第17話 水術
フィリス様の姿はすでに視認できないほど遠かったが、進むべき方向はねずみ――ではなく、縞模様のリスとなったリクが教えてくれている。
馬が走りやすいように整えられた道が北西に伸びていて、進んでいくと林の中に入った。行き先を示す看板には『この先フォートリーンの街』と書かれている。
(グラスベル市で一番大きな街か。領主があえてそこを離れているのは……)
病気のために静養していた――ということか。そこを狙って賊が襲ってくるというのは、何かきなくさい感じがする。
(都市同盟も実は一枚岩じゃない……って話があったな。もしこの世界でもそうだとしたら……どうするんだ……?)
やがて前方から荒々しい声と、剣戟の音が聞こえてくる。
(迷ってる場合じゃない。私にできることは一つだ)
馬をその場に留めておくようにリクに頼んで、私は飛び降りる。そして駆けながら、木刀の柄を強く握りしめた。
◆◇◆
アシュリナが到着する前に、エリックと兵たちは賊に遭遇し、交戦を始めていた。
賊を率いるのは、黒馬に乗った剣士――エリックは善戦するも、徐々に相手の力量に押されていた。
「邪魔をするなら斬るぞ、小僧ッ!」
「やってみろ……っ!」
数台の馬車が車輪を壊されて止まっている。賊は馬車の護衛を昏倒させ、略奪を始めようとしたところで阻まれていた。
フィリスは馬車のひとつを守っている。負傷した御者の男を庇うように立って、果敢に剣を構えていた。
「――おぉぉぉっ!」
エリックが敵に向かって突進し、二つの剣が交わる。だが、敵の一撃が重さで勝っていた。
「くっ……!」
「エリック様っ、お引きください! その男、只者では……ぐあっ!」
「――ヨランッ!」
エリックの部下の肩に矢が突き立つ――敵の弓兵が林の中に潜み、周到に隙を狙っていた。
「貴様ぁぁっ……!」
「遊びじゃないんだよ、殺し合いだ!」
斬りかかるエリックの剣が弾かれ、宙を舞って地面に突き立つ。姿勢を崩したところに容赦なく、猛禽のように敵が迫る。
「させるものかっ……!」
「――お前に俺をやれるか、娘っ!!」
「っ……!」
フィリスは詠唱を妨害され、攻撃魔法の狙いを逸らされる。放たれた氷の槍は、男の口元を覆う布を掠めた。
剣を持たないエリックには、もはや抵抗の手段が残されていない。
「俺の前に出てこなければ、死なずに済んだものを」
黒馬がいななき、エリックの目に諦念が宿る――だが、凶刃が彼に届く前に。
「――助太刀するぞ、若き剣士よ」
異国の装いをした黒髪の青年が、忽然と現れ。木刀の切っ先を、黒馬の剣士に向けていた。
◆◇◆
誰もが動きを止める。私は戦闘のさなかに入り込み、エリックの傍らに立って練り上げた術を完成させようとしていた。
「――全員退けぇッ!!」
黒馬に乗った剣士は本能で危険を察したのか、仲間たちに警告する――だがもう遅い。
「――水術・瀑布水龍弾」
『ぐぁぁっ……!!』
魔法が完成した瞬間、空中に突如として巨大な水の塊が現れる――そこから飛び出した水の龍は、空中を滑るようにして進み、目に入る敵全てに食らいつく。
「「うぉぁぁぁっ……がぁっ!!」」
エリックの部下と戦っていた賊は馬から引き剥がされ、そのまま木に叩きつけられる。しかし黒馬に乗った剣士はさる者で、剣で水の龍を受け止め、押されながらも耐え凌ごうとしていた。
「こ……んな……馬鹿な……っ、なぜこんな魔法の使い手が……っ!」
「魔法ではない、術だ……と言いたいところだが。この世界の呼び方に習うべきか。少しは骨があるかと思ったが、この程度だったのか?」
「うぉ……おぉぉっ……!!」
男は叩きつけられた水龍を凌ぎ切った――だがそれで全ての力を使い果たしたのか、馬上で目を開いたままうなだれている。
「……逃げ、ろ……」
それは誰に向かって言ったのか――やはり、賊の別働隊が動いているのか。
「あ……貴方は、一体……」
『化身解放』をした私は、やはりアシュリナと同一とは認識されない。男性の姿なのだから当然だが。
「よく戦ったな。その男は腕は立つが、君が押し負けたのは腕力の差によるものだ。技で遅れを取ってはいない」
「っ……あ、ありがとうございます。ですが、俺はあなたがいなければ今頃……」
「まだ君は強くなる。私はそれを見てみたくて助けただけだ」
エリックは疲労はあるが無傷で、ヨランの矢傷は急所を外れているが、教会で治療を受ける必要がある。まだ戦える兵は六騎のうち半分だけだ。
そしてフィリスは――アシュリナのときと違って呼び捨てで考えてしまうのは、やはり気質が変わってしまっている部分だ。
フィリスは馬車の客室から、一人の少女を連れ出していた。歳の頃はフィリスと同じくらいで、髪の色は深い赤色――これは確か、都市同盟の盟主の娘と同じ色だ。
(……当人だということか? ということは、あのキャラか、それともそれに近い人物……まさか、ここで会うことになるとは)
「あなたがたが私たちを、助けてくださったのですね。その勇気に感謝いたします」
「いえ、私たちもまた彼に助けられたのです」
フィリスがそう言うと、赤い髪の少女がこちらを見てくる――感謝してくれているのか、ただ興味を持たれているだけなのか、その顔からは判別できない。
「私のことは今は置いておく。二人とも、賊の捕縛を頼んだぞ」
「っ……待ってください、どうか名前を……っ!」
エリックが引き止めようとするが、今は振り切らせてもらう。
林の外に出たあとでリクが連れてきてくれた馬に飛び乗り、再び街道を走る。
(っ……強力な術を使ったから、別属性の術が解放された。今なら……!)
水魔法とは違う印を結ぶ――今というときに一番役に立つその魔法は、風の属性だった。
馬が風をまとって速度を増す。これなら帰りは半分の時間でたどり着ける。
(やっぱり無楽先生は凄い……どれだけの魔法を習得してるんだ)
屋敷に近づくと、賊に応戦する兵たちの姿が見える。賊は後方に注意を払うことを怠ったために、あっさりと私の接近を許すこととなった。
 




