第33話 魔導師の策/渇望
公邸の会議室から出て、私はフィリス様に連れられて彼女の部屋に向かった。
「アシュリナ様は、あらかじめ先程のような提案をするつもりでいたのか?」
扉を閉めて二人だけになって、フィリス様はすぐに聞いてきた。怒ってはいないみたいだけど、表情は硬い。
「戦争になるかもしれないというのは分かっていましたけど、今回の場合は敵方……ヴァンデル伯の強引さに流されてはいけないと思いまして。すみません、出過ぎたことを言って」
「い、いや……アシュリナ様は、『黒髪の魔導師』の力をいつでも借りられるのだな」
(……あ、そっちのほう?)
シリアスな方向に捉えていたので、ちょっと肩透かしをされた気分になる。もちろん真面目な話ではあるんだけど、フィリス様の『黒髪の魔導師』に対する感情は、同一人物の私からすると落ち着かないものがあった。
「あの人は流浪の人みたいなものですが、その……何というか、困った人を放っておけないところがあるというか。ですから、私じゃなくても縁があれば助けると思います」
それは私のことではなく、先生に対する印象だ。お人好しと言うと怒られそうなので、義侠心のある人と言うか――それはそれで嫌そうにする顔が思い浮かぶ。
「助けるといっても、敵国の一軍に対して先制攻撃を仕掛けるというのは……かの人物なら可能なのかもしれないが、甘えすぎているようにも思う……」
「先制攻撃って言っても、一人で大軍を正面から相手したりはしませんよ。ちゃんと策を使いますから」
「……アシュリナ様も、『黒髪の魔導師』が使う策というのが頭にあるということか?」
(ちょちょっ……フィリス様がすごく鋭い。彼女が才媛なのは分かっているんだけど……)
迂闊なことを言ったら、フィリス様に訝しまれてしまう――話の流れに合わせるしかない。
「いえ、あの人ならそういうことを考えるかもしれないな、というくらいで……でも、実際に戦地を見てみないと、何とも言えないと思います」
「そうだな……戦場の地図や斥候の得た情報など、提供できればいいのだが」
「あ……それは私にも見せておいてもらえると助かります。私はその、黒髪の方への伝達役なので」
「……では、アシュリナ様に頼むとしよう」
(っ……フィリス様の目が輝いてる)
『黒髪の魔導師』がフィリス様にとって憧憬の対象になってしまっている。でも私はやっぱり正体は明かせない――『黒髪の魔導師』として動いている分だけ、私の存在が目立ちすぎずに済んでいるのだから。
「だ、だが。もし可能であれば、かの人物が来るときには私も……」
「す、すみません……『黒髪』さんは実はシャイなところがあるので、また機会を改めて挨拶するように……いえ、した方が良いですと伝えておきます」
「やはり、アシュリナ様は友人ということでいいのか……そこまで『黒髪の魔導師』を理解しているとは」
こんなことを言ったら、変身した姿でフィリス様と話すのは避けられなくなってしまう――そうなってもなんとか乗り切れるだろうか。
「……それにしても、アシュリナ様の変装は存外に似合っているな」
「はぇ? あっ、そ、そうだったら良かったです」
白い髪を隠すために帽子を被り、眼鏡を用意してもらった。布で口元を覆うまですると怪しくなってしまうので、軽めの変装に留まっている。
「私も同じ細工師の作った眼鏡を使っているが、アシュリナ様には私よりよく似合う」
「あはは……そんなふうに褒められたら、ずっと着けていたくなっちゃいますよ。単純ですから」
「……単純なものか。私の方が年上なのに、アシュリナ様を見ていると自分が子供だということがよくわかる」
「そんなことないですよ。フィリス様は軍人の人たちを前にしても、物怖じせずに意見を言っていらっしゃいましたし……素敵だなって思いました」
「っ……」
フィリス様が胸を押さえている――もしかして動悸か、それとも息切れか。
「……私はこれから慣れていければいいが、アシュリナ様は、その……そう無邪気に人を褒めるのは控えた方が良い」
「えっ……でも、本当に格好いいと思ったので。私もフィリス様みたいになりたいと……ああっ、フィリス様っ!?」
立ち眩みを起こしてしまったのか、ふらりと倒れそうになるフィリス様を支える。一生懸命鍛えておいてよかった――自分より背丈のあるフィリス様を、片腕で抱きとめられている。
「……同性でこれでは、先が思いやられる。エリックなどひとたまりもない」
「エリック様がいかがなさいましたか?」
「何でもない……このまま下ろしてくれると有り難い」
私はお姫様抱っこでフィリス様を運んでいき、ベッドに寝かせた。そこで一体何をしているのだろう、と今さらに可笑しくなって、きっと同じ気持ちだろうフィリス様と笑い合った。
◆◇◆
グラスベルとフォルラントの国境は、ベルチェ村方面の他に、そこから山岳地帯を隔てて北西に位置する平野部がある。
かつて都市同盟とフォルラントの軍が睨みあった場所に、国境を見張る砦が二つ作られている。一方にはグラスベル軍が、もう一方にはヴァンデル伯軍が駐屯していた。
ヴァンデル伯ジャルドはその砦の内側に陣営を敷いていた。大将であるジャルドの幕舎に、側近の男が入ってくる。
「閣下、魔法兵部隊の配置が完了しました」
「リュエン、お前が言った通りなら明日には風向きが変わるはずだな」
「……はい。『鏡』はそう示しています」
ジャルドの義子であるリュエンは異例の若さで側近となったが、その理由は彼の扱う神器にあった。
国王は貴族に対する褒賞として、使い手のいなくなった神器を与えることがある。リュエンの言う『鏡』はその一つであり、ジャルドや他の人間が扱えなかったものが、リュエンにだけは反応して能力を発動させた。
「まずは火刑でグラスベルの砦を落とし、それを開戦の狼煙とする。やはり怖気づいたのか、グラスベル軍は国境から離れた位置に陣営を敷いているのみだ。それが愚策となぜ気づかぬのか」
ジャルドは笑う――リュエンは命令を遂行するべく、幕舎を出て行こうとする。
そこでリュエンは、駆け寄ってきた伝令の耳打ちを受ける。そして、ジャルドにその旨を伝えるべく幕舎に戻った。
「閣下に申し上げます。我が軍の陣営の後方に、騎兵の一団が現れました」
「っ……中央が聞きつけたか。小賢しい……漁夫の利でも得ようというのか」
「王族のお一人が率いる部隊とのことです。ヴァンデル伯の武勇がいかなるものか見定めると……」
「ならば存分に見せてやろう。グラスベルを手に入れた暁には、領地分割の交渉には応じなくもない」
ジャルドの言葉は、神器を代価として求めていることを暗に示していた。
彼が自分に適合する神器を手にすれば何が起こるか――それを想像したリュエンは拳を強く握りしめる。
「明日で全ては終わる。リュエン、お前が功を立てたなら正式に息子として周囲に認めさせてもいい。優秀な人間には相応の地位が必要だ……はははははっ……!」
「……失礼します、閣下」
すでに勝利を確信し、哄笑するジャルドを残してリュエンは幕舎を出る。
明日になれば、リュエンは命令を遂行する以外にはない。風向きが変われば炎はグラスベルの砦だけではなく、周囲に広がる平野を焼き、戦が始まる。
首につけられた鉄の輪に触れ、リュエンはそれがもたらす恐怖を思い返す。逃れる術はなく、ジャルドの命令に従う以外の選択はない――それでも、願わずにはいられなかった。
(誰でもいい……どうか時間を止めてくれ。多くの人が死んでいく前に)




