第3話 一方その頃/幽閉十日目
アシュリナが幽閉されてから一週間後。アシュリナに仕えていた侍女のレイミアは、第四王子ロディマスの屋敷にいた。
子爵家の令嬢であるレイミアは下働きから始めるのではなく、侍従長の補佐をする立場に置かれた。ロディマス王子は自分の身辺の世話をさせるメイドは見目麗しい人材を揃えており、レイミアもそのうちの一人に数えられたと言えた――だが、当のレイミアはそれどころではなかった。
(あんな過酷な仕打ちを受けて、それでも笑っていたアシュリナ様……あの儚げな笑顔が忘れられない)
アシュリナはレイミアに忘れられた方が良いと思っていたし、それでも恨むつもりはなかったのだが、レイミアはアシュリナが思うよりも慈愛の人だった。
(アシュリナ様は辺境のお城に送られてしまった……でも、それで終わりなの?)
もちろん、王族が幽閉されるというのはそれだけで重い刑であり、苦痛も想像するに余りある。しかし、直接的に命を取られるということではない。
レイミアはアシュリナが幽閉されるだけでは終わらないのではないかと考え、その想像に身を震わせつつも、ロディマスの屋敷で情報を集めようとしていた――そして、その機会は訪れた。
ロディマスが第一王子セリアスのもとを訪問することになり、レイミアも同行することになったのである。
セリアスの屋敷の会談室で、七つ歳の離れた兄弟が対面に座して話し始めた。
「兄上、わざわざあれの儀式を見に行って、さぞ不快な思いをされたでしょうね。心中お察しします」
レイミアは向かい合う二人のオーラに気圧されていた。上司であるメイド長も緊張を隠せないが、彼女はセリアスの容姿に目を奪われているのが分かった。
「何をしに来た? 学院の授業を休んで俺の機嫌をうかがいに来たのか」
「それなんですけどね、どうも僕のことを貴族の連中が面白く思ってないようで。居心地が悪いので、そろそろ学院に顔を出すのもやめようかと」
「またどこかの令嬢にでも手を出したのか?」
「いやあ、兄上に少しでも似ていることで僕は得をしていますよ。こうして向き合えば違いは歴然と言ったところですが」
ロディマスの柳に風といったような態度に、セリアスは肘掛けを使って頬杖を突き、不肖の弟に目を向ける。
「お前のことだ、神器召喚が失敗した件を何かに利用できると見て来たんだろう」
「さすがです兄上。いや、失敗したこと自体は仕方がないことですが。ヴァンデル伯はどうも、『あれ』を生かしていること自体が罪だと思っているようでして」
「……ならばどうする? 何もしていない、ただ無力なだけの娘を殺すのか」
セリアスの問いにロディマスは答えない――レイミアは意識が遠くなるように感じながらも、使命感のみで顔に出さず、感情を抑え続けていた。
「神器は我が国の武威を示すものです。その力が弱まっていると思われれば、隣国との関係に関わってくる」
「あれはもう表に出ることはない。それで終わる話だ」
「では、ヴァンデル伯の動きを止める理由もないと。そういうことでいいんですか?」
ロディマスは常に笑顔を浮かべているが、レイミアは彼のことが同じ人間とは思えなくなっていた。この王子は笑いながら、妹を見殺しにしようとしているのだ。
「辺境を治める貴族が何をしようが、王家に取り入る理由にはならない。だが、ヴァンデルの動向は調べさせる」
「彼女をあらぬ形で利用されては困りますからね」
「……お前も王都からは離した方が良いか? 謀略めいた遊びに首を突っ込むようではそうせざるを得ないが」
「っ……い、いや、やだなあ兄上。僕は国家の威信に、万一にも傷がつくことのないよう心配しているだけですよ。兄上が一言言ってくれれば、アシュリナを手元で保護しようかと思っていたくらいで」
レイミアは目を瞬かせる――さっきまでロディマスは無情に妹を見捨てるようなことを言っていたのに、今は正反対のことを言っていた。
だが、それには含みがある。ロディマスが無償で妹を保護するような人物でないことは、短い間でも接すれば分かることだった。
「召喚が失敗だったからこそ、逆に利用価値があるかもしれないというわけか。だがそうでなかった場合は?」
「彼女が今も健在なのかはわかりませんし、可能性として考えただけですよ。兄上はどう思われます?」
辺境の古城での一日一日が、十歳の少女にとってどれほど酷な環境であるのか。レイミアは想像することしかできず、無事を祈るだけの自分に無力を覚える。
「あれがヴァンデルの手を逃れられるとは思えん。もしそうなったとしたら、それはその時に考えることだ」
「兄上の想像を超えていると……おっと、これ以上は藪蛇になりそうですから、僕は退場させていただきます」
ロディマスは席を立ち、メイドたちに外套を掛けさせて退出していく。
「兄上が切り捨てるならば、まあ仕方ないか。少し遊べるかと思ったが」
部屋の外に出たあと、廊下を歩きながらロディマスがそう口にしたとき、その横顔からは笑みが消えていた。
◆◇◆
幽閉されてから十日目。一度無理をしてほぼ一日動けない日があったが、それ以外は集中して素振りを続けていた。
今日も振っているうちに周りの音が聞こえなくなり、外から呼ばれていることに後から気づく――なんとか間に合った。
「……王女殿下、何かあったのですか? それとも眠っていらっしゃいましたか」
「いえ、元気です。少しぼーっとしていて……」
「少々お待ち下さい、お薬を出しておきます。村の診療所にお連れするのは難しい状況ですので」
心配してもらえるのはありがたいが、素振りに集中しすぎて聞こえなかっただけとは言えない。
なるべく音がしないように心がけて振っているが、それもうまく行っているようだ。最初のうちはレイスさんに何をしているかと聞かれて何でもないと誤魔化していたが、今はずっと素振りをしていても何も聞かれない――見逃してもらっている可能性もあるのでなんとも言えないが。
「解熱剤になります。苦いと思いますので、口に入れたらすぐ飲み込んでください」
「ありがとうございます」
薬草をすり潰し、丸薬状に整形した薬――前世でも似たような薬を見たことがあるが、今すぐには飲まなくても大丈夫だろう。
(……ん?)
ちょっと前から、小動物の鳴き声のようなものが聞こえていたが――いつの間にか小さなねずみが入ってきている。
何をするかと思うと、私の足にかじりつこうとしてきた。もしかしなくても、こんな小さな動物にすら、私は餌に見えているらしい。
(ははは、こやつめ)
簡単にかじられるということもなく、飛びかかってくるねずみを避けて、木刀の先ですくい上げる。素振りをしているうちに、それくらいの扱いはできるようになっていた。
ねずみを倒して経験値が入るか試してみる――なんて考えも別になく、ちょっと可哀想になったので、残っていたパンをちぎって与えてみる。硬いチーズも添えてやると、カリカリと夢中になってかじり始めた。
「まあ、仲良くしましょうってことで。私のことはかじらないでね、分かった?」
「チュー」
ねずみは本当にそんな鳴き声で鳴くのかと感心する。言っていることを理解できたとは思えないが、ねずみはまたどこかの隙間に入って姿を消した。
よく見てみると壁に小さな穴が空いている――ねずみ以外のものが入ってきても困るので、一応蓋をしておく。
脱出法について色々考えているうちに、前にここにいた人が試みたらしい方法がわかった。地面に掘った跡があり、どうやら後から埋めて踏み固められたらしい。
(そういえば、先割れスプーンで少しずつ穴を掘って脱出するなんて話もあったなあ。残念ながら、今の状況じゃスプーンは隠せないけど)
穴を掘るなら木刀を使えばいいが、素振り以外のことに使うのはなぜだか気が咎められた。
私の想定どおりなら、この木刀はひたすら振ることに意味があるのであって、別の用途に使うのは正しくない。
(さて、まだ明るいうちに、百回振っておこうかな)
集中して振り始めると、また周囲の音が聞こえなくなっていく。
私と、握っている木刀のみが存在する世界。
筋肉の動き、骨のきしみ、素振りの際に踏みしめた地面の感触――そして。
『――まさか初めて儂の元に来るのが、このような童とはな』
(……え?)
誰かの声が聞こえた気がして、瞬きをしたその後には。
私はどこかの森の中で、小川のほとりに立っていた。