第4話 心界
「えっ……な、なんで? これって瞬間移動? 転移の魔法……?」
「そうではない」
声が聞こえて振り返ると、木の陰から誰かが出てくる。
兄上たちとはまた違う、浮世離れした綺麗な人――男性か女性かこうして見ただけでは分からない。私たちの装いとは異なって、簡素な着物みたいな服を着ている。
(こんな和風の装いが、こっちの世界にもあるのか……って、それを気にしてる場合でもなくて)
「あなたは……」
「言うなれば世捨て人か。それも違うな、儂はもはや人ではないのだろうし」
あごに手を当ててしばらく考えたあと、彼(?)は私が持っている木刀を指し示して言った。
「お主が現世で握っておるそれを、生前に使っていたのが儂だ。紆余曲折あって、今の儂は木刀の化身となっている」
――雷に打たれたような感覚。まさに今、いろいろなことの辻褄が合ったと感じた。
ゲームにおいて『赤樫の木刀』を好んで武器として使う人はいなかったし、素振りで熟練度を上げられるとはいえ1上げるにも時間がかかるので、秘めた性能が広まった後でも手に取る人はいなかった。
赤樫の木刀の熟練度を一定まで上げるとレア度が上がり、星2の武器『修練の木刀』になる。
その効果説明は、『木刀の持ち主であった剣士の力によって、瞑想修行が可能になる』というものだった。これまでは素振りで得られる経験値は木刀の熟練度、そして少し腕力が増えるくらいだったが、瞑想修行では実戦でしか得られない経験値が獲得できる――それは微々たるもので、魔物を倒したり依頼をこなして得られるものよりもひどく効率が悪いのだが。
(閉じ込められていても強くなれる可能性が、ゼロじゃなくなったってことだ)
そしてその鍵はおそらく、目の前にいる浮世離れした人物が握っている。
「ただ何も考えず素振りをするだけでは『儂の場所』には来られない。なぜ、あのような振り方ができた?」
「……振り方、ですか?」
「お主は木刀を振る時、手応えを確認していた。正しい振り方が偶然できたとき、それを繰り返すように努めていたな。剣術のいろはも知らず、なぜそれができた?」
自分が転生者であると明かすべきか――心まで見透かされていそうなので、ここは隠さない方が良いと判断した。
「ええと、かくかくしかじかで……」
「なに、元は男で、ゲーマー……? なんとも面妖な話だが、儂も人のことは言えないか。儂も木刀の化身となるまでは、ただの人間だったはずなのでな」
「私もその……普通の人で、変わった人生ではなかったと思います。ただ、私が転生したらしいこの世界は、私がやってたゲームというものと似てるんです」
「分からないことだらけだが、それを解き明かすというのも一興だな。儂もすぐに捨てられなかったことで、お主には感謝している」
そこまで言うということは、これまでどんな目に遭ってきたのか――もしかしなくても、私より酷い境遇かもしれない。
「これまで何度物の価値がわからぬ連中に召喚されて、捨てられ、燃やされ、別の用途に使われたことか……」
「私にとっては紛れもなく木刀……武器としても使えますけど、訓練に使うほうが向いているものですよね」
その答えを聞いて、彼は何も言わず、ただ目を瞠っていた。
「ゲームだと、この木刀の力で瞑想修行ができたんですが。つまりそれは、こういうことだったのかな……と思ったりしてます」
「神器には心が宿り、その内側には心界がある。儂の心界に立ち入れたのはお主が初めてだ」
「心界……今まであなたは何度も召喚されたのに、誰もここに来られてないんですか?」
「そうだ。粗末に扱われて壊されても、その世界での儂が消えるだけで、別の世界に召喚されれば元通りだがな。それを繰り返すだけの時間を何百年も過ごす羽目になった」
だからこそ、今は少し嬉しそうなのか――と考えて、心界は彼の心の内ということだから、思考がそのまま伝わってしまうのではと心配になる。
「今は筒抜けだが、儂のもとで鍛錬すれば心にも壁を張ることができる。もちろんそれだけではこの先生き残れんだろうから、剣の手ほどきもしてやろう」
「っ……あ、ありがとうございます、先生!」
「うむ……お主の言う先生とは師匠のようなものか。そうだな、儂がお主の先生となってやる」
ついテンションが上がって先走ってしまったが、彼――先生は気を悪くした様子はなかった。
「お主が置かれた状況をずっと見ていたが、一刻を争うと思うぞ。城の番をしている人間も、王女……お主を殺せと命令が下ればそれに従うだろう。それが数日先か、百日先か、数年先になるかは分からんが。牢を自力で出るか、外で騒ぎが起きたときに乗じるか。あの仮面の者は手練れだろうから、彼奴に倒されない程度の腕は必要になる」
仮面の者――レイスさんと戦うことはあまり考えたくない。戦わずに外に出られればいいのだが。
「儂が召喚されたことが全ての元凶といえばそうだが、できるならばお主とともに、無価値とみなした者どもを見返してやりたいものだ。こう見えてもかつては剣の道を究めようとした身なのでな、弱く見られるのは心外だ」
「私も可能な限り強くなりたいです。どんな訓練でも音を上げたりしません」
「では、これを振ってみろ」
渡されたのは木刀――『心界』の中でも木刀の重さは変わらない。けれど素振りをしたおかげで手に馴染んでいる。
「心界の外……現実で素振りを続けていけば手の皮が固くなるだろうが、今の世界のように魔力がある場合は、魔力で手を保護すれば良い」
「魔力の使い方も教えてもらえるんですか?」
「儂が生まれた世界には魔力は存在しなかった。それは存在しないものを使えなかっただけで、儂は人間であった頃から魔法の極意に触れていたのだ。木刀の化身となり、様々な世界に召喚されるようになってからそれに気づいた」
「私のいた世界にも、魔力はありませんでした。たぶん生きていた時代が違うだけで、きっとあなたとは同郷なんじゃないかと……」
「……それはそうかもしれんな。儂が生きていた時代は刀に生きる者がいたが、お主の生きた時代はそうではなかったのか。鉄の塊が天地を走るとは……まったく、面妖の限りだな」
先生はそう言いつつも楽しそうだった――そして、自分もまた何処からか木刀を取り出してみせる。
「木刀を握る手に魔力を集めてみるがいい」
「魔力を集める……こ、こう……?」
「魔力はお主の内側で生まれ、血と同じように巡っている。その流れを意識し、思う場所に持っていくのだ」
先生の言う通りにしてみても、魔力の流れなんて掴めない――と思いきや。
「あっ……で、できた……!」
私の手のひらが淡く輝いて、木刀にその光が伝わっていく。
「無心で素振りをする中で、周囲の音が聞こえなくなるほど集中する。木刀と自分のみを意識したとき、お主は無意識にそれをやっていたのだ」
「すごい……これが私の魔力なんですね」
「心界であっても、こういった修行では魔力を消耗する。お主には、今からどういった方針で修行をするかを選ばせてやろう」
方針なんて、私の中では考えるまでもなく決まっている。
「一番きつくて大変なやつでお願いします」
「では……『心界』の中でお主が体感する時間を、現世の十分の一まで遅くする。肉体の鍛錬については心界では効果が薄いが、技を磨くことはできる。『瞑想修行』と言っていたが、外からはお主がただ瞑想しているように見えるだろう」
「あはは……寝ちゃってるって思われるかもですね」
「お主がもし修行をやめたいと思ったり、集中を解くようなことをすれば、瞑想の効果はそこで切れる。一日を十日分にできるか、それともろくに修練を積めずに終わるか。すべてお主の心次第だ」
「分かりました、一瞬も気を抜かずにやります。よろしくお願いします、先生」
深く頭を下げる――そして顔を上げると、先生は何かを言いかけて、少し迷ったようだった。
「儂は……無楽という。お主は『阿修羅』だとか呼ばれていたな」
「それもかっこいいですけど、正確に言うとアシュリナです」
「アシュリナか。ははは、儂が直々に剣士を育てるのならば、阿修羅の如き強さにしてやろうと思ったのだがな」
無楽先生は笑っているけど、本当にそれくらいに強くなれたら、この境遇からも這い上がれるだろうか。
現状では夢のような話。それが夢にならないように、ひたすら強くなることだけを考える。
「では……まずは素振り百回、魔力を込めた状態を維持してみるがいい」
「は、はいっ……!」
「声が震えておるぞ。なに、心界で魔力切れを起こしても瞑想が解けるのみ。そうならぬには、無駄に魔力を垂れ流さぬことだ」
いきなりのスパルタ――だが音を上げるなんてことは絶対しない。
木刀に魔力を込めて、振る。初めの十回でそれがどれほど消耗するのかを実感し、少しでも魔力のロスを減らすことに集中する――そんな私を、先生は岩の上に座って楽しそうに眺めていた。