第15話 丘の上
――翌朝。朝食の時間は教えてもらっていたが、その前に私は屋敷を抜け出し、教会に向かった。
貸してもらった服はフィリス様のものだが、今の彼女のようなチュニックにズボンというような装いではなく、ワンピースだった。
私と同じくらいの年のときはこういう服を着ていたということで、今でも油断をすると可愛らしい服装をさせられるらしい。母君も侍女たちも、フィリス様を着飾らせることにご執心とのことだった。
(王宮だと動きにくい服だったから、こういうのは動きやすくていいな。でも借りてばかりじゃ駄目だし、自分で買えるようにしないと)
私でもできる仕事としてまずそれを考えるのもどうかと思うが――ゲームでの序盤の稼ぎといえば盗賊退治だ。
行動を起こす前に、私には心配なことがあった。レイスさんが目を覚ましたあとのことだ。
その心配は的中してしまったようだ――教会の建物から、慌てた様子で修道女が出てくる。
「大変っ……あぁっ、貴女は昨日の……ごめんなさい、ここで治療していた方ですが、朝起こしに行ったら……っ」
「いなくなっちゃったんですね。分かりました、私も探してみます……っ!」
レイスさんがどこに行ったのか、それを追いかけることは難しくはなかった。レイスさんの匂いを覚えているリクが、私のポケットから出てきて先導してくれる。
レイスさんは馬に乗っていったわけではなく、そしてそれほど遠くに行ったわけでもなかった。彼は小邑を見渡すことができる丘に上がり、私が昨日一晩過ごした屋敷を見ていた。
「おはようございます」
「王女殿下。なぜ、こちらに……」
「えっと……レイスさんがいなくなってしまう夢を見ました。なんて言ったらどうしますか?」
冗談めかせているが、半分は本当のことだ。
レイスさんは、私を逃がすためにゼフェンたちと戦った。それで今ここに一緒にいることを、彼は肯定しないだろうと思った。
「レイスさんは、王家に仕える『暗部』……の人なんですよね」
「……はい。時が来れば、アシュリナ殿下を手にかけるようにと命じられていました」
「でも、私を逃がしてくれました。その理由を教えてもらえませんか」
「初めは……務めを果たすつもりでした。王家によって育てられた私には、それ以外の選択はない」
「育てられた……というのは、暗殺者としてですか?」
「はい。あなたは神器召喚のあと、王家にとって……その生命が続くことが、王家に仇なすとされてしまった」
そうはっきり言われると、苦しくもあり――楽になる部分もあった。
私はレイスさんの抱えているものの重さを感じていながら、彼が表向き味方でいてくれることに甘えていた。
「国王陛下は、此度の召喚で得られた神器をもって王国の版図を広げなくてはならなかったのです。このユクリス都市同盟から領地を奪うために神器が投入される可能性もありました」
だから、父は私に厳しい目を向けながら、苦しさも垣間見せた。今ではその理由もわかっている。
「私を幽閉したあとに処刑して、赤の天召石に変える……そして、もう一度神器召喚をするつもりだったんですね」
ゼフェンがしようとしていたことと同じ。レイスさんは何も言わない――それが答えであるというように。
「もう王女ではない私が言うのもなんですが、この国は神器に縛られてしまっています。全部が神器を中心に回っている」
「神器はそれほどに強力なのです。ゼフェンの持っていたヒュプノスなど比較にならない、一つの軍隊を滅ぼす力を持つようなものも存在する……それですら、秘めた力を全て解放してはいないと言われています」
いわゆる『マップ兵器』型の神器――一定範囲の地域全てを攻撃できる、ゲームにおいては便利で、この世界においては強力な殺戮兵器。
「それなら……私にとっての神器召喚は、成功だったんだと思います」
「……殿下、それは……」
「私が召喚した神器は、外れなんかじゃありません。ただの棒切れに見えるかもしれないですが、神器は見た目によらないんですよ」
私は持ってきた木刀をレイスさんに見せる。そして――そのまま、木刀を軽く振る。
「っ……!?」
飛んできた葉が二つに割れる。レイスさんの足元に落ちた葉は、ちょうど半分に分かれていた。
「王女殿下……あなたは、このような技をどこで……?」
「神器の力には色々な形があります。牢の中で、私はそれを学びました」
神器の化身である先生に剣を教えてもらって――というところまで話すと、とても長い話になってしまうので、今はまだ言わないでおく。
(……あれ。そういえば、私が変身してゼフェンと戦ったときのことは、全然レイスさんは見てなかった……ってこと?)
私が木刀で葉を斬るのを見てこれだけ驚いているということは、そういうことになる――いや、それも少し違う。
「申し訳ありません、王女殿下……私は、あなたが安全なところにたどり着いたと安堵して、自分の勝手な目的のために動こうとしていました」
「……目的?」
「私がゼフェンに敗れたあと、介入してきた剣士……異国の装いをした者。彼が私たちを助けてくれたのでしょう」
「……あぇ?」
今まで出したことのない声が出た。鍛錬した剣術を見せたのに、私と『黒髪の剣士』は別の人物と思っているというのは、どういう――いや、それ自体は無理もないのかもしれないが、しかし。
「王女殿下はあの剣士とともに森を抜けてきた……そして、私たちをグラスベルに送り届けたあと、剣士は立ち去った。そういうことではないのですか」
つまり――レイスさんは、私が黒髪の剣士に変わった場面は気を失っていて。次に少し意識が戻ったときは、変身した私に運ばれている最中だったということになるのだろうか。
まさかレイスさんがそんな勘違いをするはずがない、だが実際にしている。そしてなぜか、私が黒髪の剣士ですと言ってはいけないという気がする。
「私はまだ彼に恩義を返すことができていない。せめて彼の行く先だけでも聞いておければと思ったのですが……暗部などと言いながら、情けないことです。手がかりもなく……」
「え、えーと……彼ならまたいつか会えると言っていた……ような……」
「……彼ほど腕の立つ人物なら、また噂を耳にすることもあるでしょう」
レイスさんが喜んでいる――これではますます『黒髪の剣士』が自分だとは言えなくなる。
「あ、あのっ……それはそれとして、レイスさんは、私以外の王族に仕えているんですよね。それは大丈夫なんですか?」
「……本来、そういったことは王族の方にもお話しできないのですが。私はアシュリナ殿下の所在について、主にも伝えることはしません」
「そんなことをしたら……確実に、罰せられてしまいますよね」
「暗部の務めを果たすことができなかったのですから、当然のことです」
まだ、レイスさんは分かっていない――せっかく無事に逃げてこられたのに、それでみすみす命を捨てるようなことは見過ごせない。
「レイスさん、私があなたをスカウトします」
「スカウト、とは……」
「あなたみたいに優しい人が、罰せられることなんてない。絶対に駄目です」
拙い言葉しか出てこないけれど、それでも必死だった――取り付く島もなかったらどうしよう、それでも諦めない、とぐるぐる考えていると。
仮面をつけたままで表情は見えない。けれど、レイスさんが笑ったような気がした。
「……優しいなどと言って頂いたのは、初めてです。身に余るお言葉です」
「余ってないです、レイスさんは本当に……」
「私は王女殿下に救われました。ずっと牢の中にいて、なぜそこまでお強くなれたのか……あなたのその揺らがぬ意志を、心から尊敬しております」
牢の中で特訓したことが、今この時につながった。
少しでも走るのが遅かったら、敵兵を倒すのが遅れていたら――あのとき、ゼフェンを止めようとしなかったら。大事なものを失っていただろう。
私が右手を出すと、レイスさんは小手を外して、恐る恐るというように、けれど柔らかく握り返してくれる。
「これからよろしくお願いします、レイスさん」
「……いつか、私の本当の名前をお伝えします。暗部としてではない名を」
レイスさんの主人は、私と血が繋がっている王族――私を殺そうとしたその人のもとには、もう戻ってほしくない。
そのためには、私はもっと強くならないといけない。誰がレイスさんを取り戻そうとしても、そうさせなければいいのだから。
 




