第30話 新たな領域
自室に入ると、昨日の朝に出たばかりなのに久しぶりに感じて、椅子に座ると安堵感でついぼーっとしてしまう。
(とはいえ、『雪白の花』の薬が効くかどうか……)
ミュルツァー殿の寝室にはエリック様と治療師、そしてお付きの人しか入れないので、今は待つしかない。フィリス様とレイスさんもそのうちに帰ってくるだろう。
(さて……あれ?)
壁に立てかけておいた木刀――その隣にある曲剣が、淡く輝いたように見えた。
輝きはすぐに消えてしまう。熟練度が上がるのはまだ時間がかかりそうなので、神器が何かを伝えようとしているのだろうか。
(うーん……持ってみても特に何も伝わらないなぁ)
室内で剣を抜くのはやめておいて、とりあえず元の場所に立てかけ、木刀を持って瞑想をするために座る。
(……思ったよりすんなり入れたな。お屋敷の部屋もそうだけど、やっぱりここが一番落ち着くんだよな)
「先生、少し時間があったので来ました」
「……では、儂がお主に顔向けできんというのも分かっておろう。数日くらいは置いてもいいのではないか?」
「フレスヴァインの炎から私が庇ったので、偉い弟子だ……って思ってくれているんですよね」
たぶんそのことを気にしているんだろうなと思ったが、こんなときに冗談を言う弟子に呆れたのか、先生はぽかんとしていた。
「……ふっ。ははは……お主の頭の中では、儂はそんなことを言うのか?」
タイミングは遅れたが、先生は笑ってくれた。これならいつも通りに話せそうだ。
「儂が龍の炎に焼かれたことを話したりしたから、お主はあのようなことをしたのだろう。儂はお主の先生として、あってはならないことをした……」
「先生の話を聞いたからっていうのは、確かにありました。でも、木刀だから火に弱いっていうのは当然で、先生は何も悪くないです。魔法の修行をしていたおかげで無事で済みましたし」
「水は火と相反するが、水の方が火に対して利を得やすい。頭ではそう分かっていても、以前召喚された時には水の術を使うことができなかった……お主が儂の力を引き出し、現世で使ってこそなのだ」
「あのとき『化身解放』ができたのは、先生がそうできるって思ってくれたからです。だから、おあいこですよ」
「……お主が無理をするからだ。してくれたおかげだ、とは言わんぞ。もし大火傷を負っていたらどうする? 手にいれたばかりの雪白の花とやらで治せるのか?」
『雪白の花』は、いくつかの上位ポーションの材料でもあったりする。貴重な花を使うよりも手に入りやすい材料が後から出てくるので、それまでにあえて作るプレイヤーもそうはいなかったが。
「それでもあの時は、先生を守ろうと思ったんです。頭より先に身体が動く方なので」
「それを褒めていいものか……お主はもっと自分のことを重んじた方が良い」
「はい……ごめんなさい、無楽先生」
頭を下げて、上げる――すると、無楽先生までこちらに頭を下げていた。
「お主のおかげで、長年つきまとっていた畏れを除くことができた。これで火の術も扱えるようになった……だが、教えるにはやはり鍛錬してもらうことになるが」
「水の魔法は滝行でしたけど……火の術は、焼けた甘栗を素手で剥くとかですか?」
「ふかした芋の皮を剥いても良いぞ……と、そんなわけがなかろう。熱いものに触れるのではなく、炎とは何かという想念を得る修行だ」
ということは、心界の中とはいえ炎を実際に見ることになるのか――先生にとっても並々ならぬ思いで挑んでくれるのだから、必ず火の想念を掴まなくては。
「今後の鍛錬の話は置いて……お主、今回は儂と共にあの曲剣を使っていたな」
「はい、『化身解放』をすると二刀の方がしっくりくる感じがして……」
「それは儂の流派ゆえに問題ないが……やはりそうか。装備者であるお主を介して、曲剣も心界を開いているぞ」
「っ……や、やっぱり、さっき光ってるように見えたのは……っ」
「――そう。新しい主、アシュリナよ。私の『眠り』はどうだった?」
心界の中に、今までにない風が吹いた気がした――振り返ると、そこには先生とは異なる異国風の装いをした人が立っていた。
褐色の肌に、紫色の髪をした人。この装いは中東風というのか、現世ではまず見ない服装だ。切れ長の瞳はどこかヘビのような――というと失礼かもしれないが、獲物を狙うような鋭さがある。
(先生は男性だと思うけど、この人は……いや、人じゃなくて、ヒュプノスの化身で……)
「前の主は私を便利な剣というくらいに扱っていたから、貴女が術を使ったときは嬉しかったよ。子供が私を握るなんて、と思ったりもしたのも今はいい思い出だね」
「あ、あの……この場所は先生の『心界』だと思うんですが、どうしてヒュプノスさんが入れているんですか?」
「ヒュプノスは生前に私が使っていた剣の名前だよ。私自身はシルキアと言う」
「シルキアさん……私はアシュリナと言います、よろしくお願いします」
「儂は無楽と言う。お主には馴染みがない響きかもしれんな」
シルキアさんは答えを返さず、二人はしばらく無言で対峙する――そして。
「……こんな剣士とは、私が人間だった頃に一度も戦ったことはない。それを今さらに惜しく思うよ」
「儂もそんな思いは枯れたと思っていたが……やはり、三つ子の魂は百までのようだ」
「本当に……それも、アシュリナが私のことを使ってくれているから。その素早さを生かした立ち回りは、私が剣士として考える理想像に近い」
「私は先生に教わっているので、先生が剣士の理想像っていうことでしょうか?」
尋ねてみると、シルキアさんは指を一つ立てて悪戯っぽく笑った。
「ムラクが強くても可愛げがないけど、アシュリナは剣を振っていても可憐だから。可愛いっていうのは強いってことだよ」
「甘やかすようなら、鍛錬をしているときは弟子に接近することを禁じるぞ?」
「あはは……私、可愛いなんて言ってもらうのは初めてかもしれません」
「ムラクとの修行だけじゃなく、ときには私の領域も見に来てほしい。こちらとはガラリと様子が変わるからね」
「まったく……儂好みの山であったのに、妙な場所と繋がってしまったな」
思いがけずヒュプノスの持ち主、シルキアさんの心界に入れるようになった――これも瞑想修行をしたことと、二本同時に剣を使ったからということだろうか。
こうして神器に宿る化身と対話ができるのなら、今後神器が手に入ったときも、同じようにして意思の疎通ができるんじゃないだろうか。
「……あっ、もちろん、私はずっと無楽先生の弟子ですよ」
「とってつけたように言わんでいい……まだ時間があるのなら鍛錬を始めるぞ」
「じゃあ私も見学しようかな。途中で眠たくなったら寝てしまうよ」
ヒュプノスの化身らしく、よく眠る人らしい――なんてことを考えつつ、まず基本の素振りから始めることになった。
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