これまでやってきたことが実戦に繋がっているからこそ、お主は突きを見切ることができたのだ」
「急所を狙われてると分かって、咄嗟に身体が動きました」
「この相手から一太刀も受けずに何本取れるか。試してみるか」
一太刀も受けない――そう、牢を出るときに傷を負い、手当てができなければそれで終わりだ。
「魔力のある世界では、癒やしの魔法も存在はするだろうが、儂にはそれがどれだけの傷を癒せるのかが分からない。そして、傷を負ったとき都合よく癒せる相手が近くにいるかも分からん」
「だから、原則無傷っていうことですね」
もう一度剣士と向き合う。次はなかなか打ってこないで、剣先をゆっくりと動かしている――だが。
(く……っ!)
打ってくるのではなく、私の木刀を『張って』くる。ゲームでいうと『パリィ』のような技を使って、私の体勢を崩してくる――だが。
「――ふっ!」
突っ込んできた敵の太刀に向き合い、一瞬だけ押し合ってから受け流す。相手がつんのめったところに、片手に持ち替えた太刀を振り抜いた。
「アシュリナ、斬るつもりで打て!」
木刀では斬れない――そんな理屈を捨て、私は先生の言う通りに斬ることだけを考える。
「はぁっ!」
振り向きざまに繰り出した横薙ぎ。私が繰り出した木刀は――剣士の二の腕に、斬撃の痕を残した。
「……木刀に、水が……!」
「やはり……滝行を続けて、流水の意を得ていたか」
魔力で剣を覆うのと感覚は同じで、木刀を薄く水が覆っている。この状態で繰り出した一撃は、刃を持つ刀のように鋭くなっていた。
「剣を払われたときは危なかったですけど、ちゃんと返せました……先生?」
「……いや、本気で感心している。なにしろ、儂が人に魔法を教えたのはこれが初めてだからな」
先生が嬉しそうなので、こちらも照れるものがある――しかし。
「ひゃっ……!」
そんな私に向かって、剣士が容赦なく太刀を繰り出してくる。かろうじて避けたが、髪が少し切れてしまった。
「む……そうか、髪か」
「心界の外に出れば元通りになると思いますし、切ってしまっても大丈夫ですよ」
「いや。お主のその髪色は、見ればすぐ王族と分かるだろう」
「牢から出られたとき、正体を明かして行動できるかはわからない……ってことですね」
「そうなる。心界では儂もさまざまな魔法を使えるが、現世においてはそれができない。今の段階ではな」
「チュー」
私たちが何を話しているのかはわからないようだが、剣士がまた立ち会いをしたそうにしている――好戦的なのだろうか。
「このネズミも修練を積むことになるが、さすがに人間ほど強くはならぬか」
「わからないですけど、そうなったらすごいですよね……っ!」
それからは立ち会いをして、休憩をして、また立ち会って――素振りをして、先生を追いかけて、滝行をして。それを繰り返しているうちに、心界での時間が過ぎていく。
残された猶予はどれくらいなのか。急に状況が変わっても後悔しないように、ひたすらに備える――そして絶対、自由になってみせる。