第22話 想念/夜半の訪問
滝のほとりまで来ると、先生は流れ落ちる水を見上げる。私も横に並んで、それに倣った。
心界において十日間滝を浴び続けることで、私は滝行に慣れることができた。何度も滝壺に落ちてしまったことを思い出すと、苦笑いしてしまうけど。
「現世において、魔法というものはどのようにして形を成すか。そんな話をしたことを覚えているか?」
「はい。魔力を水などに変えるには、術式が必要で……」
「儂の場合は、印を結ぶことが術式に該当する。他には呪文を唱える、神霊に信仰を捧げて恩寵を得るなどがあるが、その術式もまた、術者に想念がなければ使うことはできない」
「想念……私の知っている言葉で近いのは『イメージ』ですね」
要は、どんな効果が発生するのかというイメージを持たずに魔法を使うことはできないということだ。使えたとしてもそれは『暴走』になる。
「滝行は精神修養、魔力量を増やすなどの効果があるが、もう一つ重要なのは水の想念を得ることだ。お主がそれをやっていたおかげで、あのような水術を使うことができた」
「凄く強力な術でしたね……水の球体ができて、そこから幾つも水の龍が出てきて」
「……儂は過去に召喚された世界で、龍を見たことがある。もともといた国では幻想の生き物とされていたが、初めて見たときは驚いたものだ」
「それで、龍を参考にした術を作ったってことですか?」
「そうなる。水で虎を作っても良いのだが、儂が見た中では龍が最も強い生き物なのでな……だが、同時に困ったことも起きた」
先生は近くにある岩に腰掛けると、少し決まりが悪そうにする。憂いた顔で頬に手を当て、それでも続きを話してくれた。
「赤い鱗の龍は炎を吐く……儂は以前召喚された際に、その炎に焼かれたのだ。ろくに武器として扱われず、ただ龍の攻撃に巻き込まれただけで終わった」
「そんなことがあったんですね……でもそれなら、私は先生のことを考えずにあんなことを……」
木刀にとって火は天敵だ。それなのに、ゼフェンの部下が放った火球を、『流水の太刀』で斬ってしまった。
「むしろあの時お主が振るってくれたおかげで、火ならば全てを恐れるということもなくなった。ただ、もし火の術をこれから覚えるとしたら、火とはどんなものなのかを知らねば想念は持てない」
「風の魔法を使えたのは、風がどういうものかはわかっているからってことですね」
「馬に乗って風を切って進むうちに、お主は風と一体となり、風術を使うことができた。このまま鍛錬を積めば地術にも開眼するだろう……だが、第五の術を扱うには火の想念を得る必要がある」
水と風だけでも今のところ十分だけど、時間さえできれば心界で鍛錬したい。地術、火術、そして第五の術――それらを習得しなければ、神器としての先生の力を本当に引き出せてはいない。
「なかなか殊勝なことを考えているようだが、儂を用いて使える術はそれだけあるという話で、剣についても教えることは残っている」
「本当ですか? 良かった……」
「儂から一本取れる日が来るまでは、お主は教え子だ。ただ、お主が鍛錬するのと同じように儂も鍛錬するがな」
そう――先生は私と出会うまでの数百年も、そして私が現世にいる間も何かしらの鍛錬を行い続けている。
そんな人に追いつくのは不可能にも思えるけれど、私は目標が遠いほどやる気が出てくるほうだった。
「……前世が剣士というわけでもないお主が、これほどの素養を持っていようとはな」
「えっ……急にちょっと褒められたりすると、何かのフラグかなと思ってしまうんですが……」
「フラグ……不吉な兆候ということか。明日は槍でも降るかもしれんな」
「槍……先生は槍ってどう思います? 剣よりも間合いがあって有利って言いますよね」
「儂は槍術の使い手と戦ったこともあるし、必ずしも剣で勝てないということはない。今後槍使いに相対したときのために慣れておくか……と、今日のところはここまでにしておこう」
――現世のほうで、部屋をノックされている。私は慌てて瞑想を解くと、訪ねてきた人に対応した。
「ああ……もう寝ているのかと思った。すまないな、こんな夜分に」
「フィリス様も起きていらしたんですね。オルディナ様は……」
「彼女は先に休んでいる。私は……アシュリナ様に、謝っておきたくてここに来た」
「え……?」
フィリス様は思い詰めた顔をしている。寝間着の上に一枚羽織っていて、貴族の大人の女性とも変わらない装いをしているが、今は年相応の少女らしく見えた。
「私はアシュリナ様に剣を教わりたいと言った。だが、それはかないそうにない」
「それは……学院に戻らないといけないからですか?」
「……そうだ。私はシャノワール家の娘としての義務を忘れ、アシュリナ様の武勇を人づてに聞いて憧れてしまった。あなたのように幼くとも強くなれるなら、私も……などと、驕った考えだった……」
それをこんなにも思い詰めて、謝るためにここに来たというのなら――私は。
「私こそ、考えさせてくださいなんて言って……本当は、一緒に剣の練習ができる仲間ができたら嬉しいって思っていたのに。強がりを言ってしまいました」
「……本当に? そんなふうに思ってくれていたのか。まだ、出会ったばかりなのに」
「はい、出会ったばかりなのにです。お姉さんって言ったのは、本当にそう思ったからです」
「……あ……」
フィリス様が目を見開く。冗談めかせておきながら、本当は本気で言っていたなんて、今さら明かすのはずるいことだ。
そう分かっていても、他に何を言うことができるだろう。
「ひとつ、考えていることがあります。でもその前に、しなくてはいけないことがあって……フィリス様、相談に乗っていただけますか?」
「っ……あ、ああ。もちろんだ、なんでも話してくれ。情けないことを言ってすまなかった」
情けなくなんてない――と言っていてもフィリス様に夜ふかしをさせてしまうので、テーブルを挟んで席につく。
「それで、相談というのは……」
「都市同盟の中に、こういった地形の場所はあるでしょうか」
都市同盟を舞台にした『失われた薬草』というクエストは、ある病に効く薬草が姿を消してしまったため、一本でもいいから探し出して欲しいというものだった。
その薬草が取れる場所は、今でも覚えている――この知識が通用してくれることを祈るしかない。




